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陸軍の演習で勢ぞろいする中華民国軍の兵士たち。軍は50年近く(もしくはそれ以上)実戦を経験していない(撮影/王清正)

台湾有事を巡る高市総理の発言から、日本と中国の関係はいまだ冷え込んだままだが、その当事者たる台湾では有事への警戒が静かに拡大。

近年は民間で"国防ブーム"も生まれ、中国による侵略も想定した自衛セミナーが活発に開催されているようだ。台湾「全民国防」、その実態を現地でガッツリ取材した!

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【銃の訓練から止血、災害備蓄のノウハウまで】

台湾有事は日本の存立危機事態――。昨年11月の高市早苗総理の発言は、中国の激烈な反発を招いた。その結果、皮肉にも日本において台湾情勢への関心は高まっている。

事実、中国は昨年12月末、台湾島をぐるりと包囲する大規模な軍事演習「正義使命2025」を実施。同様の軍事的威嚇は22年から行なわれてきたが、同一年内で2度の実施は昨年が初めてだ。

「ごく近い将来に本格的な戦争となる可能性は低い。ただ、演習の質は年々上がっていますね。27年は中国で党大会がある年。功名心にはやった現場の軍人による、偶発的事態の発生も懸念されます」

人民解放軍の動向を分析している台湾・淡江(ダンジャン)大学准教授の林穎佑(リン・インヨウ)氏は、台湾海峡の状況をこう話す。

中国に対する危機感が加速中! 台湾「全民国防」ブームとその裏に潜む"分断"
今年1月末、春節に合わせた中華民国軍のメディア向け演習で披露された、陸軍の高機動ロケット砲システム「HIMARS」。昨年末にアメリカから大量に追加購入することが決定した(撮影/王清正)

今年1月末、春節に合わせた中華民国軍のメディア向け演習で披露された、陸軍の高機動ロケット砲システム「HIMARS」。昨年末にアメリカから大量に追加購入することが決定した(撮影/王清正)

昨年秋、台湾の公共テレビ局は、それまでタブーだった中国の台湾侵攻をテーマとする連続ドラマ『零日攻撃(リンリーゴンジイ)』を放送。
また、ネットの公開情報だけをベースに人民解放軍の基地を7000ヵ所も特定した一般人の音大生の著書が、好調な売れ行きを見せる。

社会の雰囲気はまだ平穏とはいえ、一種の「有事ブーム」も起きているのである。

そこで進むのが、官民双方を挙げた全民国防(チュエンミングオファン)の動きだ。万が一の有事に対する一般市民レベルでの防衛準備である。現地の実態を伝えよう。

「銃に慣れましょう。安全装置や弾込めの仕組み、普段は銃口を人に向けないことなどは、無意識に習慣化する。さもないと、いざというとき適切に対応できません」

ここは新北(シンペイ)市の雑居ビルにある民間防衛スクール、全民国防射撃教育中心(シェージイジャオユイヂョンシン)。週末レクチャーに出席した12人の前で話すのは、コーチの熊麒勝(ション・チィシェン)氏だ。台湾の海軍OBで米軍所属歴も持つ。受講費は5時間半の講座が2500台湾元(約1万2500円)、昼食のお弁当付きである。

コーチが手にするのは、台湾で合法的に所持できる暴徒鎮圧銃だ。

日本のBB弾より大きなプラスチック弾を撃ち出し、敵を無力化できる。想定する敵は強盗や暴徒だ。

「有事の際は『プロの軍人の邪魔をしない』ことが重要。逃げられるときは逃げたほうがいいし、この銃では実銃には対抗できません。ただ、暴徒から見て『面倒なターゲット』になることで、自分の生存率を大きく向上できます」

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「全民国防射撃教育中心」での鎮圧銃を用いた射撃フォームの訓練。実際に撃つと、徴兵経験がある男性は意外とすぐ的に当てていた

「全民国防射撃教育中心」での鎮圧銃を用いた射撃フォームの訓練。実際に撃つと、徴兵経験がある男性は意外とすぐ的に当てていた

中国に対する危機感が加速中! 台湾「全民国防」ブームとその裏に潜む"分断"
同団体の熊麒勝コーチ

同団体の熊麒勝コーチ

仮に有事が起きた場合、中国による台湾国内の親中派マフィアなどを使った暴動の扇動や、中国兵士による略奪が予測される。平時の防犯対策も兼ねつつ自衛を学ぶわけだ。

教室では、人民解放軍の本物の装備を見せ、中国兵を見分ける方法も教える。いつか来るかもしれない侵略者は、台湾人と顔も言葉もほぼ変わらない漢民族の兵士たちなのだ。また、止血法や災害備蓄のノウハウも教授している。

彼らが現在の形で活動を始めたのは、23年2月から。この日が初参加という受講者たちに動機を尋ねた。

「近年の中国はヤバい。異常です。戦争が怖いし、自衛が必要と思った」(30代男性)

「戦争の可能性は考えても仕方ない。でも、防犯の知識は得ておきたい」(40代女性)

