ひろゆき×進化生態学者・鈴木紀之のシン・進化論⑩「〝進化論の...の画像はこちら >>

「ダーウィンは進化論を裏づけるため、膨大な実験と観察をやりまくったんです!」と語る鈴木紀之先生

ひろゆきがゲストとディープ討論する『週刊プレイボーイ』の連載「この件について」。進化生態学者の鈴木紀之先生をゲストに迎えた10回目です。

進化論を提唱し、世界中を驚かせたイギリスの生物学者、チャールズ・ダーウィン。彼はどうやって進化論にたどり着いたのか? どんな研究をしていたのか? 鈴木先生に聞きました。

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ひろゆき(以下、ひろ) 学者の立場からすると「ダーウィンのすごさ」ってどこなんですか? もちろん、進化論を唱えた人だっていうのは知っていますけど......。

鈴木紀之(以下、鈴木) ひと言で言うのは難しいのですが、ダーウィンのすごさは圧倒的な仕事量ですね。

ひろ 仕事量ですか。

鈴木 まず、進化論というアイデア自体が、当時の常識を覆す非常に独創的なものでした。そして、進化論はひとつの仮説ではなく、生物学全体の考え方を刷新するような「パラダイム(物の見方やとらえ方)」なんです。つまり、無数の仮説や証拠が複雑に積み重なってできた壮大な理論体系です。ダーウィンは進化論を裏づけるために、あらゆる角度から膨大な実験と観察をやりまくったんです。

ひろ でも、ダーウィン家ってめちゃくちゃお金持ちですよね。お金の力で人を雇ったりして研究を進められたから、それだけの仕事ができたという説は?

鈴木 ダーウィン家は確かにお金持ちでした。経済的な余裕と時間があったことは、間違いなく彼の研究を後押しした大きな要因だと思います。

ただ、同じ条件を与えられたからといって誰もが彼のような偉業を成し遂げられるわけではありません。実際、彼のお兄さんも同じように裕福な環境で育ちましたが、研究に没頭するわけでもなく、のんびりと暮らしたそうですから(笑)。

ひろ ダーウィンのすぐそばに比較対象がいるんだ(笑)。じゃあ、金にものをいわせてゴーストライター的な人を雇ったりとかは?

鈴木 それもないでしょうね。もちろん植物の実験などで庭師に手伝ってもらうといったことはありましたが、研究の根幹はすべて自分で行なっていました。それに、当時は文章もすべて手書きの時代ですから、ゴーストライターなんて雇ったらすぐにわかってしまいます。

ひろ 確かに、筆跡でバレバレですもんね。

鈴木 オーガナイザー(まとめ役)としても優れていたみたいで、国内外の協力者に仕事を頼む際も、常に効率的な方法で指示していたようです。

ただ、失敗もけっこうしているんです。現代でいう心理学の分野に興味が出たときに、あるアンケート調査を始めました。そこで彼は「恥ずかしいと感じたとき、皮膚は赤くなりますか?」といった、感情と身体的変化の関係を探る質問状を送ったそうです。でも、完璧を求めるあまり質問項目が非常に細かく、膨大な量になってしまった。

その結果、ほとんど返事が返ってこないという失敗談も残っているんです(笑)。

ひろ そもそも、ダーウィン家はなぜそんなに裕福だったんですか?

鈴木 当時のイギリスは現代のわれわれが想像する以上に厳格な階級社会でした。そして、ダーウィン家は「ジェントルマン」と呼ばれる上流階級に属していたんです。

ひろ 代々受け継いできた土地からの収入が潤沢にあったんだ。

鈴木 それに加え、ダーウィンの奥さんは有名な高級陶器メーカー「ウェッジウッド」の創設者の息子の子供でした。つまり、上流階級同士の結婚によって、さらに莫大な資産を築いたわけです。

ひろ でも、研究にはお金がかかりますよね。一族から「あいつは金遣いが荒すぎる」「働かずに親の金で道楽にふけるクソ野郎だ」みたいに思われてたんじゃないですか?(笑)

