『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、MAGA派の若き活動家が大学での演説中に射殺された事件がアメリカ社会に与える影響、そしてトランプ政権が強調する"非常事態モード"のゆくえについて考察する。
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米保守系活動家チャーリー・カーク氏が射殺された事件に、アメリカは揺れています。
容疑者の行為が許されないことは論をまちませんが、事件直後、トランプ大統領やJ・D・ヴァンス副大統領は「急進左派が政治暴力を助長している」と非難し、カーク氏の死を称賛する者・団体までも厳しく取り締まると公言。権力者たちが「拡声器付きで犬笛を吹いている」ような状況です。
もとより、トランプ政権は内政面では露骨な「介入」「圧力」を繰り返してきました。
金融政策を担うFRB(連邦準備制度理事会)の人事では、バイデン前大統領が指名した初の黒人女性理事、リサ・クック氏の更迭を図りつつ、"トランプ流エコノミクス"を理論化してきたスティーブン・ミラン氏を強引に理事に指名。独立機関であるFRBに、政権が望む利下げを先々強要するためでしょう。
報道・言論への態度も同様で、トランプ大統領はABCやNBCなど気に食わない放送局の「放送免許剥奪」にまで言及しています。もちろん実際には、報道内容を理由に連邦政府が免許を剥奪することは困難ですが、こうした"脅し"自体が支持者に対するアピールとなるのです。
現に、「正しく哀悼の意を表明しなかった」という理由で、大物コメディアンのジミー・キンメルに右派から非難が殺到。さらに米連邦通信委員会(FCC)のブレンダン・カー委員長が保守系ポッドキャストに出演し、ABC系列局の放送免許剥奪をほのめかした後、ネクスタ―・メディア・グループ(ABC系列局を保有)はキンメルの番組『ジミー・キンメル・ライブ!』の放送中止を発表しました。
この番組に関しては放送が再開されたものの、政権の介入に端を発した事実上の"言論統制"は現実のものとなり始めています。
また4月には、MAGA派インフルエンサーのローラ・ルーマー氏が"反トランプ"のレッテルを貼ったNSC職員6人が解任され、7月にも同様にCBP(税関・国境警備局)の幹部が行政休職に。まるで政権がいちインフルエンサーの"機嫌"に迎合しているかのような「不規則な人事」も繰り返されています。
アメリカでは東西冷戦の初期、共産党員やシンパを排除するという大義名分の下、苛烈な"赤狩り"の嵐が吹き荒れました。今起きていることをその焼き直しととらえる見方もありますが、大きく違うのは、背景にあるのが世界的な対立構図ではなく、MAGA層=トランプ支持者の欲求のみであるという点です。
カーク氏射殺事件の後、トランプ政権は「正義」を声高に叫んでいます。しかし、今年6月に民主党のミネソタ州議会議員らがキリスト原理強主義者に銃撃され死亡した事件の後には、政府が半旗を掲げることもなく、共和党議員が間接的に殺害された民主党議員を揶揄したり、陰謀論を吹聴したりすることを野放しにしていました。
あえて申し上げてしまうなら、トランプ政権が発信する「正義」は極めて偏った、恣意的なものなのです。
また、エプスタイン・スキャンダルで分裂の危機にあったMAGA運動の内部では、カーク射殺事件について何通りもの陰謀論が渦巻いています。とりわけ際立つのが「イスラエルによる暗殺説」で、SNSを中心に燃え広がり、とうとうイスラエルのネタニヤフ首相自身がその陰謀論を(わざわざ)否定するに至りました。
このように信じがたいほど飛躍した論理が飛び交うMAGA運動は、路線対立によって深刻な亀裂が生じる危機と常に隣り合わせにあると見るべきかもしれません。
しかし、それでもトランプ大統領はカーク射殺事件を契機に"非常事態モード"を強調。「今の政治には自分の声が届いている」という"手触り感"を支持者に供給し、勢いと一体感を演出しようとしています。
ただし、アメリカ政治にこの潮流が定着するかどうかは別問題です。
古代ローマでは皇位継承を定める明確なルールがなく、軍と元老院の意向次第でした。
それに対してMAGAは、代えの利かない"顔政治"です。台本や組織よりもトランプ個人の存在が熱源で、同じ台本をヴァンスら"子飼い"が演じても、群衆の心をつかめるとは限りません。
どんな"顔"も自民党という看板に収まるように収斂されてきた日本政治は、MAGAとは対極にあります。この「変わらなさ」への強いベクトルは、皮肉にもMAGA型のポピュリズム暴発に対する防波堤になっているかもしれません。
もっとも、その利点の裏にある「必要な変化さえも拒み続けた」という代償が決して小さいものではないことも、併せて指摘しておく必要があるでしょう。