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普及率80%でも有効活用できていないマイナンバーカード

運用開始から10年、マイナンバーカードの普及率は80%に。しかしその裏では、ひもづけミスや制度設計の遅れが続き、「結局、何に使えるの?」という不信はいまだ拭えない。

一方で、専門家は「本当は日本社会を大きく変える力を持つ制度だ」と断言する。このギャップはどこから生まれ、なぜ埋まらないのか。そして次の10年に向けて、何が必要なのか。

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【ポイントで釣って普及率アップ】

来年1月で、2016年の運用開始から10年となるマイナンバーカード。当初は普及が進まず、用途も限られていたため「もう10年?」と意外に感じる人も少なくないだろう。トラブルや制度上の混乱も続いたが、この10年の歩みはどう評価すべきなのか。

マイナンバー制度の基礎にもなった「住民基本台帳ネットワークシステム」(住基ネット)の開発に携わり、行政手続きのデジタル化に詳しい行政システム総研顧問の榎並利博氏はこう語る。

「まず理解してほしいのは、マイナンバーカードというのはマイナンバー制度の一部でしかないということ。その上で、カードの普及だけを見れば、今や80%近い普及率ですから、ある程度は予定どおりに進んだと言えるでしょう。

しかし、10年で日本がマイナンバー制度を有効に活用できる社会になったかといえば、残念ながら、まだそこには遠く及びません」

カードは普及したが、制度は生かしきれていないとはどういうことか。

「マイナンバーカード」苦難と迷走の10年史 普及率80%でも"デジタル国家"には遠く及ばない理由
現政権の松本尚デジタル大臣は、就任会見で制度設計の遅れと国民の不信がボトルネックだと指摘し、信頼回復とDX化に改めて取り組む姿勢を示した

現政権の松本尚デジタル大臣は、就任会見で制度設計の遅れと国民の不信がボトルネックだと指摘し、信頼回復とDX化に改めて取り組む姿勢を示した

「例えば医療分野では、マイナ保険証が導入され番号の活用が進み始めていますが、関連する法整備が追いついていません。そのため、医療機関や薬局ではマイナンバーを直接利用できず、別の電子証明書とひもづけるという中途半端で危なっかしい運用になっています。

医療分野に限らず、せっかく『マイナンバー』という、個人を特定し証明できる番号の仕組みを作ったのに、それを有効に活用するために必要な法整備や行政の手続きのデジタル化、標準化が十分に進んでいないのが現状です」

振り返れば、この10年は紆余曲折(うよきょくせつ)の連続だった。

2015年、番号法(マイナンバー法)の施行に基づき、日本の全住民に12桁の個人番号「マイナンバー」を割り当てる作業がスタート。同年10月には、個人番号の通知カードの郵送が始まり、翌16年1月からマイナンバーカードの交付が本格的に始まった。

12桁の個人番号が記され、電子証明にも対応したICチップを搭載するマイナンバーカードは、当時、欧米に比べ遅れていた日本の行政サービスのデジタル化・効率化を一気に進める切り札として期待されていた。

しかし、導入当初は利用できる分野が限られ、カード利用に関する行政の連携も不十分だった。期待とは裏腹に利用は進まず、17年には活用を促すためのオンラインサービス「マイナポータル」の本格運用が始まったものの、カードの普及率は約10%にとどまった。

そこで政府は、カードの普及率アップを狙って、20年から利用者に最大5000ポイント(5000円分)を付与する「マイナポイント制度」に踏み切った。しかし、目標としていた「4000万人分のポイント付与」に対し、実際の申し込みはその10分の1程度にとどまり、期待された普及の大幅な加速は実現しなかった。

榎並氏はその背景に「マイナンバー制度に対する国民の誤解と忌避感がある」と指摘する。

「マイナンバー制度は本来、行政手続きをデジタル化し効率化することで、国民生活をより豊かで快適にするための仕組みです。

ところが導入当初は、『国家が国民を管理・監視するための番号だ』というネガティブなイメージが広がり、単なる識別番号に過ぎない12桁の数字を、まるで"他人に知られてはいけない秘密の番号"のようにとらえてしまう人が少なくありませんでした。

それに拍車をかけたのが政府側の対応です。

カード交付時に番号が見えないようにマスキングしたり、誤って別人に通知カードを送ってしまった際に『番号が見られた』として番号を変更して再発行したりと、過剰とも言える措置が続いた。こうした対応こそが、かえって番号への忌避感を強めてしまったのです」

