セパタクローの男子日本代表が、データ活用でたどり着いた世界の...の画像はこちら >>

25年7月に開催されたセパタクロー世界選手権で初の金メダルを獲得した男子日本代表。協会発足から36年で悲願を達成した

2025年、セパタクローの男子日本代表が金字塔を打ち立てた。

7月にタイで行なわれた「第38回 KINGS CUP 世界選手権大会」の「クワッド」種目で金メダルを獲得。日本にセパタクローが伝わって36年、4年に1度のアジア大会を含む主要国際大会で初めて世界の頂点に立った。

宙返りしながらボールを蹴り込むといったアクロバティックなプレーが魅力で、〝空中の格闘技〟と呼ばれるセパタクロー。東南アジアにルーツを持ち、国技に認定されているタイやマレーシアをはじめ、インドネシアやミャンマー、ベトナムでも盛んに行なわれている。

アジア大会の「チームレグ(団体戦)」は最も盛り上がる花形種目で、1998年のバンコク大会から23年杭州大会までタイが7連覇中。マレーシアは90年の北京大会で金メダルを獲得した後、6大会で銀メダルに甘んじるなどタイの後塵を拝している。

ライバル関係にあるタイとマレーシアはプレースタイルが異なり、サッカーにたとえるならブラジルとアルゼンチンといったところだ。

セパタクローの男子日本代表が、データ活用でたどり着いた世界の頂点
空中の格闘技とも呼ばれる激しい攻防が魅力のセパタクロー。タイなどが覇権を握る中で、日本が風穴をあけた

空中の格闘技とも呼ばれる激しい攻防が魅力のセパタクロー。タイなどが覇権を握る中で、日本が風穴をあけた

かつてタイと日本の間には、絶望的な実力差があった。1点を取ることさえ至難の業。あからさまに手加減をされたこともある。かつて日本のトップ選手として活躍し、現在は日本セパタクロー協会の常務理事兼事務局長を務める矢野順也は、当時をこう振り返る。

「タイはすごく優しい国で、1点も取れない日本に対して、気づかれないように2、3点をくれるんです。相手の尊厳を傷つけないように、『また来てね』という意味も込めて気持ち良く帰ってもらう。それが30年たって、今回の世界選手権では、準決勝でタイに勝ったベトナムを破って日本が優勝した。感慨深いですよ」

躍進の要因として不可欠だったのが、若手の台頭だ。慶應義塾大学出身、27歳の春原涼太は、「頭を使って勝て」と叩き込まれてきた。

「自分が大学生のときに感じたのは、セパタクローは曲芸に近い〝サーカス集団〟だということです。身体能力が高い人がすごいことをして点を取る。

でも、例えばタイの場合、何万人、何十万人から代表選手が選ばれるわけで、分母の数で比較すれば日本はシンプルに負けてしまいます。自分は『サーカスからの脱却』と勝手に言っているのですが、大事なのはデータを活用しながら、意図のあるプレーをすることです」

個の力から組織の力へ――。追い風になったのは、4人ひと組で行なわれる「クワッド」種目の採用だ。

セパタクローの男子日本代表が、データ活用でたどり着いた世界の頂点
日本が「クワッド」種目で相手の攻撃を防いだ、ネットに背中を向けるブロック。強豪国が使わない戦術で優位に立った

日本が「クワッド」種目で相手の攻撃を防いだ、ネットに背中を向けるブロック。強豪国が使わない戦術で優位に立った

セパタクローは3人ひと組の「レグ」種目が基本で、アタッカー、トサー、サーバーとポジションが分かれている。

「レグ」では個の力量が、そのままチームの強さを表していたが、「クワッド」はアタッカーが2人になることで攻撃の選択肢が増えるため、トサーの配球次第で試合の流れが大きく変わる。

また、複数人でブロックに跳ぶことによって、相手のアタックのコースを制限し、戦略的にレシーブの陣形を取ることができる。

「もしかしたら、この種目はチャンスがあるんじゃないか」

いち早く目をつけたのが、日本代表監督の寺島武志だ。さまざまなスポーツでデジタル化が進む中、セパタクローもデータを分析して戦略に生かすようになった。

コーチの松田祐一が相手のアタックのコースをノートに手書きで記し、それをベースにブロックの跳ぶ位置、タイミングなどをチーム内で共有した。実践とフィードバックを繰り返し、データに対する理解を深めていった。そして成果が出ることで、自信につながった。「そうした積み重ねが、今回の世界選手権でも機能した」と春原は言う。

一方で、長い歴史を持つタイやマレーシアは、新しい種目への関心が薄いようだった。王者のプライドが足かせになるのか、ネットに背中を向けたブロックをしない。これまでの定石に従って、1人がジャンプして足でブロックをしていた。

ベトナムとの決勝戦は、勝つべくして勝った。

開始早々、ベトナムのアタックを佐藤優樹、市川遥太、春原の3人がブロックで仕留めた。横一列に並んだ3人がネットに背中を向けて跳ぶブロックは、日本が磨いてきた武器のひとつだ。春原は、「出だしのブロックがハマった」と振り返る。

「試合前に映像で見たんですが、ベトナムはトサーが真ん中にトスを上げて、それをエースアタッカーが打ち込んでくるスタイルでした。

そのデータを基に自分たちも真ん中でブロックを跳んだら、本当にそこで止まった。点が取れただけでなく、相手が想定どおりの戦い方をしてきたので、『これはいけるかも』と全員がポジティブになりました」

第1セットを15-7で圧倒すると、第2セットも日本の勢いは止まらない。1点目は佐藤のアタック。トサーの春原がネットの左端いっぱいに速いトスを上げ、相手のブロックを遅らせた。日本が得意とする幅を使った速い攻撃が決まり、最後は市川のローリングアタックで15-10。セットカウント2-0で歓喜の瞬間を迎えた。

監督の寺島の目線は、すでに先を見据えていた。

「世界的に見たら、日本のセパタクローは強豪国に片足を突っ込んでいるくらい。

そこで勝てるようになるかというと、既存のやり方では難しい。他国も成長している中で、何かしらのイノベーションを起こさないといけません。

今度は追われる側に回るし、対策もされるでしょうけど、今回の優勝で心理的な優位性が生まれたことは間違いない。そういう意味では、いい経験ができたと思っています」

世界選手権の金メダルは、気が遠くなるほどの時間をかけて積み重ねられた経験と、そこに裏打ちされた組織力が生んだ快挙だった。では、日本のセパタクローにとって、金メダルはゴールだろうか。おそらく違う。セパタクローに関わるすべての人間がこれからをどう生きるか。そこで、真の価値が決まる。

そんな日本代表も含め、選手たちは「駒沢を埋め尽くせ」のスローガンの下、12月27、28日に開催される全日本セパタクロー選手権大会(東京・駒沢オリンピック公園総合運動場屋内球技場)に臨む。そして来年9月の愛知・名古屋アジア大会へと突き進む。

取材・文・撮影/岩本勝暁 写真/日本セパタクロー協会 高須力

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