私の論文執筆スタイルが生まれるまで~バンクーバー、モントリオ...の画像はこちら >>

筆者の論文執筆スタイルに大きな影響を与えた人物の教えとは?(写真はイメージです)

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第160話

新型コロナウイルスに関する論文を次々と出版してきた筆者。その作文能力は、どこで培われたものなのか? 筆者の執筆スタイルに大きな影響を与えた、ある人物との出会いを振り返る。

* * *

【私の作文能力はどこからきたのか】

私が文章を書くのが好きで、文筆家に憧れていて、一時期は「趣味は論文執筆」などと豪語していたということは、この連載コラムでも何度か触れたことがある(6話など)。

2年以上も連載を続け、160ものコラムを書いていることからも、その出来や文章力はさておき、私がこの連載を苦としていないことはおわかりいただけるかと思う。

最近では、出張で新幹線や飛行機に乗ったときのような、移動のふとした合間などにつらつらと書き連ねたりして、良い息抜きの機会になっている。担当編集のKさんからは、「ストックが溜まりすぎて全然さばけないから、しばらく書くのを止めてくれ」と嘆願されたりもしている。

そして、肝心の本業である研究稼業、論文執筆の方であるが、2026年1月現在、私が出版した論文の数は160報(論文は「報」という単位を使うのが一般的)で、そのうちの100報以上をコレスポンディングオーサー(責任著者)として発表している。

この連載を始めた2023年9月の時点で、「論文総数112報、そのうちの71報をコレスポンディングオーサーとして発表」とあるので(6話)、それから2年強の間に48報の学術論文を発表したことになる。

すると、同業の人から「なんでそんなに論文を書けるんですか?」「どこでその能力を身につけたんですか?」ということを訊かれるようになった。日本語の作文能力のきっかけについては過去に紹介したことがあるので(13話、14話)、今回は英語の作文能力についてのエピソードを紹介しようと思う。

【カナダからの留学生(?)、J】

2007年の春、私が博士課程に進学した年のこと。どういうシステムを使ったのかはわからないが、Jは突然、私が在籍していた京都大学の研究室に、技術補佐員(テクニシャン)のようなインターン学生のような形でやってきた。

中国生まれ、日本(大阪)育ちのカナダ人のJは、カナダのバンクーバーにあるブリティッシュコロンビア大学の大学生で、中国語、日本語、英語を流暢に話すトライリンガルだった。

彼は私より3歳若かった。

そんな二十歳いくばくの子が、両親と3ヵ国語をごちゃ混ぜに電話で話しているのを耳にして、世界は広し、それに比べていかに自分が未熟であるか、などと恥ずかしい気持ちになったのを覚えている。

そんなこともあって最初はちょっととっつきづらかったのであるが、どんなきっかけだったかはよく覚えていないが、仲の良かった研究所の同期と3人で、木屋町に飲みに出かける機会があった。酒の力も借りて意気投合し、それからは3人でよく木屋町に繰り出すようになった。

そうやって打ち解けていくうちに、Jが必ずしも研究目的で来日したのではなく、バンクーバーにワーキングホリデーでやってきた女の子に惚れて、その尻を追いかけて日本(京都)にやってきた、ということが発覚した。私の家に遊びにきて、酒を飲みながら、これからの人生について深夜まで語らったりすることもあった。

研究室の生活にも慣れてくると、Jは、どこで手に入れたのか知らないが、ボンゴ(手で叩く太鼓)を研究所に持ち込んできた。それをベランダに置き、夕方にポコポコとよく音を立てていたのを覚えている。

【Jの英作文レクチャー】

Jは結局、私の在籍する研究室に1年間滞在した。彼がどんな実験をしていたのか、研究成果としてどんな貢献をしていたのかはよくわからない。

しかし私に対しては、ひとつ明確な貢献があった。私の研究キャリアを語る上で欠かすことができない人が何人かいるが、Jは間違いなくそのひとりである。

それはJが、私に論文の書き方、作法を教えてくれたことにある。

当時私は、自分の処女作となる論文をある学術雑誌に投稿し、その「リバイス(改訂)」の段階にあった(この頃のことは、139話でもすこし触れている)。

そこで、英語がネイティブのJに、論文の修正を手伝ってもらえることになったのである。私は追加の実験をこなしながら、論文校正で、Jに手厳しくしごかれることとなった。

【学術論文のマナー】

いきなり専門的な話になってしまうが、学術論文というのは基本的に、要約(Abstract)、導入(Introduction)、方法(Methods)、結果(Results)、考察(Discussion)という5つのパートで構成されている。J曰く、各パートで書かなければいけないことや書き方は、明確に「ルール」として決まっているのだという。

当時の私は、文章を書くことは嫌いではなかったものの、英語で作文する能力はほとんどゼロといって良かった。そのため、私が書いた論文は、学生のレポートに毛が生えたような構成で、しかも英作文としてもきわめて稚拙だったと思う。

Jは、私の拙い英文やその論理構成のまずさについて、日本語でひとつひとつ、とても丁寧に教えてくれた。せっかくなのでかいつまんで少しだけ紹介すると、たとえば、①「導入(Introduction)」では、その論文を読むために必要な前情報を紹介して、取り組む課題を明確に読者に伝えるためのパートだ。