「マイナンバーカード」苦難と迷走の10年史 普及率80%でも"デジタル国家"には遠く及ばない理由
ほぼすべての医療機関がマイナンバーカードを保険証として利用できる設備を整えているが、実際の利用者は37%ほどだという

ほぼすべての医療機関がマイナンバーカードを保険証として利用できる設備を整えているが、実際の利用者は37%ほどだという

その結果、20年に新型コロナのパンデミックが日本を直撃し、緊急事態宣言下の給付金の手続きでマイナンバー制度やマイナポータルの存在への注目が一気に高まったものの、国や自治体の手続きは旧態依然のままだった。他国がスピーディにコロナ対応を進める中、日本の政府や行政のITインフラの脆弱(ぜいじゃく)さがむしろ浮き彫りになった。

それでも21年には「マイナ保険証」の運用がスタート。さらに22年には、カードを申請して健康保険証や公金受取口座とひもづけると最大2万ポイント(2万円分)が付与される「マイナポイント」第2弾が始まり、これが大きな転換点となった。ポイント加算の後押しもあり、マイナンバーカードの申請者が一気に増加したのである。

しかし、今度は申請者が一気に増えたことで、登録の窓口が混乱。自治体や業務委託を受けた業者による申請手続きの登録ミスなども多発しながらも、普及率は50%前後まで上昇した。

一方で23年には、「他人の医療保険情報が閲覧できる」「他人の公金口座がひもづく」「コンビニ交付で他人の住民票が出る」など、ひもづけミス問題が相次いで発覚。デジタル庁は約半年かけて「マイナンバー情報総点検」を行なう事態に追い込まれた。

順風満帆とは言えない道のりだったが、近年は普及率が約80%まで上がり、今年3月には運転免許証の情報をマイナンバーカードに一体化した「マイナ免許証」の運用が開始。

25年12月2日からはついに紙の健康保険証が廃止され、マイナ保険証へ完全移行した(暫定的に紙の資格確認書も併用)。

マイナンバーカードのスマートフォンへの搭載も始まるなど、制度はようやく日々の生活に不可欠な存在になりつつある。

【うまく活用できれば数兆円規模の税収】

しかし榎並氏は、「マイナンバーはもっと有効に活用できるはず」と強調する。その上で、「必要なのは日本人が『お上(国家権力)に管理される側』という古い感覚から脱し、マイナンバーを自分たちのための道具として積極的に使う主体へと意識を切り替えることだ」と指摘する。

「マイナンバーカード」苦難と迷走の10年史 普及率80%でも"デジタル国家"には遠く及ばない理由
榎並利博氏

榎並利博氏

「マイナンバーはさまざまなデータを個人と確実にひもづけられる仕組みですよね。こう聞いて、『国に収入や健康情報を握られて悪用されるのでは』と心配する人もいますが、実際にはそうした懸念とは逆なんです。

この制度を適切に使えば、例えば金融所得で大きく稼ぐ高所得者の資産も正確に把握できます。現状は、株や預金を複数の口座に分散されると名寄せ(データ統合)ができず、分離課税にせざるをえない。

しかし、すべての資産と所得がマイナンバーでひもづけば総合課税が可能になる。金融資産の大部分を富裕層が保有していることを考えれば、累進課税を強化するだけで数兆円規模の税収が生まれます。

さらに、自分のデータを『誰が』『いつ』閲覧したかはマイナポータルで確認できる仕組みになっており、むしろ紙の時代よりも透明性は高い。不審な閲覧があれば、第三者機関である個人情報保護委員会に訴える制度も整備されています。つまりマイナポータルは、国民が政府を監視する仕組みでもあるのです。

マイナンバー制度は国のためではなく、私たち自身の生活を支えるツール。その意識でもって今後の活用方法を議論したり、そのための法整備を訴えたりすることが重要だと考えます」

●榎並利博 Toshihiro ENAMI 
行政システム総研顧問 蓼科情報主任研究員。1981年に富士通に退社後、住民基本台帳などのシステム開発に携わる。著書に『共通番号(国民ID)のすべて』(東洋経済新報社)など

取材・文/川喜田 研 写真/時事通信社 Adobe Stock

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