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スタンドの攻防でロムルダーの腕を狙う川口健次

【連載・1993年の格闘技ビッグバン!】第52回

立ち技格闘技の雄、K-1。世界のMMA(総合格闘技)をリードするUFC。

UWF系から本格的なMMAに発展したパンクラス。これらはすべて1993年にスタートした。後の爆発的なブームへとつながるこの時代、格闘技界では何が起きていたのか――。

理想の格闘技を追求した初代タイガーマスクこと佐山サトルが創設したシューティング(現・修斗)。前回に続き、この世界最古の総合格闘技団体を黎明期から支えた初代ライトヘビー級チャンピオン、川口健次をフィーチャーする。

【ヒクソン・グレイシー包囲網】

「川口ならいける」
  
『バーリトゥード・ジャパン・オープン94』(1994年7月29日・東京ベイNKホール 以下、『VTJ94』)の組み合わせが決まるや、関係者やマスコミは川口健次の活躍にこぞって期待した。

当時、川口はシューティング(現・修斗)ライトヘビー級王者。89年5月18日のプロシューティング旗揚げ戦でプロデビューして以来、無敗(14戦10勝4分)を誇り、〝シューティング最強の男〟と呼ばれていたので、その見方には説得力があった。一度も敗北を見せたことのない選手ならば、負けるイメージは抱きにくい。

シューティングの興行を手がける面々を中心に構成された大会実行委員会は、〝ヒクソン・グレイシー包囲網〟というべき組み合わせを発表した。ヒクソンが初戦で〝覇王〟西良典(空手格斗術慧舟会 現・和術慧舟會)を撃破すれば、準決勝でシューティングウェルター級の第一人者だった草柳和宏と当たる。仮に草柳を突破したとしても、決勝で川口がヒクソンの快進撃を止めるというシナリオだった。

つまり川口が順調に勝ち上がれば、ヒクソンと対戦する可能性がひじょうに高いということだ。この組み合わせが決定した時点で、まさか日本代表の3名が揃って初戦で敗退することなど誰も予想していなかった。 

当時のシューティングでは、グラウンド時の顔面への打撃はパンチもキックも認めていなかった。当時、何かと比較対象の的となっていたUWF系の団体でも、グラウンド時のそれはタブーとされていた。グラウンドでの顔面攻撃はストリートファイトに等しい「野蛮なもの」と捉えられていた時代だった。

大会前、川口は専門誌のインタビューで、「実際にグラウンドでの打撃ありのスパーをやってみたんですか?」と聞かれ、次のように答えている。

「ちょこっとはやりました。もう上に乗っかって殴ったほうが勝ちなんですよ。殴って弱ってきたところを関節に持っていくっていう形で」(格闘技通信No.115)

もっとも、選手は公のインタビューと内心とでは全く違うことを考えているケースもある。このとき、川口は内心どんな思いを抱いていたのか。今回この原稿を執筆するにあたり改めて聞いてみると、意外なことを口にした。

「正直、僕らの技術はまだ世界に通用しないんじゃないかという疑問は抱いていました」

なぜ川口がそう思っていたかといえば、当時のシューティングは開国したばかりで、前年までは競技を内部である程度成熟させるため徹底した鎖国政策をとっていたからだろう。

その政策は他団体と交流することはおろか、UWF系を扱う格闘技専門誌に取材拒否を通達するほど徹底していた。

門戸開放は1992年9月に開催されたワンデーのオープントーナメントを待たなければならない。このトーナメントに川口は出場していないが、これを機にシューティングはオープン化を推進していくことになる。94年3月には青柳政司率いる新格闘プロレスとの交流戦をスタートさせた。

交流第1弾となる大会に川口は当時ミドル級(現ウェルター級)王者だった桜田直樹と共に出場し、合気道SAの奥田康則と対戦した。川口の強さは圧巻。試合開始早々、川口がヒザ十字固めを仕掛けると、奥田は悲鳴を上げた。なんとかこれはエスケープしたが、ロープ際でフロントチョークを極められると奥田はタップするしかなかった。1R2分56秒、川口のワンサイドゲームだった。

【川口の読みは当たっていた】

もっとも、ヒクソンら海外の強豪を集めた『VTJ94 』では事情は違ってくる。川口の対戦相手は、日本でも知名度が高く、地元オランダでは〝帝王〟ロブ・カーマンのスパーリングパートナーであるレオ・デ・スノーを破り新興団体WKC世界スーパーライト級王座を奪取したばかりのヤン・ロムルダーに決まった。

当時、ロムルダーは副業としてバウンサー(用心棒)をやっており、ストリートファイトは日常生活の延長だった。

グラウンド状態の相手に対して殴ったり蹴ったりすることに全く躊躇はなかったのだ。

対照的に前述した通り、シューティングではグラウンド状態の対戦相手の顔面に打撃攻撃を加えることは全て反則だった。だから亀のような体勢、あるいは仰向けで両足をクロスさせると共に手をVの字に伸ばしたディフェンスが有効とされていた。

ロムルダーとの対戦が決まった直後のインタビューで、「四つん這いの体勢になることはない?」と訊かれると、川口は「あるんですよ、それが」と素直に認めている。

「とっさに(そう)体が動いてしまうんですよね。だから今回、『川口なら』って思う人もいるかもしれないけど、それは買いかぶりすぎですね。ちょっとのルールの違いでもかなり影響してきますから」

不安は的中した。ロムルダーとの試合中、川口は絶対してはいけない四つん這いの体勢をとってしまい、顔面にサッカーボールキックや踏みつけを浴びることになってしまったのだ。そのダメージたるや、想像を絶するものだった。

「一発目のサッカーボールキックをもらっただけでも、もう立てなかった」

「川口ならいける」と期待された〝シューティング最強の男〟がとってしまった「絶対にしてはいけない体勢」
バウンサー(用心棒)を副業とするロムルダーは、相手の頭部を踏みつける攻撃に躊躇はなかった

バウンサー(用心棒)を副業とするロムルダーは、相手の頭部を踏みつける攻撃に躊躇はなかった

伏線もあった。2度目か3度目のロープ際の攻防から場外に転落した際、脇腹をリングサイドのマットの角か、机の角にぶつけてしまったというのだ。

「ちょっと力を抜いているときにガンッて当たった感じでした。

その瞬間、痛ってぇと思いました」

川口にとって全ては悪い方向に動いていた。四つん這いの体勢になるきっかけは川口がロムルダーの左足にヒザ十字固めを仕掛けたことだった。四つん這いの体勢と同様、戦前、川口は「このルールでは足関節は狙えない」と語っていた。空いているほうの足で顔面を攻撃されるリスクがあると予想されていたので、その読みは当たっていたといえる。

にもかかわらず、ヒザ十字固めを仕掛けてしまった。なぜなのか。

「どうにかして勝ちたいと思ったから。殴られても蹴られてもいいから、何が何でも勝ちたいと思っていたからです」

極限の状況で最後に頼ったのは、それまで自分を4回も勝利に導いてくれた十八番のヒザ十字固めしかなかったということか。しかし、川口が身につけたシューティングの技術は、究極の戦いの舞台においてほとんど通用しなかった。

(つづく)

取材・文/布施鋼治 撮影/長尾 迪

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