2011年3月11日、東日本大震災が発生して今年で15年。長い年月の中で、若い世代には震災を知らない者も増えている。
2011年3月11日に発生した東日本大震災から今年で15年。東北地方沿岸部を襲った巨大な津波は多くの命を奪った。25年の時点で死者1万5900人、2520人がいまだ行方不明となっている。
15年がたち、あの震災を経験した人たちはどう感じているのか? 取材した当時の自分の記憶もたどりながら被災地を訪ねた。
最後に被災地を訪れたのは21年だった。今年1月、5年ぶりに訪れた被災地は例年になく暖かったからか、以前にも増して人が歩いているのを見かけた。
まず訪れたのは宮城県気仙沼市鹿折(ししおり)地区。大型漁船の第十八共徳丸が津波で打ち上げられ、震災の映像や写真ではよく目にする場所だ。その共徳丸を震災遺構として残すかどうか住民にアンケートが行なわれたが、震災を思い出させるなどとして反対意見が多く、13年に解体された。
【2011年・宮城県気仙沼市】漁船・第十八共徳丸(2013年に解体)
【2014年・宮城県気仙沼市。震災翌年から始まった、当時の写真と今の風景を重ね合わせる「重ね写真」の試み】
【2016年・宮城県気仙沼市】
【2021年・宮城県気仙沼市】
【2026年・宮城県気仙沼市】
この地区は震災直後に火災が起こり、一晩中火が燃えている様子がテレビで中継されていた。
「津波なのに火災?」と思う方も多いだろうが、東日本大震災では気仙沼市以外にも石巻市や岩手県の山田町などで津波火災が発生しており、原因は家屋の電気系統や自動車、プロパンガスのボンベなどが津波で流され出火したためとされている。
この地区で震災から10年という節目に開園した復興祈念公園は、気仙沼の海辺が見渡せる高台にある。公園では犠牲者の名前と年齢が刻まれたプレートを見ることができる。そのほとんどが高齢者だが、その中に0歳や4歳などの年齢を目にすると胸にくるものがある。
【2026年・宮城県気仙沼市】2021年に開園した復興祈念公園
【2026年・宮城県気仙沼市】復興祈念公園。銘板には震災で亡くなった方の名前が刻まれている
公園から鹿折地区を見渡すと今では商業施設や住宅が立ち並び復興を感じるが、まだまだ空き地が目立つ。地震と津波で地盤が沈下してしまったために地盤の造成工事が必要で、完了まで被災者は5年以上も避難生活を強いられてしまった。
5年という歳月を経て別の場所で生活を立て直してきた被災者たちが、そこで築き上げたものをリセットして再び被災前の場所に戻ってくるというのは、よほどの思いがなければ難しい。子供のいる家庭であればなおさらだ。
【2011年・宮城県気仙沼市】現在は撤去されている歩道橋の上から撮影した写真
【2026年・宮城県気仙沼市】2011年撮影の上写真と同じ地区を、祈念公園から見下ろすように撮影した写真
実際に気仙沼市の人口は減少傾向にあり、少子高齢化や人口流出という日本の地方によくある社会問題を抱えている。
「よくある地方の問題が震災で加速されたんじゃないかな」と語るのは、気仙沼市で生まれ育ち、21年にオーディオショップを再開した鈴木さんだ。鈴木さんいわく、本来ならば建築物の建て替えや人の移動など、いわゆる町の変化は時間をかけて緩やかに進行するはずだったが、津波がそれを一気に加速させてしまったということだ。
気仙沼市でオーディオショップを営む鈴木さん。生まれも育ちも気仙沼だ
宮城県牡鹿(おしか)郡女川(おながわ)町は、「海と共に生きる」と被災後に大型の防潮堤を造らなかった被災地だ。その代わり住宅は高台に建設される町づくりとなった。
海に近い地区には商業施設が立ち並び、高台にある地域医療センター横の低地で営業している地元のスーパー「おんまえや」は女川町民の憩いの場となっている。
【2011年・宮城県牡鹿郡女川町】津波によって倒壊したビル。海の近くの被害は甚大だった
【2026年・宮城県牡鹿郡女川町】2011年撮影の上写真と同じ場所から撮影した写真
女川町は11年の震災時に私が最初に入った被災地で当時、車で女川に向かっているときに海から3㎞離れた場所にまでもがれきが流れてきていたことに衝撃を受けた。
到着して早々に日暮れが迫る中、自衛隊員たちが発見された遺体を運んでいるのを撮影した。3月なのにとても寒く、雪が降る中、毛布に包んだ遺体を黙々と軽トラに積み込んでいた。寒さと飢えと悲しみに襲われる中、救助隊も被災者も精神的にギリギリのところで踏ん張っているんだと感じた。
【2011年・宮城県牡鹿郡女川町】震災直後、遺体を搬送する自衛隊員たち。行方不明者の捜索は連日続けられた
私は寝袋を持っていたので、その日は医療センターの好意で部屋の片隅で宿泊させてもらえた。その夜に私はまだ被災地で頻発していた余震に襲われた。
