いつもは豆電球で照らされたパッポンストリートであるが、春節(旧正月)を控え、赤い提灯で彩られていた。
連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第163話
2025年最初の海外出張は、タイのバンコクと、初訪問となるカンボジアのプノンペン。
* * *
【2025年の旅始め】2024年末、淡路島での一世一代の大仕事(159話)を終えて文字通り燃え尽きた私は、燃えカスのように自堕落な年末年始を過ごした。2020年に新型コロナの研究を始めてから、こんなにゆったりと、あるいはだらしなく過ごした年末年始は初めてだった。
世界中を飛び回り、「外向きのチャレンジ」(27話)の方向性を探ったのが2024年だった。その断片は、半ば旅行記のようにこの連載コラムに綴られている。そして2025年。158話で紹介したように、2024年の1年間の経験を経て私は、これからの「チャレンジ」の重点を東南アジアに定めることに決めた。
せっかく東南アジアで何かをするなら、それをより深く広く知りたい、理解したい。そのために何冊かの本を買い集め、東南アジアの歴史を勉強することに時間を費やした年末年始でもあった。
2025年最初の海外出張は、タイのバンコクとカンボジアのプノンペン。この連載コラムでも何度か紹介しているように、ここ数年、バンコクに行く機会が増えている(12話、79話、138話)。一方のプノンペン、そしてカンボジアは、今回が初の訪問となる。
1月下旬の夕方にバンコクに到着。考えてみれば12話以来、同行者のいない、ひさしぶりのバンコクひとり旅である。
この日は急ぐ用事もないし、スワンナプーム国際空港から市内へは電車で向かうことにした。切符を買おうと、券売窓口で目的の駅の名前を告げて運賃を支払おうとすると、「free!(ただ!)」とトークンを手渡される。
タイの電車の切符は、こんなコイン状のトークン。
なぜ?? ちょっと面食らいながらも、ただならまあいいや、と到着した電車に乗り込む。車内のマスク着用率は相変わらず高い。2023年に訪れた頃(12話)の着用率とほとんど変わらないのではないか? しかし、空咳というか、妙な咳をしてる人たちがちらほら。この時期はちょうど、日本ではインフルエンザが大流行していた時期であった。バンコク、お前もか......。
しかしよく見ると、咳をしている人はみんなマスクをつけていた。その一方で、インフルエンザが流行していた年末年始の都内の地下鉄の乗客たちも、バンコクの人たちと同じくらいの割合でマスクをつけていた。
市内へ向かう電車の車内で、「バンコク 電車 無料」と試しにググってみる。するとこんな記事が。
(上)「大気汚染対策のために電車を無料にします」というニュースのスクショ。(下)たしかにXのトレンドには、「PM2.5」とおぼしきキーワードが。
なるほど、大気汚染(PM2.5)対策のために、バンコク市内の公共交通機関は数日前から無料になったのだという。あとで聞いた話だと、雨が降ったおかげでここ数日はだいぶマシになったものの、先週はビルが霞むほどで、あまりのひどさに小学校も休みになったらしい。
――と、そこではたと気づく。なるほど、電車の乗客たちがマスクをしているのも、妙な咳をしてるのも、PM2.5のせいだったのである。
【5度目のバンコク】さて、5度目の訪問ともなると、滞在中の生活サイクルがある程度確立する。よく言えば「慣れ」、悪く言えば「マンネリ化」してくるのだ。
今回の宿泊先は、2020年の初訪泰(12話)で泊まって以来、定宿としているサームヤーン地区のホテル。
数日後に春節(旧正月)を控えていたこともあり、パッポンストリートでも、それを祝うための中国風の飾り付けが始まっていた。
バンコクでは、国際共同研究をしているチュラロンコン大学の研究チームと、これからの研究の方針を再確認した。前年(2024年)7月の弾丸出張(138話)を契機に、すでに動き始めている研究である。なかなか悩ましい相談事もあったが、なんとかそれをこなし、無事バンコクでの用務を終える。
【初めてのプノンペン】翌朝は4時半に起床し、一路プノンペンへ。1月に訪泰したのは初めてだったが、早朝には20度近くまで気温が下がり、肌寒さを感じるほどだった。
バンコクのスワンナプーム国際空港からプノンペン国際空港までは1時間ほど。「マンネリ化」しつつあるバンコクとは違って、初めて訪れる国や街は、緊張感と高揚感でドキドキに包まれる。
――東南アジア諸国連合(ASEAN)の先頭集団にあるタイに対し、いろいろな歴史的事情も相まって、カンボジアはASEANの中でも後発国に甘んじている。あるウェブサイトによると、2024年のカンボジアのひとりあたり名目GNI(国民総所得)は世界168位。ちなみにシンガポールは11位で日本は46位、タイは115位である。
プノンペンに着くと、タイバーツ紙幣をポケットから取り出してカバンにしまい、代わりにアメリカドル紙幣をポケットにねじ込んだ。
というのも、カンボジアの通貨は「リエル」なのだが、アメリカドルが流通していて、それが普通に使えると聞いていたからだ。「アメリカじゃないのにアメリカドルが使える」というのは、2023年の南米エクアドル以来である(58話)。
しかし実際に使ってみると、いろいろと細かな制約があることがわかった(私の経験談です)。まず、アメリカドルの「硬貨」は使えない(アメリカドルには、1ドル「紙幣」に加えて1ドル「硬貨」もあるのだが、これはどこでも受け付けてもらえなかった)。
なのでもちろん、セント硬貨も使えない。1ドルより小さな金額のやりとりで、初めて「リエル」が登場する(1アメリカドル=4000カンボジアリエル)。
そしてさらに驚いたのが、ドル紙幣の端がちょっとでも破れていたり、紙幣が汚れたりしていると、受け付けてもらえないのである。
外国紙幣の場合、私はそのままポケットに捩じ込んで乱雑に扱うことが多いので、ボロボロになっているものも多い(というかそもそも、アメリカドル紙幣はもともとボロボロなものが多い)。そのような紙幣がことごとく受け付けられないのは、ちょっとした不便ではあった。
トムヤムクンにヤムウンセンと、調子に乗ってバンコクで辛いタイ料理を重ねたからか、胃の調子が芳しくない。さらに具合の悪いことに、ふた月ぶりの海外出張で勘が鈍っていたのか、いつもは常備しているはずの胃腸薬(太田胃酸とビオフェルミン)がカバンの中に見当たらない。
こんなときこそ、私の旅の味方たるベトナムの定番料理「フォー」の出番である(21話、41話、99話、136話などに登場)。......はずなのだが、YouTubeである事前情報を仕入れていた私は、ホテルから1時間ほど歩いて、その店まで足を運んだ。
――それは、日本の丸亀製麺である。ダシの効いたやさしい食べ慣れた味で、カプサイシンでくたびれた胃を労(いたわ)ることにしたのだった。
プノンペンの丸亀製麺のかけうどん。鶏天をつけて4アメリカドル。生姜を効かせてゆっくりと食べた。
文・写真/佐藤 佳
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