「街そのものが、巨大な刑務所になっている――そう感じました」と語る西谷 格氏
近年、ウイグル族によるテロ事件対策などを名目に、中国共産党政府は新疆(しんきょう)ウイグル自治区での取り締まりや監視を強化。そのガチガチな管理体制は、ウイグル族への人権侵害につながり、たびたび国際社会でも問題にされてきた。
そんなところにひとりの日本人ルポライターが〝興味本位〟で潜入、驚くべき顛末をつづったのが『一九八四+四〇 ウイグル潜行』だ。
本書を「油断の産物」だとする著者の西谷 格(ただす)氏が語る、ウイグルの今、そして暗黒のSF小説を連想させるような監視社会に生きる人々の実像とは?
■通報から1分以内で警察が来る監視体制
中国で数年間暮らした経験を基に、リアルな中国の姿を伝えてきたルポライターの西谷 格氏。その最新刊『一九八四+四〇 ウイグル潜行』(小学館)では、中国共産党政府による少数民族のウイグル族に対する弾圧が報じられる「新疆ウイグル自治区」(以下、ウイグル)に単身乗り込み、その実態に迫った。
「ただ、当初は記事や書籍にする予定はなく、『とにかく現地に行ってみたい』という興味本位での旅行でした。確かにウイグルに関する情報は恐ろしい話ばかりでしたが、日本人が行くこと自体は制限されてはいません。
ウイグルは中国からシルクロードを巡る旅の重要な経由地であり、そもそも観光地でもある。ルポライターとして、ウイグルの人々のナマの暮らしを見ずに一方的に語るのはバランスが悪い気がずっとしていて。自分自身でリアルなウイグルを体験したいと思ったのです」

ウイグル最大の都市であるウルムチを訪れた西谷氏は、尋常ではない監視カメラの数に驚かされる。
「ほぼすべての電信柱や店舗の入り口に設置され、街中ではカメラの死角がありません。常に警官や治安維持部隊がにらみを利かせていて、ここまでの監視体制は中国本土でも目にしたことはなかった。
大通りには110番の〝通報ポイント〟が設けられ、看板にある5桁の番号を伝えるだけで警察が駆けつける仕組みになっています。以前、共産党幹部が抜き打ちでテストをしたら、通報からわずか54秒で警官が来たという記録があります」
ウイグル滞在中は常に「誰かに見られている」という感覚がつきまとう。
「これだけ監視の目にさらされると、カメラがないはずのホテルの部屋も、実は監視されているのではないかと不安になる。
■誰も本音を話せない
とはいえ、辺りを歩けば、レストランやショッピングモールなどの商業施設は充実しているし、街並み自体は中国の地方都市と変わらなかった。
ところが、いざウイグルの人々と親交を深めようとすると、「強烈な違和感を覚えた」と西谷氏は語る。
「とにかく雑談に応じてくれない。中国の人たちは日本人よりもおしゃべり好きの印象なのですが、ウイグルでは誰も本音を話さない。道案内などはしてくれますが、政治や歴史の話題は徹底して避ける。さりげなく、『海外で報じられているようなことは本当にあるの?』と聞いても、『わからない』の一点張り。
実は政治的な話題に言及しないのは、ウイグル人同士でも同様なのだそうです。現地で知り合った人にも言われました。『必ず誰かがどこかで見ていると思え』と。
ウイグルの人々は、家の中でもタクシーの中でも、誰かが見て聞いているかもしれないと考えます。だから、僕のような外国人相手だけでなく、基本的に他人には本音を話さない。
実際、ウイグルではスパイ行為の告発が推奨されており、親族に密告される恐れもあります。

2014年当時、ウルムチのモスクの様子
街は一見、平和そのものに見える。ただし、それは権力による監視と、市民同士の監視による相互不信の連鎖の産物でもあった。
しかし、それだけ徹底した監視体制の国だと理解したにもかかわらず、ここで西谷氏は驚くべき行動に出る。
「海外の情報では数年前に取り壊されたと報じられていたモスクが、現地では『修復のため閉鎖中』と高い壁で囲まれていました。真実を確かめたくて、すぐ近くにあった建設中のビルに忍び込みました。
その上から見下ろすと、中国政府の主張とは反対に、もはやモスクは存在せず、ただの広場になっていたのです。作業員に見つかり、つかみかかってきそうな勢いで『おまえ何者だ?』と迫られたときは、さすがに焦りましたね」

