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モーリー・ロバートソン氏

『週刊プレイボーイ』で2015年1月から11年間、計490回にわたりコラム『挑発的ニッポン革命計画』を連載されていたモーリー・ロバートソンさんが、食道がんのため2026年1月29日に63歳で亡くなられました。

編集部一同、心より哀悼の意を表します。

これまでコラムを愛読してくださった皆さまへ、担当編集チームからのご挨拶です。

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「いつもどおりの連載」を自分の意思で最後まで

モーリーさんの訃報に接し、驚かれた方も多かったと思います。私たちも突然のことに大変驚きましたし、本当に残念でなりません。

読者の皆さまへ、担当編集の立場から少しだけ、モーリーさんとのお話を共有させていただこうと思います。

2012年6月、「これでいいのか、脱原発」と題したインタビューシリーズの取材で、初めてモーリーさんにお会いしました。福島第一原発事故の翌年、民主党・野田政権が大飯原発3・4号機の再稼働を決定し、首相官邸前で毎週のように大規模な反原発デモが行なわれていた頃です。

当時、このテーマは極めてホットかつデリケートでしたが、モーリーさんの視点と引き出しの多さ、言葉とロジックの切れ味、そして伝えようとするエネルギーに圧倒されたのを覚えています。

【編集部より】モーリーさん、ありがとうございました。
2012年、日本の脱原発運動に関するインタビュー取材時(撮影/高橋定敬)

2012年、日本の脱原発運動に関するインタビュー取材時(撮影/高橋定敬)

インタビュー記事の最後はこう締めくくられました。

「世界のリアリティを複眼的に、国境の中だけじゃなく外から見ることが必要です。(中略)本気でエコロジーや人類の幸せを達成したいなら、歴史も経済も科学も無視し、人々を動員して叫んだところで何も解決しない。便利なコンビニの中に立てこもって出てこないようなレトリックじゃ、何も変わらないんです」

その2年後には、当時中東を中心に勢力を拡大していたIS(イスラム国)に共感する欧米の若者について、インタビューをお願いしました。

取材が始まるなり、モーリーさんは1969年にアメリカで開かれた伝説的音楽イベントのドキュメンタリー映像作品『ウッドストック』の話を始めます。

めちゃくちゃ面白いけど、いったいなんの関係が......と思いながら聞いていると、それがいつの間にかISの「首斬り動画」の話につながり、さらに映画や漫画の話を絡めながらプロパガンダ論、世代論、格差論......と続いていくのです。しかも、ものすごいスピードで。

この2本の取材でモーリーさんの魅力に取りつかれ、2015年1月から連載を始めていただくことになりました。

国内外の視点を行き来しながら、政治や社会の現実と歴史やカルチャー、そして「日本でもアメリカでも"外国人"だった」(ご本人談)という自身の体験を接続させていくモーリーさんのインスピレーションが、コラムの"色気"になりました。

この連載は毎回、まず1時間ほどの打ち合わせをして、なんの話題を扱うか決めていました。といっても、こちらの仕事は相槌やリアクション、時々わからないことを質問するくらいで、テーマ選びは完全にモーリーさん主導です。

テレビ出演の前夜に山ほどリサーチをしたものの、番組のコメント尺にはとても入れ込めなかった濃厚な考察を、このコラムで存分に吐き出していただくこともありました。

モーリーさんは場を明るくする気遣いの人で、話が行き詰まりそうになっても必ず突破口を見つけてくれました。

マシンガントークの合間にブラックジョークを飛ばして自分で大笑いすることもあれば、「最近、数学を勉強し直してるんです」と突然、数式がびっしり書き込まれたノートを見せてくれたこともあります(このネタもコラムになりました)。コロナ禍以降のリモート打ち合わせでは、愛猫がカメラの前を悠然と横切るのも〝あるある〟でした。

【編集部より】モーリーさん、ありがとうございました。
2017年、本連載発の書籍『挑発的ニッポン革命論』(集英社)発売を記念し、プチ鹿島さんをゲストに迎えてトークショーを開催。おふたりのマシンガントークで大盛況でした(撮影/五十嵐和博)

2017年、本連載発の書籍『挑発的ニッポン革命論』(集英社)発売を記念し、プチ鹿島さんをゲストに迎えてトークショーを開催。おふたりのマシンガントークで大盛況でした(撮影/五十嵐和博)

一方で、「意図したニュアンスが伝わるか」「事例や説明に過不足はないか」を常に気にされ、締め切り直前に直しを入れることも多々。

その熱量は連載開始から10年以上たっても変わりませんでした。

モーリーさんは病気が判明した昨年8月以降も、そのことを私たちには伝えず、同じ形で連載を続けられました。後になって、それはご本人の意思だったと伺いました。

秋頃からはリモートで話をする際、「家のWi-Fiの電波が弱くて」と、カメラをオフにされていました。勝手な想像でしかありませんが、今にして思えば、こちらによけいな心配をさせたくなかったのかもしれません。

亡くなる1週間前の1月22日に行なったリモート打ち合わせと、その後の原稿のやりとりが、結果的にモーリーさんとの最後の仕事になってしまいました。

声が出づらそうな様子に私たちも内心、心配はしていたのですが、話の中身は「そこがそうつながるのか!」というエキサイティングなものでしたから、まさか最後になるなどとは夢にも思いませんでした。

それが、逝去が発表された翌日、2月2日発売号に掲載されたコラムです。アメリカと日本のカルチャー、表現の自由の問題と経済の冷徹な現実の間を行き来する、モーリーさんらしい回でした。

連載コラムは読まれることで初めて成立し、続けていくことができます。11年、490回の連載を支えてくださった読者の皆さまに、心から感謝を申し上げます。

バラク・オバマ氏が米大統領として初めて被爆地・広島を訪れたことの意味を、広島で少年期を過ごしたモーリーさんの視点で掘り下げた手記や、マイケル・サンデル教授にモーリーさんがインタビューした特別編も含め、490回の連載の大半は、今もウェブサイト『週プレNEWS』で読むことができます。

多くの考察やメッセージ、パンチラインを、ぜひ読み返してみてください。

そして、あふれんばかりの熱を最後まで連載に注ぎ続けてくれたモーリーさん、本当にありがとうございました。            

週プレモーリーチーム(星野晋平、コバタカヒト)

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