壊された学校の前に立つヨルダン川西岸のパレスチナ人の少年たち(撮影/川上泰徳)
ハマスの攻撃で始まった戦争から2年――。ガザではミサイルだけでなく飢餓や疫病で6万人以上の命が奪われている一方で、ヨルダン川西岸では家が日常的に壊され、生活の基盤が奪われ続けている。
「殺すこと」と「生きられなくすること」。イスラエルによるパレスチナ人排除の実態を、現地を歩いた川上泰徳(やすのり)氏が語る。
■ガザじゃない場所でも日常化している支配
2023年10月7日にガザ戦争が開戦してからはや2年。
発端は、ガザ地区を統治するイスラム組織ハマスがイスラエルに奇襲を仕掛け、1139人を殺害、女性や子供を含む240人を人質として拉致した事件だった。これに対し、イスラエルは14年以来となる大規模なガザ侵攻を開始。
民間人被害を顧みない攻撃は苛烈を極め、25年8月までにガザでの死者は6万5000人以上に上る(ガザ保健当局発表)。その7~8割は民間人で、飢餓、衛生状態の悪化などによる影響も含めると、子供の犠牲者は2万人近いとされる。
東京23区の6割ほどの面積に220万人のパレスチナ人が閉じ込められ、「天井のない監獄」とも呼ばれるガザの街は徹底的に破壊され、食料も水も医薬品も不足する生き地獄と化した。さらにイスラエル軍はガザ市中心部への総攻撃を始めている。

上〈2023年10月6日 ガザの空撮〉、下〈2024年8月20日 ガザの空撮〉
この一連の侵攻に、国際社会から強い非難の声が上がり、24年11月、国際刑事裁判所(ICC)はイスラエルの行為を「戦争犯罪」と認定し、同国のネタニヤフ首相に逮捕状も出している。
それでもなお、開戦から2年を経た悲惨な戦争が終わらないのはなぜなのか?
「それは、ネタニヤフ首相と、それを支える極右のリクード党にとって『パレスチナ人の排除』こそが目的だからです」
そう語るのは、昨年の7月、ガザと同じようにイスラエルの防護壁に囲まれたヨルダン川西岸地区を取材した中東ジャーナリストの川上泰徳氏だ。
「23年10月7日以来、激しい攻撃と殺戮が続くガザ地区と比べると、同じイスラエルによる占領地でもヨルダン川西岸に関するニュースはあまり目にしないかもしれません。
しかし、多くのパレスチナ人が暮らすヨルダン川西岸地区でも、イスラエル軍による集落の破壊やイスラエルからの入植者の暴力が占領地のあちこちで日常的に繰り返されています。
私が取材した中には、地域の子供たちのために寄付金を募って建てた学校が、建設からわずか半年後にイスラエル軍によってブルドーザーで潰されたり、人が日常的に暮らしている家を壊すだけでなく、建て直すために必要なコンクリートミキサーも押収したりと、徹底的に生活基盤を奪う行為が横行していたのです」

パレスチナ自治区は「ガザ地区」と「ヨルダン川西岸地区」に分断され、行き来できない飛び地状態。境にはイスラエルが築いた高い壁が広がり人や物資の移動が厳しく制限される
家や学校が目の前で壊されても、武器を構えたイスラエル兵に丸腰のパレスチナ人ができるのは「やめてくれ」と叫ぶことだけだという。
「取材でわかったのは、イスラエル軍や入植者の活動が活発化したのは23年10月7日以降ではなく、第6次ネタニヤフ政権が発足した22年末頃からだということです。
入植者の嫌がらせも、かつては家の周囲の木を燃やす程度でしたが、やがて家そのものに火を放つようになった。ほかにも、羊を飼って生計を立てるパレスチナ人の羊を逃がしたり、水道管に穴を開けたり、ソーラーパネルを破壊したり。開戦前からすでにやりたい放題だったのです」

中東ジャーナリスト・川上泰徳氏
一方のガザ市内でも、イスラエル軍は9月に主要住宅地区に進入する地上作戦を開始。爆弾やミサイルの雨を降らせ、その後、戦車に伴われた地上部隊が発電機や貯水槽、インターネット回線やソーラーパネルを徹底的に破壊。
どちらの地域でも、電気や水といった基本的なインフラや暮らしの糧を奪うことによって、イスラエルは長年この地に暮らしてきたパレスチナ人たちを追い出そうとしているのだ。
「約2年間にわたる戦争で多くの命が失われ、飢餓に苦しむガザで起きていることも、私が昨年の取材で目撃したヨルダン川西岸での日常的な軍や入植者による破壊と暴力も、同じ動機に支えられている。イスラエルはパレスチナ人を〝殺すこと〟と〝生きられなくすること〟の両輪で排除しているのです」
■言い訳が欲しいトランプ政権
川上氏は、今、ガザで起きていることを理解するために「歴史をさかのぼって考える必要がある」と指摘する。
「イスラエルによるパレスチナの占領は1967年から半世紀以上も続いていますが、『イスラエルとパレスチナの2国家共存』を前提とした和平案である1993年のオスロ合意の時点では約11万人だったイスラエル人入植者の数が、今では50万人を超えています。
つまり、表向きは和平といいながら、イスラエルはパレスチナ領内への入植を拡大して占領地を増やし、そこに暮らすパレスチナ人たちを排除し続けてきたわけです。
ところが、そうした占領地の日常は伝えられず、それに対してパレスチナ人が抵抗運動を起こしたときだけニュースとして世界に報じられる。