鈴木 確かに、父親はダーウィンの将来を非常に心配していたようです。ダーウィンは大学を卒業しても定職に就かず、目的もないまま過ごしていました。そんな折、ビーグル号での世界一周航海の話が舞い込んで、それに参加して5年近くも家を離れることになるんです。

ひろ ここだけを切り取ると、ただのボンボンが「卒業したけど働くのは嫌だから海外旅行にでも行くか」くらいのノリで家を飛び出し、5年くらい世界をフラフラするみたいな〝クソ野郎コース〟じゃないですか?(笑)

鈴木 そうですね(笑)。ところが、この航海が彼の人生を決定づけます。

旅の途中で珍しい化石を次々と発見し、その情報が本国イギリスに伝わることで、彼は科学者として一躍有名人になるんです。そして帰国する頃には、反対していた父親も「これだけの実績があるなら、科学者として生きていくのもよかろう」と認めざるをえなかったみたいです。

ひろ ちなみに、そのビーグル号にはダーウィン以外の乗組員も大勢いたわけですよね? ほかの人たちにも何かを発見するチャンスはあったんですか?

鈴木 実は、ビーグル号で自然観察を目的として乗船していたのは、ほぼダーウィンだけだったんです。ビーグル号はイギリス海軍の調査船で主な任務は測量でした。ダーウィンはあくまで「自然科学の調査をしたい」という願望で、ゲストとして同乗を許可された形です。当時イギリスは世界中に植民地を持っていましたから、現地の動植物や自然環境の情報を収集することは、国家や軍にとって重要でした。

ひろ 自国の植民地の「何が食料になって、どこで飲み水が手に入って、地形はどうなっているか」といった情報は不可欠ですもんね。 

鈴木 あと、ダーウィンが乗船できたのには、もうひとつ裏の理由があったようです。彼は船長の「話し相手」だったんです。

ひろ 話し相手?

鈴木 ビーグル号の船長は貴族階級の非常に教養のある人でした。一方で、乗組員たちは荒っぽい船乗りたちです。つまり、船長と乗組員とでは階級が違った。


ひろ なるほど。周りはみんな教養がないから、教養のある自分としては同じレベルで経済や政治の話ができるインテリが欲しいと。

鈴木 でも、普通に考えたら、船長の話し相手をするために何年も続く航海に参加する人なんていませんよね。だけど、ダーウィンのようにあり余る時間と深い探究心を持った生物マニアだったら、「世界中の珍しい動植物を見て回れるなんて最高だ!」と喜んで参加するじゃないですか。

ひろ ちなみに、ダーウィンは給料はもらえたんですか?

鈴木 いえ。正式な乗組員ではないので給料は一切なし。航海にかかる費用はすべて自腹でした。もちろん、そのお金は親が出したものです。

ひろ 自腹なんだ。じゃあ結局、親の金で世界一周クルーズに参加したボンボンですね。すると今のところ僕の中でダーウィンは、親のコネで有名私立大学に入学して卒業後も「働きたくない」とか言ってブラブラしてる究極のクソ野郎コース説が拭えないですよ(笑)。

鈴木 あはは。


ひろ でも、そんなダーウィンが人類史に名を残す大発見をするわけですよね。続きは次回に聞かせてください!

鈴木 はい。ダーウィンがいかにして生物の世界を解き明かす理論にたどり着いたのか。その壮大な知的冒険の始まりこそが、ビーグル号の航海なんです。次回はそのあたりをお話ししますね。

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■西村博之(Hiroyuki NISHIMURA) 
元『2ちゃんねる』管理人。近著に『生か、死か、お金か』(共著、集英社インターナショナル)など 

■鈴木紀之(Noriyuki SUZUKI) 
1984年生まれ。進化生態学者。三重大学准教授。主な著書に「すごい進化『一見すると不合理』の謎を解く」「ダーウィン『進化論の父』の大いなる遺産」(共に中公新書)などがある。公式Xは「@fvgnoriyuki」

構成/加藤純平(ミドルマン) 撮影/村上隆保

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