一連のレクチャーは女性受講者も多く、女性のみの講座を開くほどだという。

徴兵制がある台湾では、男性の多くは銃の知識を持つが、女性は軍隊経験がない。だが、戦時には暴行される可能性もある。自衛策を学ぶ需要が生まれているのだ。

【「認知戦」からどう防衛するか】

より大手の教育団体である黒熊学院(ヘイションシュエユエン)も訪ねた。若手法律学者の沈伯洋(シェン・ポオヤン)氏(現在は与党・民進党の国会議員)らが21年に設立した団体だ。

「うちは1クラス50人で、講義は毎回ほぼ満席。すでに10万人以上が受講しました。大きな目標として、台湾で300万人の市民にレクチャーすることを掲げています」

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黒熊学院の朱福銘CEO。「われわれは戦争を語ることを避けない。平和への願いと有事の備えは表裏一体」と話す

黒熊学院の朱福銘CEO。
「われわれは戦争を語ることを避けない。平和への願いと有事の備えは表裏一体」と話す

CEOの朱福銘(ヂュー・フウミン)氏は、そう意気込む。彼らはレスキューや災害避難のノウハウの教育に加えて、中国による世論攪乱(かくらん)作戦「認知戦」(虚偽情報の流布や社会分断工作)の対策を重視している。座学の講座なら400台湾元(約2000円)から受講可能だ。

「台湾のメディアの少なくとも半数は中国と関係が良好で、浸透工作(中国に有利な世論工作)の標的になっています。創設者の沈氏はこれを懸念し、民間でフェイクニュースや陰謀論からの防衛を教えることにしたんです」(朱氏)

沈氏はさらに、認知戦の研究機関である台湾民主実験室(ダブルシンク・ラボ)の理事長も兼任。一連の活動の結果、24年10月には中国政府から「頑迷な台湾独立分子」のブラックリストに入れられた。彼の活動は社会的影響力が大きく、中国から見ると"目の上のタンコブ"なのだ。

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同学院による緊急救命訓練の様子(写真提供/黒熊学院)

同学院による緊急救命訓練の様子(写真提供/黒熊学院)

ほか、近年の台湾には、もっと「ガチ」な講座を提供する団体も存在している。

私が幹部に取材した団体(匿名)は、退役軍人らが運営メンバーに加入。受講生は迷彩服に身を包み、サバイバルゲーム的な野外訓練や室内戦を体験する。こうして軍事行動や作戦を学習するのだ。

受講料は1回7000台湾元(約3万5000円)前後だ。今後はアメリカやフィリピンでの実銃を使用した射撃訓練も予定しているといい、とことんマジである。

【国防においても一枚岩になれない「緑」と「藍」の対立】

一連の全民国防ブームの背景にあるのは、近年の台湾政府の政策の変化だ。

「ウクライナ戦争や中国軍の大演習で世界の安全保障意識が変化した22年前後が、台湾でも大きな転換点でした」

国軍のシンクタンク・国防安全研究院で海外客員研究員をつとめる岩本由起子氏はそう指摘する。

昨今の情勢を受け、頼清徳総統が24年5月の就任から盛んに打ち出す安全保障方針が、民間のレジリエンス(靱性[レンシン])の重視だ。

「すなわち、災害や戦争の中でも国家機能を維持できて、社会が被害から回復できる、変化に適応できる力のこと。もとはNATO(北大西洋条約機構)において、安全保障概念として体系化された考えです」

ゆえに、台湾の全民国防は国民全員が戦場に向かう「全民皆兵」を意味しない。有事でも一般市民が自己防衛しながら社会生活を維持する「レジリエンス」な状態をつくることが想定されている。

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コロナ禍の自宅待機で「暇だった」ので、公開情報から人民解放軍の基地を7000ヵ所も見つけてデータベース化してしまった音大生の温約瑟氏。著書の副題は『あなたもオシント(公開情報の精査)で中国軍の行動を読み解ける!』だ

コロナ禍の自宅待機で「暇だった」ので、公開情報から人民解放軍の基地を7000ヵ所も見つけてデータベース化してしまった音大生の温約瑟氏。著書の副題は『あなたもオシント(公開情報の精査)で中国軍の行動を読み解ける!』だ

ここで台湾が参照事例とするのは、ロシアの脅威に直面するバルト海沿岸の小国たちである。岩本氏によると、民間防衛分野はリトアニア、サイバーセキュリティはエストニアを参考にしているという。

そんな取り組みの象徴が、昨年9月に国防部が発行した『台湾全民安全指引』。

これは東京都の防災ブック『東京防災』に相当する全31ページの小冊子で、緊急時の安全対策をイラスト付きで伝える。

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台湾の全世帯に配布された民間防衛マニュアル。現地では小橘書(オレンジの本)とも呼ばれている

台湾の全世帯に配布された民間防衛マニュアル。現地では小橘書(オレンジの本)とも呼ばれている

ただし、地震や津波の対策のみならず「権威主義国家(=中国)の侵略」もリスクとして挙げる。実際に手に取ってみると、「敵軍から離れる」「味方の軍事行動を撮影しない」といった戦時の市民に対する具体的な注意喚起や、デマや認知戦の対策、サイバー防衛についての記載もある。リトアニアや北欧の民間防衛冊子を参考にしたという。