今年9月の地上作戦でもまだガザは破壊され続けている(写真/時事通信社)
オスロ合意に基づき、06年に行なわれたパレスチナ自治政府議会の選挙で、反占領闘争を主導する強硬派のハマスが勝利して政権を握ったのも、イスラエルによる占領地の拡大や、入植者による暴力に対するパレスチナ人の怒りと不満が背景にあったからだという。
「対してイスラエルのネタニヤフ政権は、占領に反対するハマスの存在を『イスラエルにとっての脅威で共存は不可能』と訴えることで、2国家共存を否定し、入植と排除を拡大することで極右勢力の支持を得ているのです。そのため、ネタニヤフには戦争継続以外の選択肢はありません」

パレスチナ自治区ガザ南部ハンユニスの沿岸部に密集する避難民のテント。住民たちが押し寄せ、衛生環境や食料不足が深刻化している(写真/時事通信社)
慢性的な占領と排除が続いていた中、長年イスラエルを支援してきたアメリカだったが、トランプ大統領は9月29日、「ガザ停戦の実現に向けた20項目の提案」でイスラエル政府と合意したと発表した。
だが、その中身はハマスの全面的武装解除を求めることや、停戦後はパレスチナ自治政府ではなく、トランプ自身が議長を務める「平和評議会」傘下の「技術官僚的・非政党的委員会」による暫定統治を想定していることなど、事実上ハマスに無条件降伏を迫る内容だ。ハマスが合意する可能性は低いとみられる。
おそらくトランプ政権はそれを承知でこの停戦案を提示し、ハマスが拒否すれば「停戦が実現しなかったのはハマスの責任」と主張して、イスラエルの攻撃を正当化する口実にするつもりだろう。
結局のところ、国際社会の批判があろうとアメリカの後ろ盾がある限り、ネタニヤフ政権はガザでの戦争を続け、そこに暮らすパレスチナ人の排除を優先するのだ。
■国家承認のポーズも取れない日本
国際社会の批判を無視し、ガザでの破壊と殺戮をやめようとしないイスラエル。そして国連で拒否権を行使し続け、イスラエルを擁護するトランプ政権のアメリカ......。
川上氏によれば、イスラエル国内でも「まずは人質解放を優先して停戦すべきだ」という政権批判はあるものの、戦争そのものへの反対や、ガザでの非人道的状況を声高に批判する世論は一部にとどまっている。
「実は11年、ハマスに拉致されたイスラエル人ひとりを解放するために、パレスチナ人政治犯を1000人以上釈放したことがありました。
だからこそ、今回ハマスが200人規模の人質を取った際、ハマスは大きな合意を得られると考えたのでしょう。『十分な取引材料になるはずだ』と。
しかし、ネタニヤフ政権はその原則を破り、人質交渉よりも軍事侵攻を優先した。これは私にとっても驚きでしたし、多くのイスラエル国民にとっても衝撃だったはずです。
そうした反発が、国内でのデモにつながっているのでしょう。しかし、人質のためという意識はあれど、非人道的な攻撃を批判する声は聞こえてきませんでした」

2024年7月、政府に人質の解放のための停戦を求めるイスラエル市民のデモがエルサレムで行なわれたが、戦争反対を訴える声はなかった(撮影/川上泰徳)
ガザの状況が悲惨さを増す中、これまでパレスチナの国家承認に慎重だったイギリスやフランス、オーストラリア、カナダなどが、相次いで承認に踏み切った。
先月の国連総会では、これらの国々を含む150ヵ国超がパレスチナの国家承認を表明し、占領下にあるパレスチナを独立した主権国家として扱うことで、イスラエルへの圧力を強めようとしている。
しかしアメリカは「国家承認はハマスを利するだけだ」と反対を表明。さらに、アメリカからの外交的圧力を受けたとみられる日本の石破政権も「承認には賛成だが、今は時期ではない」と態度を曖昧にし、承認を見送った。
そんな中、川上氏は「パレスチナの国家承認が今この時点で優先すべき課題だとは考えていません」と語る。
「イギリスやフランスなどが承認に踏み切ったことは注目されますが、今、本当に必要なのはガザで続く戦争を止めることです。
この悲惨な状況を終わらせることこそ国連総会の使命であるはずなのに、国家承認といった外交的な形式の議論に終始しているのは優先順位を誤っていると思います。
国家承認に踏み切ったイギリスも、実際にはイスラエルに大量の兵器を供給し続けている。そう考えれば承認とは、国内世論へのポーズに過ぎず、偽善的です。
一方、アメリカの圧力に屈してそのポーズすら取れない日本政府は情けない限りです。ただし、日本の場合はパレスチナ問題に関する理解や関心が低く、世論の突き上げが弱いという事情もあります」
それでも、パレスチナの人々は日本に強い関心を寄せていると川上氏は強調する。
「彼らの視線がしっかりと日本を見ていることを、もっと意識すべきです。現地で取材していても実感しますが、パレスチナの人々は日本のマンガやアニメが大好きで、『ちびまる子ちゃん』や『キャプテン翼』は大変な人気です。
遠く離れた中東の出来事に共感するのは容易ではありませんが、戦火におびえ、飢えに苦しむガザの子供たちも、自分たちと同じように『ちびまる子ちゃん』を楽しんでいた同じ人間なのだ。そう考えれば、今ガザで起きている戦争も決して人ごとではないと感じられるのではないでしょうか」
●中東ジャーナリスト・川上泰徳(かわかみ・やすのり)
1956年生まれ、長崎県出身。元朝日新聞記者。
カイロ、エルサレム、バグダッドなどに駐在し、パレスチナ紛争、イラク戦争、「アラブの春」などを現地取材。
取材・文/川喜田 研 撮影/川上泰徳 写真/時事通信社