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「艶語とは男女が心身共に和合するための"潤滑油"だったのだと思いますね」と語る山口謠司氏

江戸時代の出版文化がテーマとなった昨年のNHK大河ドラマ『べらぼう』は大きな話題を呼んだ。

ドラマは黄表紙(きびょうし)と呼ばれる漫画雑誌のような本が大いに流行した時代の話だったが、染谷将太が演じる喜多川歌麿が、今でいうエロ画像に相当する春画を描く話もあった。

 

江戸時代には春画のほか、艶本といわれる今のエロ本に当たるものも多く流通したが、これらは江戸文化を理解する上で欠かせない要素のひとつ。

本書『江戸艶語(えどえんご)』は、艶本などで使われた言葉「艶語」を通して、江戸の性と暮らしの感覚を浮かび上がらせる一冊だ。

* * *

――印象的だったのが小林一茶の話です。52歳のときに28歳の女性と結婚して、子づくりに励んだその一部始終が日記につまびらかに残っているんですね。ちょっとおかしくもあるんですが、この時代の人の性に対する切実さを感じました。

山口謠司(以下、山口) 現代の私たちとは、感覚が根本から違うんですよね。

今はプライベートな性を過剰に隠蔽しようとしますが、昔の日本では「見て見ぬふりをする」という粋な振る舞いが成立していました。

物事の表と裏のはざまにあるグレーゾーンを、江戸の人々は否定せず、あえて曖昧にすることで、性と日常を地続きのものとして共存させていたんです。

――先生が今回、艶語について書こうと思われたきっかけはなんだったのでしょうか?

山口 艶語を通じて、日本語という言語が持つ「身体感覚の面白さ」に改めて気づかされたからです。

例えば、日本語には食べ物の食感を「にちゃにちゃ」と表現するように、粘りや弾力を伝えるオノマトペ(擬音語・擬態語)が驚くほど豊富にある。

単なる視覚情報ではなく、触ったときの「生々しい手触り」を言葉そのものに宿らせていますよね。

――その感覚が、艶本の中に深く息づいていると。

山口 はい。葛飾北斎の艶本には、あふれ出す淫水(いんすい)が「ビョコビョコと鳴り」、内ももを伝って「ぬらりぬらりと流れる」といった、極めてリアルな感覚を想起させる言葉が並びます。

そもそもセックスは理屈ではなく、肌が合うかどうかという身体的な感覚が重要です。

そのとき、質感や快楽の度合いを豊かな艶語で表現し合うことは、互いの肌感覚を一致させるための高度なコミュニケーションだったはず。

艶語とは、男女が心身共に和合するための〝潤滑油〟だったのだと思いますね。

――言葉遊びの教養も深く関わっていますよね。食材だと思っていた「ずいき」が性具の隠語だったのには驚きました。

山口 ハスイモの茎を干したずいきは、水に浸すとヌルヌルする物理的特性がある。

これを利用した性具を、江戸の人は単に「茎」と呼ばず、仏教用語で素晴らしい喜びを意味する「瑞喜」と漢字を当てた。 

聖なる言葉を俗なる悦楽に転用する、この罰当たりな〝崩し〟こそが江戸の遊び心です。

こうした二重の意味を解するには教養が必要で、当時の人々は艶本などを通して、楽しみながら身につけていたわけです。

――男性器を指す「八寸(約24㎝)」という呼び名も、一種のしゃれなのですね。

それにしても、24㎝って......大きくないですか? かといって刀にしては短いような。

山口 八寸には武士の護身用の刀である「懐刀(ふところがたな)」という意味もありますから、それになぞらえた粋な比喩なんです。まあ、それでも確かに大きいけど(笑)。

それと面白いのは、単に男性器の硬さや大きさを誇ることを良しとしなかった点です。

実は、麩(ふ)のように柔らかい「麩茎(ふけい)」こそが最上であるとも説かれていました。強さの誇示ではなく、相手との心地よいむつみ合いを尊ぶ。

そうした粋な審美眼が、艶本の中で語られていたんです。

――名作のパロディも多いですよね。

山口 『南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)』をもじった『男壮里美八見伝(なんそうさとみはっけんでん)』なんて、題名からして傑作です。そこには「獣姦(じゅうかん)」のような描写も平然と組み込まれている。

倒錯した世界をタブーとして排除するのではなく、「こういう世界もある」と受け入れてしまう懐の深さがあった。

食べ物も季節も、あらゆるものをのみ込んでエンタメにしてしまうエネルギーです。

――当時は、どのような人たちが艶本を読んでいたのでしょうか。

山口 親が子に体の変化を教えるのと同じ感覚で、大人になる作法を伝える〝保健体育の教科書〟でもありました。

かつては地域社会に若衆宿(わかしゅやど)と呼ばれるコミュニティがありましたが、お年寄りから若い人までが一緒にお酒を飲む輪の中で、地域の規律などを伝え、艶本を用いて性の手ほどきも行なってきた。そこには笑いと明るさがあり、隠し事ではない開放感がある。

人はひとりでは生きられない。誰かと生きていくための〝接し方〟を、人々は艶本から学んでいたのでしょう。

――この本をどのような人に手に取ってほしいですか。

山口 一番は、堅くて真面目な人。あとは日本文学に興味のある人に読んでほしいですね。

実は私、堅苦しい日本の小学校が合わなかったこともあって、米軍基地内のアメリカンスクールに編入して通っていた時期があるんです。

基地には無修正のエロ本があふれていましたが、文章はスラングばかりで、辞書を引いてもさっぱり意味がわからない。

そこで米軍の兵士たちに聞くと、身ぶり手ぶりでリズムをつけて読み上げてくれるんです。

すると「ああ、こういうことか!」と。そのとき初めて、言葉は文字面ではなく〝生の音〟の中にこそ真実があるのだとふに落ちました。

――一種の体験として、言葉を学ばれたのですね。

山口 江戸の言葉も同じです。特に艶本は豊かな日本語の宝庫。黙読ではなく「雁の高きこと、ぼぼに蓋するごとく...」と音読してみてほしい。

すると、音の流れから生命のリアリティがじわじわと伝わってくるはずです。

艶本には、単なる昔のエロ本という言葉では片づけられない日本語のたくましさが詰まっています。それをぜひ、体全体で感じてほしいですね。

●山口謠司(やまぐち・ようじ)
1963年生まれ、長崎県出身。大東文化大学名誉教授。平成国際大学情報デザイン学部顧問。

フランス国立高等研究院大学院に学ぶ。英ケンブリッジ大学東洋学部共同研究員、大東文化大学文学部教授を経て現職。『日本語の奇跡―〈アイウエオ〉と〈いろは〉の発明―』(新潮新書)など、著作多数。『日本語を作った男 上田万年とその時代』(集英社インターナショナル)で第29回和辻哲郎文化賞受賞

■『江戸艶語』
集英社インターナショナル 1100円(税込)
豊かな日本語の宝庫である艶本(えんぽん)。そこに収められた「やれしたがある」「吐淫(といん)」「なめくじり」「九道具(くどうぐ)」「船饅頭(ふなまんじゅう)」など、辞書には載らないけれど、江戸人の生きた実感そのものの性にまつわる言葉から、江戸の生き生きとした日常を読み解いていく。庶民たちの深い古典の教養や、当時の流行語、語呂合わせなど、語源や使われ方などを解説しながら、粋でユーモアあふれる江戸のリアルを紹介

江戸のエロ語が生き生きとよみがえる! 日本語のたくましさと豊かさを味わう一冊

取材・文/西村まさゆき 撮影/渡邉りお

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