【モーリー・ロバートソンの考察】AIの"侵略"でネットは「文...の画像はこちら >>
『週刊プレイボーイ』で2015年1月から11年間、計490回にわたりコラム『挑発的ニッポン革命計画』を連載されていたモーリー・ロバートソンさんが、
食道がんのため2026年1月29日に63歳で亡くなられました。

編集部一同、心より哀悼の意を表します。

1990年代のインターネット黎明期からネットの魅力と課題にずっと向き合ってきたモーリーさんが、AIによる"侵食"がネット空間を大きく変えつつある現状について考察した本コラムは、週刊プレイボーイ1月26日発売号に掲載されたものです

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とにかくネットがつまらなくなった。私は1990年代の黎明期からインターネットと長く付き合ってきましたが、最近とみにそう感じています。SNSではいまだに「テレビはオワコン」といった言説がもてはやされますが、実のところ、ネットも同じ道を歩んでいるのかもしれません。

以前は――といってもずいぶん過去の話になりますが、ネットの海に潜れば、本質的な思索の助けとなるような一次資料や、知的好奇心を刺激する論考、ハッとするような視点にしばしば出会うことができました。

ところが今では、検索窓に言葉を打ち込んでも、表示されるのはまとめサイトや既視感のある解説、あるいはSEO対策に長けているだけのどうでもいい記事がほとんど。もちろん広大なネットの海のどこかには、今も有益な情報が眠っていますが、いよいよ「知りたいことにたどり着けなくなった」感があります。

その流れは、AIによる概要表示の浸透とともにさらに加速していくでしょう。ユーザーが安易な「答え」だけを消費して立ち去り、深掘りすることがなくなるに従って、あらゆる情報からコンテクスト(文脈)が消失しつつある。ユーザビリティは向上しても、答えがあまりに均質で、思索の余白がないのです。

例えば、ロシアのプーチン大統領が核を使うハードルは実際に下がっているのか。イギリスでたびたび起きる暴動の深層に、移民の歴史や警察不信はどう絡んでいるのか。

こうしたことを知りたくて検索してみても、出てくるのは「今、危険か否か」「それは善か悪か」という単純な二元論ばかり。

独裁や社会不安というテーマを解きほぐそうとするなら、「なぜ人は理不尽な体制に従うのか」「なぜマイノリティ同士が対立するのか」といった問いを避けては通れないはずです。そこには数値化できない「空気」や「人間心理」、あるいは複雑に絡み合った「利得」が絡んでいるからです。

しかし昨今の検索エンジンは、物事の歴史的経緯、地域・時代・分野を横断した比較のプロセス、社会におけるさまざまな転換点......そうしたものが連なる「文脈」を提供してはくれません。調べものの補助にはなっても、深く考えるための主材料は得られないということです。

かつてのカルチャー雑誌や、初期のネット空間には、知識で他人とマウンティングし合うような"うざさ"があった。それはある種の参入障壁であり、ムラ社会的な側面があったかもしれません。しかし、同時にそこには本を読み、体系的な知識を持つという行為、つまり教養へのリスペクトがありました。

ところが、ネット上のプラットフォーム企業が利潤を追求し、ユーザビリティとスピードに"全振り"してあらゆる場所への参入障壁を限りなくゼロに近づけた結果、誰もがなんの準備もなく議論に参加できる(ような気になれる)インターフェースが完成した。

そこでは文脈を踏まえて「じっくり考えること」はコストに過ぎず、細切れのトリビア(雑学)と感情の応酬だけが無限に増殖しています。

気づいたときには、みんなが「バカ」になっているかもしれない。ならば私たちは、AIが差し出す答えを疑い、自分自身で文脈を探し、泥くさい姿勢を取り続ける必要があります。

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