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2009年、2度目の北米出張はカナダのバンクーバーでストップオーバー。ノースバンクーバーにて。
ニット帽を被っているのがJ。飛行機酔いと時差ぼけで、私は瀕死である。

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第161話

「Jの教え」を胸に、論文執筆のスキルを上げるべく研鑽を積む筆者。そうした中で身に着けた、ある意外な執筆スタイルとは?

* * *

【バンクーバーへ】

Jがカナダに帰ってから半年ほど経った2009年の2月。カナダのモントリオールで、エイズウイルスに関する国際会議が開かれ、私はそこで発表する許可を得た。初めてのカナダである。

アメリカ大陸の東海岸にあるモントリオールへの直行便はなく、西海岸のバンクーバーで乗り換える必要があった。バンクーバーにはJがいる。せっかくの機会だし、バンクーバーでストップオーバーして、Jと会う予定を立てた。

約半年ぶりの再会。私たちはすぐに当時のことを思い出し、和気藹々と過ごした。

......と言いたいところなのだが、実際はそうはならなかったのである。

【当時の私の「体質」】

この連載コラムでもちょっと紹介したことがあるが(44話)、私は小さい頃から乗り物酔いがひどかった。子どもの頃の山道のドライブでは必ず車酔いしたし、京都でポスドク(博士研究員)として働くようになってからも、新幹線ですら酔ってしまうので、出張の移動中に仕事をすることができないほどだった。

当時の私は基本的にどんな乗り物でも酔ってしまっていたのだが、その中でもいちばんひどかったのが飛行機である。離着陸で重力がかかるときには必ず「うっ」となっていたし、乱気流で機体が乱高下すると冷や汗が止まらなくなった。

2007年の初め(52話)にアメリカのロサンゼルスを訪れて以来、2度目のアメリカ大陸。初めての太平洋横断のときにはそれほど酔った記憶はなかったのだが、このときは乱気流の中を飛行していたのか、ほとんど一睡もできず、めちゃくちゃに酔ってしまった。

Jがバンクーバーの空港まで迎えに来てくれていたのだが、私は顔面蒼白。時差ぼけも相まって食欲もなく、すでに満身創痍の状態であった。

その後、たしかダウンタウンにある中華料理屋に一緒に行ったりした記憶もあるが、食事もほとんど喉を通らず、会話が弾むこともなく、滞在先のベッドにダウンしてしまったのであった。

ようやく復活したのは翌日の昼過ぎくらいのこと。それから、Jの通うブリティッシュコロンビア大学のキャンパスの中を散策し、キャンパス内にあるバーでビールを飲んだ。そこでようやく、京都で一緒に過ごしていたときのような感覚が蘇り、和気藹々といろいろな話に花を咲かせたのであった。

私の論文執筆スタイルが生まれるまで~バンクーバー、モントリオール(後編)【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】
ブリティッシュコロンビア大学のバーにて。ようやく体調が戻ってきたのでパイントのビール。

ブリティッシュコロンビア大学のバーにて。ようやく体調が戻ってきたのでパイントのビール。

その翌日、モントリオールに移動し、本来の目的である国際会議に参加した。しかし、モントリオールの会議の記憶は正直ほとんど残っていない。

記憶に残っているのは、マイナス20度を下回る極寒であったこと、一緒に参加していた京都大学の先生に高級ステーキハウスに連れて行ってもらい、フィレミニョンのステーキを食べたこと。そしてその時に調子に乗って飲み慣れない赤ワインをビールのようにガバガバと飲み、ホテルの部屋に戻るとすぐにすべてを吐き戻してしまったことくらいである。

【磨き上げる自分の論文執筆スタイル】

それからの私は、実験結果が出ると、それをできるかぎり論文としてまとめるよう心がけるようになった。研究成果を挙げたいということがもちろんいちばんの動機だったが、その背後にある動機はそれだけではなかった。

せっかく苦労して学んだ論文執筆のスキル「Jの教え」を、忘れないうちに、自分自身のスキルとしてからだに染み込ませたかったのである。その結果、大学院生活の5年間で私は、5報の論文を筆頭著者として書いた。

当時の私がよくやっていたのは、以下のようなやり方である。まず、夜に自宅で、酒(発泡酒)を飲みながら、そしてチェーンスモーキングをしながら、文法などは度外視してとにかく筆を進める。

酩酊して筆が止まるか、タバコがなくなるか、睡魔が襲ってくるまでとにかく書き続ける。

そしてその翌日、研究室でシラフの時に、「Jの教え」に忠実に、前の晩に書いた文章を校正する。そしてその夜に、やはり自宅で、酔いに任せて続きの作文を進める。その繰り返しである。

シラフのときに作文をすると、どうしても些細なところが気になってしまい、作文が思うように進まなかったりする。また、ある程度酒が回っていると、細かなところがどうでもよくなり、筆の滑りもよくなる。そして良い意味での副反応として、シラフのときには思いつかないような言い回しがふっと湧いて出たりもするのである。

酒に酔いつつ、音楽をがんがんかけながら無心に筆を進めて(実際には、MacBookの画面をにらみながらひたすらブラインドタッチを続けて)、シラフの昼間に、「Jの教え」を思い出しながら校正する。昼夜でひとり二役、である。これを繰り返すことで、「Jの教え」を自分の頭とからだに染み込ませ、自分の論文執筆スタイルを文字通り「体得」したのであった。

――と、このように思い返してみると、G2P-Japanのスクランブルプロジェクトのときの論文執筆スタイル(17話)は、まさにこの頃に体得したスタイルを体現したものであることがわかる。

このときに体得したスタイルを何十回、何百回と愚直に繰り返すことで、その精度とスピードを向上させ続けた。

それが現在の私の、速筆スタイルの起源である。

「熱意」はもちろんのこと、大切なのは、まずは正しいやり方を学び、それを反復して身につけることなのだろうと思う。間違ったやり方を繰り返してもスキルは向上しない。

私の場合、「Jの教え」が1発目を打ち上げるときのランチパッドとなったことが、その後に続く速射砲の土台となったのだ。そういう意味ではやはり、Jとの出会いは、私の人生を左右する貴重な資金石となっていたのだな、と改めて思う。

ちなみにそんなJは現在、バンクーバー近郊で、医師として元気に働いている。

文・写真/佐藤 佳

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