北の富士勝昭氏との思い出を語る著者の藤井康生氏
長らくNHK『大相撲中継』の解説を務められた第52代横綱・北の富士勝昭氏が他界されたのが、2024年11月のこと。
実況アナウンサーとしてコンビを組むことの多かった藤井康生氏が、1周忌に際してその生い立ちから相撲人生、親方時代、解説者時代を振り返った『粋 北の富士勝昭が遺した言葉と時代』は、〝北の富士愛〟あふれる一冊だ。
* * *
――北の富士さんが他界されて、1年余り。歯に衣着せない解説がお茶の間で人気でしたね。実況アナウンサーとして苦労したことなどはありましたか?
藤井 日本相撲協会の執行部だった北の富士さんが退職されて、1998年からNHKの専属解説者を務められたのですが、私はそこから四半世紀ほど放送でご一緒させていただきました。
私が取組の実況をして、その後はすぐに北の富士さんの話に持っていくのですが、毎回ウイットの利いたコメントをいただいて......。その話が面白すぎて、『次の取組の実況で遮ってしまうのがもったいない』と感じたことばかりが思い出されます(笑)。
――北の富士さんは、テレビよりもラジオの解説がお好きだったそうですね。
藤井 ええ。「テレビより、ラジオのほうが聴いている人がはるかに少ないでしょ。解説をやってても気は楽だよね。少々のことなら、何を言っても許してもらえるって気持ちでしゃべれるから自由でいいよね。こう見えても、テレビではかなり気を使っているんですよ」って北の富士さんはおっしゃるんですよ。
確かにラジオのときのほうが、話の魅力や奔放な面白さがより発揮される感じはありました。
――服装やたたずまい、すべてが「粋」だった北の富士さん。藤井さんが本書で披露している実況中の出来事も「粋」ですね。
藤井 勝負が決まった後、ある力士のさがり(まわしの前に下げるひも状の装具)が、たまり席の前から3列目辺りに飛んだのです。それを手にしたお客さま同士がバトンリレーのように呼出さんの元に返して、最終的に本人の手に渡ったというシーンがありました。私はそれを実況で説明したのですが、北の富士さんはひと言、「残念だねえ」と言われたんです。
――「残念だねえ」ですか?
藤井 ええ。北の富士さんいわく「そんなのめったにないことでしょう。宝くじに当たるより難しい。さがりを普通に(力士に)返してはダメですよ。
財布から1万円札を出して、さがりにつける。それを見た隣の席のお客さまも財布を出す。
確かにそうですよね。私が子供の頃は、花道を下がっていく力士の背中に周りのお客さまがお札を張るシーンをよく見かけたものです。
――ちょうど、北の富士さんが現役バリバリの頃ですよね。ところで、藤井さんは北の富士さんと〝不思議な縁〟があるそうですね。
藤井 ええ。私は1984年から大相撲実況を始めたのですが、しばらくして北の富士さんが力士になるために上京された日と、私が生まれた日(1957年1月7日)がまったく同じだということを知ったのです。
それから約3年後に九重部屋の朝稽古を取材した後、部屋でちゃんこをいただいたのですが、私は北の富士さん(当時は九重親方)にその話をしてみました。
そうしたら、「藤井さん、その日に生まれたの? これは大変な奇跡だねえ。いやあ、縁があるねえ」とおっしゃってくださって。子供時代のヒーローで、雲の上の方のように感じていた北の富士さんに少し近づけたようで、とてもうれしかったですね(笑)。
――「飲み」の席でも粋だったと聞いています。
藤井 20年ほど前の九州場所中、「藤井さん、アナウンサーを10人くらい集めて」と言われたので、同僚たち10人と指定されたちゃんこ屋さんに伺いました。するとその場に北の富士さんが宿泊しているホテルの女性従業員が招待されており、加えてコンパニオンさんも呼んでくれていたのです。
そして宴が終わると、女性たちひとりひとりにポチ袋に入れたご祝儀を渡すのです。その後は男性陣だけでクラブに連れていってもらったのですが、そこでも飲み方はスマート。「こんな人になりたい」と、どれほど憧れたことか......。
――うらやましいです! お酒が好きな方でしたから、お酒にまつわるエピソードは多いでしょうね。
藤井 もう時効だと思うのでお話ししますが、ある場所の千秋楽の放送時のことです。この場所は14日目に優勝が決まってしまっていたこともあって、「つまんなくなっちゃったねえ。昨日は優勝争いももう少しもつれるのかと思って見ていたけど、すんなり決まっちゃったねえ」と北の富士さんは挨拶もなしに、いきなりグチで解説を始めたんです。
そして、放送席のテーブルに「タフマン」のボトルを置きました。すると土俵入りが進んでいくうちに、なんともいえない高級な香りが漂ってくるんです。
ニュースで数分放送が途切れたときに「特別にいい香りですね~」と私が話を振ると「ああ、これ? わかる? バランタインの30年。バランタインのボトルをそのまま放送席に置けないから、移し替えて持ってきたんだよ。藤井さんも飲む?」とおっしゃるので、私も焦りましてねえ(笑)。
視聴者の興味が半減した千秋楽。自分の気持ちを鼓舞して、解説だけでも盛り上げようとする北の富士さんなりの気遣いだったのでしょう。缶チューハイも定番でしたよ。向正面で解説をされている舞の海さんも、「あ、一杯始まったな」とわかっていたそうです。口調がより滑らかになって、調子が出てきたなって(笑)。
――豪快ですね。本書には解説者時代の話だけでなく、入門時は細身のため苦労するも横綱に上り詰めるまでのお話などが満載です。
藤井 北の富士さんがお話しになる言葉、口調を大事にして仕上げたつもりです。相撲ファンのみならず、いろいろな方に「人間・北の富士」を知っていただけたらうれしいですね
■藤井康生(ふじい・やすお)
1957年生まれ、岡山県倉敷市出身。
■『粋 北の富士勝昭が遺した言葉と時代』
集英社 1980円(税込)
2024年、第52代横綱でNHK『大相撲中継』の解説を長く務めた北の富士勝昭氏が逝去。1周忌に際して、北の富士氏が遺した言葉や交流の思い出をフリーアナウンサーの藤井康生氏が振り返った本著は、「粋」な振る舞いで多くの人を魅了してきた北の富士氏の息遣いが伝わる一冊。本の末尾には、北の富士氏と共に長らく中継解説を務めた元小結・舞の海秀平氏と著者の対談も収録されており、豪華な内容となっている
『粋 北の富士勝昭が遺した言葉と時代』集英社 1980円(税込)
取材・文/武田葉月 撮影/ヤナガワゴーッ!



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