寝袋で寝ていた私も飛び起きて避難するぐらいの強烈な縦揺れが駆け抜けていった。当時の避難していた被災者は、不安を抱えながら余震にも耐えていたのだ。
「住宅地は高台にあるから、そのときは家にいても安心だったね」
昨年の12月8日に起きた青森県東方沖を震源とする地震の話をしているときに岡さんが言った。岡さんは前述のスーパーおんまえやの近くにあるカフェ「おちゃっこクラブ」を営んでいる。
被災してから医療センターのプレハブで仮営業をしていたが、20年に現在の場所で再開した。今年は子供が成人式を迎えたりと穏やかな日々を送っている。
女川町で穏やかな日々を過ごす、おちゃっこクラブの岡さん
「それがずっと続いていけばいいよね」と、日常を送れることを噛み締めるように言った。そんな岡さんが最近気づいた変化といえば、外からやって来る観光客などの、特に若い世代は、女川が被災地と知らずに来る人が増えてきたことだそうだ。
「幼いときに起こったことだからあんまり覚えてないんだろう」と岡さんはしょうがないよね、という感じでつけ加えた。
岩手県上閉伊郡(かみへい)大槌(おおつち)町は被災後、町に巨大な防潮堤を築いた。高さは14.5mだ。
大槌町に設置された高さ14.5mの防潮堤。町から海を望むことは難しくなり、それを残念がる声もあるそう
防潮堤が完成して町から海を望むことは難しくなり、それを残念がる声もあったが安全には代えられなかった。現在の大槌は大規模な土地の造成が終わり、町には住宅が立ち並ぶようになった。
【2011年・岩手県上閉伊郡大槌町 三陸鉄道 大槌駅方面】
【2011年・岩手県上閉伊郡大槌町 三陸鉄道 大槌駅方面】
11年の震災当時、私が大槌町に初めて入ったのは3月17日。寒波が東北地方を襲い雪が降っていた。
大槌町は孤立状態から脱したのが遅かったからなのか、震災発生から6日もたっていたが、いまだに自衛隊員が遺体を回収し、全国から駆けつけてきた消防隊員たちも一縷の望みをかけて、倒壊しそうな建物の中やがれきをかき分けて生存者の捜索を続けていた。
遺体の搬送は1週間以上たっても続けられ、車も入っていけない場所ではヘリを使って運ばれていた。
大槌町では、震災から6日がたっても消防隊員らによる行方不明者の捜索が続いていた
「少しさみしいなって思います」
大槌町の安渡地区でヘアサロンを営む佐藤さんは、今回取材した際に筆者との会話の最後にそうつけ加えた。震災を経験した高齢者の訃報を聞くことが増え、そもそも町民から震災の記憶が薄れてきているのを感じることが増えてきたそうだ。
大槌町で2018年にヘアサロンを再開した佐藤さん。
被災後しばらくは毎年、3月11日に追悼するという意識はあったが、コロナをきっかけに追悼イベントも縮小してしまい、それが標準となってしまったと佐藤さんは言う。
佐藤さんも毎年その日は追悼するためにお店を休業していたのだが、最近はそれに関係なくお客さんが来たり問い合わせがあるのだそうだ。
「復興するってことはそういうことなのかなと思います」とつけ加えた。
【2011年 岩手県上閉伊郡大槌町 安渡地区】
【2017年 岩手県上閉伊郡大槌町 安渡地区】
【2026年 岩手県上閉伊郡大槌町 安渡地区】
24年に起こった能登半島地震からは2年がたつ。東日本大震災を経験したことから、能登半島地震の復興支援として東北と能登の間で交流が活発になっている。女川町の岡さん、大槌町の佐藤さんはふたりとも6、7年の間、仮設住宅で生活し、長い時間を経て自分たちのお店を再開している。
ふたりは能登の被災者の一番の関心は、復興にどれくらいの時間が必要なのかということだという。その質問にまだまだ時間がかかると正直に話すことで、能登の人たちに希望を失わせてしまわないかと考えてしまうという。
それでも、自分たちの経験が被災した人たちの何かのためになるのであればと交流を続けている。
あの日本を揺るがした大震災から15年。もう、なのか、やっと、なのか、15年が過ぎた。時間と復興が進めば震災の記憶も薄れてくる。
私が出会って話を聞いた人たちには、まだ少し大変な人もいるが、皆穏やかな日々を過ごしていた。何事もない日常を噛み締めて生きている。あの日から必死に生きて手に入れた日常が、これからも続くことを願っている。
●八尋 伸(やひろ・しん)
1979年生まれ、香川県出身。2010年頃からタイ騒乱、エジプト革命、ミャンマー民族紛争、シリア内戦、東日本大震災、福島原発事故、香港騒乱、ウクライナ戦争など、世界各地の社会問題、紛争、災害などを取材、発表している
撮影・文/八尋 伸
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