顔面蹴り上げに記者は震えた。日本初のバーリトゥードに挑んだ初...の画像はこちら >>

ヤン・ロムルダーのサッカーボールキックをくらう川口健次

【連載・1993年の格闘技ビッグバン!】第51回

立ち技格闘技の雄、K-1。世界のMMA(総合格闘技)をリードするUFC。

UWF系から本格的なMMAに発展したパンクラス。これらはすべて1993年にスタートした。後の爆発的なブームへとつながるこの時代、格闘技界では何が起きていたのか――。

理想の格闘技を追求した初代タイガーマスクこと佐山サトルが創設したシューティング(現・修斗)。前回に続き、この世界最古の総合格闘技団体を黎明期から支えた初代ライトヘビー級チャンピオン、川口健次をフィーチャーする。

【初めて見る総合格闘技の残虐性】

「邪魔だよ、どけよっ!」

担架を先導するセコンドの怒号が響く。

本来ならば、選手がアップする場所として設けられていたスペースは野戦病院の様相を呈していた。

トーナメント1回戦第2試合でヤン・ロムルダー(オランダ)にTKO負けを喫した川口健次と、同第3試合でダビット・レビキ(米国)に80秒で秒殺された草柳和宏が揃って大の字になっていた。

1994年7月29日、東京ベイNKホールで開催された『バーリトゥード・ジャパン・オープン94』(以下『VTJ94』)での出来事。筆者はヒザをガクガクと震わせながら、その惨状を記録していた。

日本初のバーリトゥード(競技化されたMMAの前身)、〝400戦無敗の男〟ヒクソン・グレイシー(ブラジル)の日本デビュー戦として有名な大会だが、この日会場に詰めかけた5500名(主催者発表)の大観衆に胸に真っ先に突き刺さったのは、初めて見る総合格闘技の残虐性だった。

この大会まで日本ではグラウンド時の顔面パンチや、顔面へのサッカーボールキックを認めた試合が行われたことはなかったのだから無理もない。

馬乗りになって対戦相手を殴る。あるいは倒れた相手を蹴り込む。そんな行為はストリートファイトでしか許されない蛮行だと思っていた。

この大会を開催するにあたり、大会実行委員会は「日本で開催する以上、残酷ショーにならぬよう、最低限のルールを設ける」と宣言し、オープンフィンガーグローブの着用を義務付け、ヒジ打ちの使用を全面的に禁止するなど、最低限のルールを設けていた。

前年の93年からスタートしたUFCでは、試合時間は無制限で、グローブ、着衣、シューズの着用は自由とされ、反則は目つぶしと噛み付きだけという、ひじょうに過激なルールを採用していた。『VTJ94』の約1カ月後に開催される『UFC3』で、ようやくレフェリーストップ制が導入され、シューズを履いてのキックが禁止された。

UFCより安全性を考慮したルールを設けたはずの『VTJ94』だったが、何しろ初めての開催だった。会場はUFCのように金網に囲まれた八角形のオクタゴンではなく、4本ロープに四方を囲まれたスクウェア・リングを使用していた。そのことが予期せぬバイオレンスと受けられても不思議ではない攻防を引き出すことになるとは主催者の誰も予想していなかっただろう。

冒頭で記した通り、出場選手の中で最も大きなダメージを負ったのは日本代表として出場した川口と草柳だった。

【サッカーボールキック5連打】

とりわけ川口が負ったダメージは深刻だった。グラウンドの攻防になった際もつれてロープより外のエプロンサイドへ。

レフェリーはストップをかけ、両者の体をリング中央まで引き戻す。ここでレフェリーは両者に「ブレイクがかかる前と同じポジションを作れ」と命じるが、これがうまくいかない。選手は誰だって不利なポジションからの再スタートを嫌がるのだからそれも当然だろう。

おかげで試合を再開するまでにレフェリーとサブレフェリーはロムルダーに何度もブレイク前の体勢に戻るように説得を試みたが、当人は納得せずファイトの合図がかかる前に立ち上がったり、観客に「ニュートラルなスタンドから試合を再開させろ」と促す始末だった。