この冊子は、昨年末から台湾のすべての家庭(983万世帯)に配られた。配布を担ったのは、日本の町内会長に相当する「里長」たちだ。台湾では最末端の行政公務員に位置づけられる人々である。

「災害を含めた非常時のマニュアルとして、地域住民からも好評です。もちろん、実際に使う機会がないことを心から願うのですが......」

取材にそう話すのは、新北市合鳳(ホオフォン)里の林永憲(リン・ヨンシェン)里長だ。ほかにも数人の里長に尋ねたが、いずれも住民たちの反応は良好だそう。それぞれ町内の1600~2800世帯に配布したという。国の政策でこうした冊子を配布するのは初の試みだった。

もっとも、ある里長は声をひそめてこう耳打ちする。

「少数ながら『中国と戦争なんてありえない』『税金の無駄遣いだ』と、受け取りを拒否する世帯があった。また、里長自身がそうした考えの人で、冊子を各戸に配らない地域も多少はあったと聞いている」

このような動きには、台湾の政治事情が関係している。この国は、台湾の地域愛が強い与党・民進党(緑色陣営)と、「中華民国」という国家の枠組みに愛着が強い最大野党・国民党(藍色陣営)の二大政党の国なのだ。

与野党支持者の社会分断は深刻で、対中認識についても、中国の危険性を主張する「緑」と、中国との安定的な関係構築を求める「藍」で真っ二つの情勢となっている。

ゆえに野党側は今回の冊子についても、戦争の危機を誇張する頼政権の宣伝行為だと批判する。冊子を拒否する人たちも、おそらくは「藍」(野党)の熱心な支持者たちだ。

頼政権の民間国防政策の大きな課題のひとつは、有権者の半数を占める野党支持層の反発なのである。

「われわれの団体は政府と一定の距離を置いていますし、特定の政治党派にも立っていません。前に国民党系の市民が『論破してやる』と訪ねてきましたが、講義後は『これは必要だね』と納得して帰っていきましたよ」

黒熊学院の朱氏は、彼らの活動姿勢をそう説明する。とはいえ、全民国防の取り組みが、台湾社会で「緑」寄りと見なされがち(「藍」から嫌われがち)なのは間違いない。

【「女性の力で国を守る」】

事実、「緑」系の市民運動から発足した動きも存在する。その代表例が、住民訓練団体の台湾民団(タイワンミントゥアン)だ。

「うちの設立の契機は、昨年に行なわれたリコール運動『大罷免(ダーバーミエン)』なんです」

台湾民団の理事長で弁護士の楊舜麟(ヤン・チュンリン)氏はそう話す。

昨年、台湾では国民党系の政治家や公務員のリコールを求める大規模な市民運動が起きた。頼政権もこの運動に乗り、31人もの国民党議員の罷免の是非を問う住民投票を実施したが、結果はすべて不成立。運動は失敗に終わった。

「しかし、各地で熱心に運動を行なった市民団体の人たちが多くいた。そこでリコールの不成立後、彼らの団体を民間防衛の自主訓練団に転換するよう呼びかけたんです。市民運動で数十人から数百人を組織できるスキルを、各地のコミュニティの安全に活用しましょうと」

楊氏によると、現在は台湾全土で約40個の訓練団が生まれているという。メンバーは合計2000人以上だ。台湾民団の民間防衛講座に参加した非会員の人たちも含めると、この動きに積極的な人の数はさらに数倍に膨れ上がる。

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中華民国空軍の演習に登場した女性パイロット、陳怡慈上尉(大尉に相当)。主力機のF16V戦闘機を駆る(撮影/王清正)

中華民国空軍の演習に登場した女性パイロット、陳怡慈上尉(大尉に相当)。主力機のF16V戦闘機を駆る(撮影/王清正)

訓練団への参加者は医師・弁護士・軍人などもいるそうだが、ここでも目立つのが、母親や若い女性の姿だ。

「女力護国(ニュウリーフーグオ女性の力で国を守る)ですよ。民間防衛は、男性主体だと参加者同士の競争心が強くなりすぎてギクシャクしがちなのですが、女性が加わると、みんな和やかに進むんです」

台湾民団の訓練は、応急処置や避難バッグの準備などのほか、近代戦には欠かせないドローン操作の習得まである。重い銃を担げない女性や高齢者でも、ゲーム感覚で操作できるドローンなら、いざというとき役に立てるかも。そんな動機もあるようだ。

「『中国を挑発するな』とウチを非難する(野党系の)人たちもいます。でも、これは保険加入や健康診断の受診と同じ。いざという事態に備えているだけです。テロや災害の対策にも活用できる、社会のレジリエンス強化を目指しています」(楊氏)

中国の軍事的恫喝(どうかつ)が厳しさを増す中、全民国防の理解と推進に頭を悩ませる台湾。「緑」と「藍」の社会分断は、中国の切り崩し工作の突破口にされやすい一方で、言論の自由がある民主主義社会を象徴する問題でもある。

台湾有事も日本の存立危機事態も、決して起きないことを心から祈りたい。

取材・文・撮影/安田峰俊

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