米軍が児童館に無断侵入し、落下したパラシュート機材を回収.....の画像はこちら >>

パラシュートで降下する米兵(写真はイメージです)

「夜空から人が降ってきた」。

先月中旬、東京都西部の住宅街でそんな驚きの声が上がった。

11月18日、アメリカ軍横田基地の人員降下訓練中に一人の米兵がコントロールを失い、隣接する羽村市内の民家にパラシュートで不時着する事故が発生した。民家の屋根が壊れる被害が出て、米軍は訓練を一時中止する事態となった。しかしこの〝ヒヤリ〟事故からわずか2日後、今度は福生市内でさらなる衝撃の出来事が待ち受けていた。

福生市熊川の児童館で、職員が異変に気付いたのは12月1日のことだった。屋上に見慣れない布状の物体が引っかかっており、調べるとそれは米軍パラシュートの一部だった。実は先の米兵落下事故の2日後、11月20日に横田基地で行われた降下訓練の際、風に流されたパラシュートが基地外へ落下していたのだ。

【落下地点に無断で侵入し秘密裏に回収】

「本来なら直後に公表されるべき『重大インシデント』ですが、米軍はなんと事故発生当日に無断で施設内に立ち入り、落下傘(パラシュート)の機材を回収していたのです。基地から約100メートル離れた市立児童館の敷地に落ちたパラシュート部品を、基地所属の兵士が夜陰に乗じてこっそり持ち去っていました。屋上に残された予備傘の一部を職員が発見するまで、事態が明るみに出ることはありませんでした」(全国紙社会部記者)

お粗末なのは、日本政府の対応だ。この一件は児童館の職員からの防衛省への通報で発覚したのだが、一般市民からの一報があるまで、防衛省側は事態を把握していなかったのだという。防衛省は、米側に落下についての通報がなく、児童館への無断立ち入りに踏み切ったことに遺憾の意や強い懸念を伝えたとされるが、事態の経過を見ると、米軍が事故を〝隠蔽〟しようとしていた可能性が高い。

米軍が児童館に無断侵入し、落下したパラシュート機材を回収...。繰り返される越権行為と懸念を表明するだけの日本政府
不時着の一件を生んだ横田基地

不時着の一件を生んだ横田基地

「遺憾」や「懸念」でお茶を濁そうとする日本政府と立場を異にするのは地元自治体である福生市だ。
加藤育男市長は「事故が起きた時点で公表がなく、無断で敷地に入ったことは極めて遺憾である」と述べ、国および在日米軍司令部に対して強い抗議の意を表明した。

人命に関わりかねない重大事故が続けて起きていながら事後報告すらなかったことに、市長は、「極めて遺憾で強く抗議する」と怒りをにじませた。

防衛省北関東防衛局からも、米側には再発防止と原因究明の徹底が申し入れられたというが、米軍側の反応は実にのんきなものだった。

「米軍側から公式発表が出たのは市の抗議を受けた後のことでした。福生や立川、羽村など東京都内の米軍基地周辺自治体では基地反対運動が大きく盛り上がることもなく、〝共存共栄〟のような関係を築いてきました。

そうした関係性はあるにせよ、基地周辺で暮らす住民たちにとって、頭上からの米軍機部品落下は以前から不安の種ではあったのは間違いありません。不安が現実のものとなった上、米軍が密かに回収までしていたことへの衝撃と不信は少なくありません」(同前)

【教訓にされなかったヘリ墜落事件】

ただ、こうした事態が日本国内で起こるのは今回が初めてというわけではない。米軍専用施設の約7割が集中する「基地の島」沖縄では、既視感ある出来事として受け止められた。

2004年8月、米軍普天間飛行場にほど近い、県中部の宜野湾市で起きた沖縄国際大学への米軍大型ヘリ墜落事故と酷似していたからである。

「2004年8月13日、沖縄県宜野湾市の沖縄国際大学に米海兵隊所属の大型輸送ヘリ『CH―53D』が墜落・炎上する大惨事が発生しました。幸い当時は夏休み中で、校舎内に教員や学生がほとんどいなかったこともあり、死者やけが人は出ませんでした。

ただ、大学校舎に激突した機体は真っ黒に燃え上がり、米軍基地外で起きた事故として全国に衝撃が走りました。

しかし、それ以上に沖縄の人々を震撼させたのは事故直後の米軍の振る舞いでした」(沖縄のメディア関係者)

事故後、ヘリの火災が消し止められると、すぐさま米軍が墜落現場を厳重に封鎖し、日本の警察・消防・行政関係者、そして大学関係者ですら現場に立ち入ることを許さなかったのである。状況確認に駆けつけた沖縄県警や宜野湾市の消防も門前払いを食らい、墜落機の残骸は米軍によって基地内へと強制的に回収されてしまった。

この米軍単独の現場介入は、沖縄県民の怒りを買っただけでなく、「日本の主権が踏みにじられた」として全国的な議論を呼んだ。当時の沖縄県警刑事部長は県議会特別委員会で、「捜査を展開する意味では(事故機は)現場に残した方がいいが、米軍の財産を規制することは県警にはできない」と無念さを滲ませてもいる。

米軍の対応によって日本側の捜査に支障が生じているとの認識も示され、実際に沖縄県警は航空危険行為処罰法違反容疑で捜査を試みたものの、日米地位協定の壁に阻まれて事故原因の全容解明には至らなかった。事故現場からは土壌に至るまで米側に回収されてしまい、放射性物質を搭載していたヘリの部品についても詳細な検証ができなくなったと伝えられる。

【米軍の財産に対する捜査権は日本側には無い】

本来であれば、大学構内や市の児童館といった日本の民間地で事故が起きた場合、日本の警察や行政当局が現場検証や原因調査を主導するのが筋だ。しかし米軍機事故となると話は別だ。背景にあるのは、日米安保条約に基づく日米地位協定という特殊な取り決めである。前述の沖縄国際大での対応も、地位協定の付属文書「合意議事録」において「米軍の財産」を差し押さえる権利が日本側にないなどと明記されていることが根拠となった。

「つまり、場所が日本国内のどこであれ、米軍機の機体や部品といった『米軍財産』については日本の警察権が及ばないという、いわば治外法権が認められているわけです。このため、沖縄のみならず首都圏においても米軍機の事故対応では米側が優先権を握り、自治体や日本側当局は後手に回らざるを得ない現実があります」(同前)

戦後80年が経過した今なお、私たちの足元には知られざる〝占領の影〟が色濃く横たわっているのである。

文/安藤海南男 写真/photo-ac.com、unsplash.com

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