【寺地拳四朗】終わりか、始まりか――すべては誇りのために。<...の画像はこちら >>

試合は行われなかった。

それが、リヤドの結末だった。

2025年12月27日、サウジアラビアの首都リヤドで開催されたボクシング興行、『The Ring V: Night of the Samurai(ナイト・オブ・ザ・サムライ)』。スーパーフライ級にステップアップし、3階級目の世界王座を目指した寺地拳四朗は、IBF世界スーパーフライ級王者、ウィリバリド・ガルシアの棄権により、"試合中止"というよもやの結末で、サウジを去ることになった。

2025年7月30日、リカルド・サンドバルに僅差判定で敗れ、世界王座から陥落してから、12月27日を迎えるまでの日々――。

人知れず積み重ねた準備と覚悟、仲間の支えと思いを胸にこの日を迎えた拳四朗にとって、150日間の日々はどんなものだったのか。そして、いま彼が胸中に抱くものはーー。*4回連載/第3回

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WBAとWBCの世界フライ級タイトルを同時に失いながらも、即座に再起を誓った拳四朗。現役続行の意思を加藤に伝えた3日後、届いたのは、諦めかけたリヤド・シーズンへの参戦オファーだった。

試合は、一階級上――IBF世界スーパーフライ級王者、ウィリバリド・ガルシア(メキシコ)への王座を懸けた挑戦。勝てば世界三階級王者に。そして、サンドバル戦の敗北で一度は諦めかけたバムとの対戦も、勝利すればふたたび可能性も見えてくる。いやもしかしたら、最初で最後のチャンスになるかもしれなかった。

「絶対、受けるべきだ」と強く勧めた加藤。

しかし、拳四朗は即答せず、加藤から少し視線をずらした。

現役続行に対する覚悟のブレは一切ない。「欲張らずに一歩一歩、地道に技術を積み上げて、もう一度、世界を目指します」と誓ったように、負けたことで、逆にボクシングに対する情熱はより高まった。しかし、世界戦だけでも通算18試合戦ってきた。さらに、ここ数年は毎回のようにボクシング史に残る激戦を繰り返して来た"元"世界王者の心は、想像以上に疲弊していた。

拳四朗、相当、疲れているな――。

加藤は考え込む拳四朗の横顔を見て、深い疲労を悟った。しかし、時は待ってはくれない。マッチメークは、選手の都合や体調、そして感情など関係なく、ファンの期待するカード、注目度の高い興行を提供することを最優先するプロモーターの意向で決まる。

再起戦でいきなり世界戦――。

しかも相手は一階級上――。

負ければリングにグローブを置くことも考えなければならない。

「拳四朗には、『チャンスを自ら捨て、ゆっくり準備をして試運転のような再起戦をする必要はあるのか』と伝えました。王座陥落したにも関わらず、大きなチャンスを頂けた。それは拳四朗が積み上げて来た実績であり信頼でもある。なのに、もしオファーを断れば、『それはプロとは言えない』と自分は思いました」

加藤の言葉に、拳四朗は黙って耳を傾けていた。やがてゆっくりと顔を上げると、加藤の視線を正面から受け止めた。

「正直言うと、あまりに予想外の展開で驚きました」

サンドバッグを叩く乾いた衝撃音と、パンチに合わせて上がる短い気合いが、熱気を帯びたジムの空気の中、拳四朗の言葉が静かに響いた。

「でも......」

拳四朗はそう言うと、少し間を置いて続けた。

「自分も、こんな有難いオファーを断るのは、"プロとして失格"と思っています」

拳四朗は加藤を見据えたまま、明瞭な声で答えた。

ボクシングの技術だけでなく人生に対しても、拳四朗は時に迷いつつも自分で考えて判断し、向き合えるようになっていた。新たな取り組みはすぐに結果は出ず、サンドバルに敗れて世界王座からは陥落した。それでも、拳四朗はひとりのボクサーとしては大きく成長した。加藤はそう思った。

「リヤド、行きます」。

【寺地拳四朗】終わりか、始まりか――すべては誇りのために。<第3話/プロボクサーとしての宿命>

試合は2025年12月27日――。

勝っても負けてもボクサー人生を大きく左右する試合に向けて動き始めた拳四朗は、8月の1ヶ月間のみ、ロードワークやジム通いなど軽く体を動かしつつ休暇を取ることにした。

「どれだけ厳しい練習でも、最後までやり切れる覚悟を持って戻ってきます」

加藤とそう約束を交わした。

【再起を誓うもうひとりのボクサー】

東京・三迫ジム――。拳四朗が束の間の休息で鋭気を養い再始動に備える間、同じように王座陥落し、再起戦を控えたあるボクサーがまもなく迎える再起戦に向けて、連日、ハードワークをこなし、鋭い眼光でひとり黙々とサンドバッグを叩き続けていた。

普段は寡黙で朴訥。しかし、ひとたびリングに上がれば豹変し、拳四朗にも臆することなく牙を剥く男――。元日本ライトフライ級王者、川満俊輝である。

沖縄・宮古島出身の30歳。川満もまた、"まだ終われない"という理由を抱えたボクサーだった。そして、川満の存在は、拳四朗の気持ちをさらに奮い起こし、闘争心に炎を灯すきっかけになる。

【寺地拳四朗】終わりか、始まりか――すべては誇りのために。<第3話/プロボクサーとしての宿命>

●寺地拳四朗(てらじ・けんしろう) 
1992年生1月6日生まれ、33歳。京都府出身。B.M.Bボクシングジム所属。2014年プロデビューし、2017年、10戦目でWBC世界ライトフライ級王座獲得。9度目の防衛戦で矢吹正道に敗れて王座陥落するも、翌2022年の再戦で王座奪還。同年11月には京口紘人に勝利してWBA王座獲得し2団体統一王者。2025年3月、ユーリ阿久井政悟とのWBA&WBC世界フライ級王座統一戦でも勝利し、2階級世界2団体統一王者。同年7月、リカルド・ラファエル・サンドバルに判定負けし王座陥落。2025年12月27日、サウジアラビアの首都リヤドで開催されたスーパーフライ級転向初戦は、IBF世界同級王者、ウィリバルド・ガルシア(メキシコ)の棄権により直前で中止になった。通算戦績27戦25勝(16KO)2敗。

取材・文・撮影/会津泰成

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