それをはっきり意識せずになんとなく書いてしまっていると、気づけば「ウイルスとはなにか」というようなとてつもなく大きな入り口から物語が始まってしまったりすることもある。そうすると得てして、道筋を見失った意図も意義もよくわからない謎の解説文ができあがる。

②「結果(Results)」では、その論文の中で実施した実験の内容と結果を淡々と説明する。

③「考察(Discussion)」は、過去の報告をふまえて、「結果」に示した内容が意味するところを論じる。

特にJに口酸っぱく言われたのが③のところで、「けいちゃん(筆者)、なんで実験もしていない妄想みたいなことを『考察』に書いてるの? 自分の結果について書かなきゃ意味ないじゃん」というようなこと。

ちなみに、日本人が書いたいろいろな論文を読むと、これらのルールを守っていないものが実はとても多い。やはり特に③。上で紹介したように、そしてまさに当時の私がやっていたように、「こうかもしれない、ああかもしれない」という妄想を、「考察(Discussion)」で展開してしまっているものがとても多い。

これにはおそらく、ふたつの理由がある。まずひとつはやはり、多くの日本人研究者は、体系立てて「論文の書き方」の作法を習っていないから、または習う機会がないから、だろう。

J曰く、欧米では、「論文の書き方の作法」は、大学の講義で、「授業」としてきちんと習うものだという。つまりほとんどの日本人は、その作法・ルールを知らないままに論文を書いてしまっていることになる。このようなところが、最近よく叫ばれる「日本の研究力の低下」の一因になっていたりするんじゃないか、と思ったりもする。

そしてふたつめは、もしかしたら日本人研究者の多く(あるいは一般の人たちも)は、「考察」と「妄想」を同じものだと勘違いしているのかもしれない。「妄想」とは言葉のとおり、「ぼくのかんがえたさいきょうのきょうりゅう」のように、好き勝手に奔放になにかを思い浮かべ、それを語ることだ。

そこに根拠や論拠は必要ない。

それに対して「考察」とは、なにかの知見や発見、学術論文であれば過去の報告や実験による新発見など、「事実」に基づいてなにかを論理的に述べることだ。このふたつを履き違えることは、科学活動という文脈においてはなかなか致命的だと言える。

閑話休題。私ももちろん、Jの言っていることの意味が最初はまったくわからなかった。意味がわからないものの、とりあえず言われるがままに、「結果(Results)」に書いていた文章を、「考察(Discussion)」のパートにそっくりカットアンドペーストしたりしていた。

すると、「やればできるじゃん、これでOK」と言われたりして、なおさら混乱することになった。「なにを言っているんだこいつは? ただ切り貼りしただけで、なにも作文してないのだが......?」

と、当時は意味がわからず狼狽したが、要は上で書いたように、本来なら「考察(Discussion)」に書くべき文章を「結果(Results)」に書いていて、それを直した、ということである。「結果(Results)」には事実を淡々と書けばいいだけで、そのパートではなにかを考える必要はないのである。

そのような、わかったようなわからないような、でもやっぱりわからない、というようなことを延々と繰り返すことで、論文のクオリティはたしかに劇的に向上した。しかし、目の前で展開されていることに私の頭がついていかなかった。

論文は明らかに良くなっている、それはよくわかる。

しかし、作文しているわけではなく、Jの指示通りに、文章の配置を変えているだけだ。それでなぜ論文のクオリティが上がっているのかがわからない。

そのような「わかったようなわからないような行為」を繰り返すことは、精神と神経を大きくすり減らすものであった。

それに加えて当時は、修正論文のために追加でやらなければならない実験の量も膨大で、朝から晩まで実験する日がしばらく続いた。そしてその合間に、Jの論文執筆レクチャーである。

子どもの頃、ねこじゃらしのような雑草の茎のところを、コンクリートの角にこすりつけてゴリゴリするような遊びをしたことがある人は多いのではないだろうか。

このときのJとの「リバイス(改訂)」作業、そしてそれに伴う論文執筆レクチャーは、ちょうど自分の神経を、雑草の茎のようにコンクリートの角にごりごりとこすりつけ、摩耗させているような感覚に近いものであった。

そしてそのような、心身ともに追い詰められた過酷な現実から逃れるべく、京都の自宅では延々と映画『スワロウテイル』を観て現実逃避をしていたのだった(139話)。

「新しい思考回路を作る」というのは、それだけ大変なことなのだ。新型コロナの研究を始めてから、2020年春の「京都疎開」(34話)と2021年冬の「オミクロンスクランブル」(17話)は、私の研究キャリアを振り返る上で欠かせない「めちゃくちゃしんどかったエピソード」たちである。

しかし、これらを経験する前、私の研究キャリアの中でいちばんしんどかったのは、このときのJとの「リバイス(改訂)」の作業であった。

いずれにせよ、ここで論文の「型」をJからきちんと学ぶことができたことが、私の論文執筆の礎となったのは紛れもない事実である。

文/佐藤 佳 写真/PIXTA

編集部おすすめ