西谷氏が建設中のビルに忍び込んで撮影した写真。広場には、モスクの片鱗すら残っていなかった
かなりむちゃな行為だが、この時点では危険を冒したという意識はなかったそうだ。
「中国の嘘を暴くなんて気持ちはなく、ただ知りたいだけでした(苦笑)。もちろん、監視はすごいけど、警察が何かをしてくるわけではないし、滞在中に身の危険を覚える瞬間はなかった。
だから、『最悪、トイレを探して迷ったとか言えばいいだろう』と思ってしまったんです。まあ、このうかつさが自分の首を絞めることになるのですが......」
■スパイ疑惑で突然の拘束
ウイグルでは人々の本音を聞き出すことが難しい。なので西谷氏は、中国政府の迫害から逃れた人が多く住むとされる隣国のカザフスタンに向かった。
「最初は怪しい日本人の荷物検査くらいだったのだと思います。しかし、僕のスマホから中国関連の取材記録などが見つかってしまったことで、事態は急速に悪化しました。
中国政府から敵視されている〝反中組織〟とのつながりを疑われ、スパイ疑惑をかけられてしまったのです。なぜ事前にデータを消しておかなかったのか......。中国取材に慣れ、油断していたとしか言いようがありません。
中国について書いた記事や書籍についても検索されました。僕への印象は最悪です。その結果、大使館に連絡することも許されないまま、出口の見えない尋問が続きました」
時計も窓もなく、今が何時かもわからない尋問室で、西谷氏はひたすら、「おまえはスパイなのだろう」と迫られた。尋問は長時間に及び、「肉体が疲弊するだけでなく、徐々に精神も破壊されるのを実感した」という。
「特に問題になったのはウイグルに来た動機です。『興味があったから』という答えに相手が納得しない。
でも、僕は本当に興味だけで来たので、ほかに答えようがない(笑)。取り調べがやむ様子はなく、このままだと年単位の長期拘束もあるかもしれないと覚悟しました」
幸い、スパイ容疑で逮捕されることはなく、調書を取られただけで解放されたが、「今回の取材内容を世の中に発表したら、中国には永久に入れなくなる、とくぎを刺された」という。
しかし、その後も西谷氏はカザフスタンや日本でウイグルに関する取材を続け、その内容をこうして一冊の本にまとめた。強制収容所に関する証言も聞き出し、間違いなく中国政府にとって不都合な内容も含まれている。
「解放された直後はお蔵入りも仕方ないと思ったのですが、心身が回復するにつれ、自分の経験は世の中に伝える価値があるのではないかという気持ちが大きくなりました。
入国制限は中国関連の取材をする以上、常につきまとうリスクです。ついに自分にもそれがやって来た、と今では冷静に受け入れています」
■またウイグルに行きたい
中国によるウイグル支配の怖さを、身をもって体験した西谷氏。先日も、その深い闇を感じさせる出来事があった。
今年6月、チャンネル登録者数137万人の旅系ユーチューバー「バッパー翔太」氏が、ウイグル取材の模様をYouTubeに公開。現地の人々との対話や監視体制に関するリポートを含む内容で話題を呼んだ。しかし、それから約3ヵ月間にわたりチャンネルの更新がなく、ファンから安否を心配する声が上がった。
9月20日にチャンネルが更新され、「現在は日本にいる」と報告したものの、「どのようにウイグルから帰国したのか」「本当に拘束はなかったのか」などの疑問に対する具体的な言及はなく、「中国政府に言わされているのでは?」といった臆測を呼んでいる。
西谷氏は自身の経験を踏まえ、こう推測する。
「中国では拘束された人が、『私は無事だから心配しないで』と〝言わされる〟ことがよくあります。香港の書店員が失踪した事件でも、この手口が使われました。(バッパー氏も)間違いなく目はつけられたでしょう。
さすがに1ヵ月単位の拘束は国際問題に発展するので、今は実際に解放されているはずですが、『中国政府に都合が悪いことは言うな』と脅された可能性は大いにあると思います」
こうした話を聞くと、ウイグルは気軽に足を踏み入れるべき土地ではないように感じられる。ところが意外にも、「観光旅行に徹するならオススメ」と西谷氏は断言する。
「ごはんがおいしくて、雄大な景色も見られる。基本的には異国情緒にあふれたすてきな土地なんです。ただ、中国政府にとって不都合な領域に踏み込んだ瞬間、その旅は安全ではなくなります。
ウイグルの人からも、『新疆の美しい部分を見て、楽しい思い出をつくって帰ってくれたらそれでいい』と言われましたが、楽しい思い出をつくる場所としては、いい観光地だと今も思います。僕も中国政府さえ許してくれれば、またウイグルに行きたいですから」
●西谷 格(にしたに・ただす)
1981年生まれ、神奈川県出身。
■『一九八四+四〇ウイグル潜行』
小学館 2420円(税込)
新疆ウイグル自治区にスマホひとつで乗り込んだ筆者は、中国による苛烈な監視体制を目の当たりにする。モスクを破壊し現地の信仰を抑え込み、"善良な中国人"として再教育する―現地で"学習するところ"と呼ばれる強制収容所の実態を探ろうと聞き込みをしているうち、その闇に筆者自身もとらわれようとしていた......。ウイグルの今を照らした、渾身のルポ

取材・文/小山田裕哉 写真提供/西谷 格