その後も両者の攻防はロープ際ばかり。すぐにどちらかひとりが、あるいは同体でエプロンに出たり、リング下に落ちる場面が目立つ。そうした中、勝負を決したのはロムルダーの踏みつけ一発を含むサッカーボールキックの5連打だった。

一発打つたびに観客席から大きなどよめきが起こった。筆者はそのたびに顔をしかめるしかなかったが、初めて見るバイオレンスを帯びた打撃に観客はいやがうえにも興奮しているようだった。

顔面蹴り上げに記者は震えた。日本初のバーリトゥードに挑んだ初代修斗王者がまさかの救急搬送
日本初のバーリトゥードはあまりにも衝撃的だった

日本初のバーリトゥードはあまりにも衝撃的だった

ほんの数カ月前、筆者は似たような空気を肌で感じたことがあった。同年3月11日、コロラド州デンバーで開催された『UFC2』を現地で取材した。1回戦で市原海樹とホイス・グレイシーの一戦が実現した大会はのちに「UFC史上最も暴力的」というレッテルを貼られる不名誉な大会となった。

最初で最後となった16人制のワンデートーナメントで、いったい何度凄惨なシーンを目撃したことか。出場選手の中には明らかにイリーガルな薬物を服用して戦っていると見受けられる選手もいた。目は必要以上に血走り、ベアナックルを打ち下ろす様は格闘技の範疇を飛び越えた殺し合いにすら映った。あんなバイオレンスを目の当たりにしたら、UFC反対運動が起こっても何ら不思議ではない。

しかも、会場に集まった観客はビールを飲みながら、「やっちまえ」「ぶっ殺せ」と物騒な声援を飛ばしながら当たり前のように盛り上がっていた。正直、筆者は現場にいることすら怖くなった。「ここに集まった観客とは格闘技に求めているものが違う」とさえ思った。初めて暴力との境界線を飛び超えた格闘技を見た気にもなった。

まさか『VTJ94』でも、似たような気持ちになるなど夢にも思わなかった。リング下に転落した川口の行動はエスケープと見なされ、非情にもダウンカウントが進む。そう、日本初の総合格闘技大会には通常のダウンと同じように見なされる場外カウントアウトもあったのだ。なんとか立ち上がってリングに戻った川口だが、その表情を見る限り意識は朦朧としているようだった。

それでも、大逆転を狙って川口は十八番のヒザ十字固めへ。大会前には「グラウンドで打撃OKのルールで狙うのは危険」と語っていたが、もうそれしか手段はなかったのだろうか。ただ、体勢は不十分で、川口が抱えたロムルダーの左足も伸びていない。伸びそうになる場面はあったが、ここでロムルダーは顔面ヒザ蹴り。体勢が崩れると、背後から後頭部にパンチを浴びせ、立ち上がると四つん這いの姿勢のまま動けない川口の顔面を蹴り上げレフェリーストップを呼び込んだ。

ルール上レフェリーによるストップは認められていなかったが、あまりにも危険だったため、レフェリーはダウンカウントをとらず試合を止めた。ルールより選手の命。ミスジャッジではなく、英断だったと思う。

試合時間は1ラウンド3分59秒だったが、途中何度も中断したため、それ以上に長く感じた。セコンドの肩を借りながら退場する川口の左目上部はヒザ蹴りやサッカーボールキックを思い切り食らったせいか、大きく腫れ上がっていた。

トイレに直行すると、川口はそのまま嘔吐したという。大会前は「ケガをせずに帰りたい」と語っていたが、その願いは叶わず救急車で千葉の救急病院に搬送された。

病院ではリング下に転落した際、本部席の机の角に左脇腹をぶつけたせいで左のろく軟骨骨折と診断された。あれから30年以上の歳月が流れたが、川口はロムルダー戦のことをハッキリと覚えていた。

(つづく)

取材・文/布施鋼治 撮影/長尾 迪

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