中谷潤人選手(右)と共に自著を持つ著者の林壮一氏(左)
情熱は人を動かす。『超える 中谷潤人ドキュメント』を上梓した林壮一氏の話に耳を傾けるとそう思わざるをえない。
本書は5月2日、東京ドームで井上尚弥(大橋ボクシングジム)が保持する世界統一スーパーバンタム級王座に挑戦する世界3階級制覇王者・中谷潤人(M.Tジム)のノンフィクションだ。
もっとも、中谷がボクシングを始めてから井上との夢の頂上対決を実現するまでを記した通り一遍の物語ではない。
例えば、著者がアテンドして中谷が元世界ヘビー級王者ティム・ウィザスプーンに会いに行き、プロモーターへの不信感からドラッグに走った話を聞く挿話では、ボクシングビジネスの〝光と影〟も浮き彫りにしている。
* * *
――中谷選手との出会いは?
林 2021年12月、中谷選手が所属するM.Tジムでした。バンテージを巻く姿や練習に臨む集中力からして、「この選手はモノが違う」と衝撃を受け、「世界6階級を制覇したマニー・パッキャオのレベルに行く」と確信しました。
――そのときの〝読み〟は当たっていたわけですね。
林 とにかくフォームがキレイだし、相手に打たせない。目もバランスもいい。ジムではよけいな言葉を発さず、練習に入っていく姿も目を引きました。
――15歳で単身アメリカに渡り、全米でも一、二を争う治安の悪さで有名なロサンゼルスのサウスセントラルを活動の拠点にして武者修行するだけでもすごいのに、「世界王者になる」という夢を具現化した意志の強さには脱帽します。それまで林氏が取材を重ねたレジェンドたちと比較すると?
林 そうですね。中谷選手は独特の雰囲気がある上にストイック。
――中谷選手とはどのようにして距離を縮めていった?
林 サウスセントラルのアパートの一室で、中谷選手や弟の龍人さん(現中谷のマネジャー)を相手に、45歳で早逝した世界3階級制覇王者のジョニー・タピアら、いろいろなボクサーの話をしたときがあったんですよ。本書では、タピアの母親が彼が8歳のとき惨殺され、後年そのトラウマに苦しんでいた逸話も描いています。
そのとき、中谷選手だったら僕の思いをぶつけられるし、逆に彼からも引き出せるという感触があった。そこで「5年くらいかけ、中谷選手で一冊の本を出しませんか?」とお願いしたら、中谷兄弟は「構わないですよ」と承諾してくれました。
――思いが通じた理由は?
林 ふたりとも「これほどボクシングに情熱を持った人と出会ったことがない」と言ってくれたことですかね。
――確かに林さんのボクシングへの熱意には尋常ではないものを感じます。それは、かつてプロボクサーを志していたことも大きな要因となっている?
林 プロライセンスだけで終わるつもりもありませんでした。ちゃんとリングに上がりたかったし、デビューもほぼ決まっていたけど、ケガで断念せざるをえなかった。そのときの挫折感はずっと引きずっていますね。
――その後、テレビ番組の制作、週刊誌記者、アメリカで教員などさまざまな職と並行しながら、ノンフィクションライターとしても活動を開始。過去の挫折や経験は書く上で役立った?
林 ジョージ・フォアマン(45歳で世界ヘビー級王者に返り咲いたレジェンド)を取材するとき、ボクサーとして挫折した自分のことも話した上で、「でもボクシングを愛しているので、あなたにインタビューしたい」とお願いしました。
そうしたらフォアマンは「おまえもつらかっただろう。だけど、今は俺の目の前にいる。なんでも聞いてくれ」と言ってくれたんです。
――中谷選手への取材方法も、フォアマンのときと同じ?
林 はい。ほぼ全裸になるくらいの勢いで自分をぶつけました。そうやって、徐々に信頼してもらえるようになったのかなと思います。
――ただ、中谷選手に出会った当初はまだ井上選手との対戦の機運は高まっていなかった。
林 最初に出会ったとき、中谷選手はフライ級の世界王者でしたからね。一方、井上選手はバンタム級の世界王者。2階級も差がありましたけど、その時点で僕は「井上選手の存在を脅かすのは彼しかいない」と確固たる見込みを抱きました。
――そこは賭けでもあった?
林 その時点でふたりにはライバルがいなかった。「だったら、いつか直接対決が実現することもあるだろう」と思いました。
――中谷選手は発する言葉が少なく、「いちげんさんはお断り」といった感じの、少しとっつきにくいイメージがあります。
林 確かに言葉は少ないかもしれません。僕が向けた問いに、「その質問はちょっと難しいですね」と答えに窮したことも何度かありました。
そういうときには「いや、あえて難しい質問をぶつけているんです。考えてください。出してくれた答えから、さらにいい会話になると思うから」と思いをぶつけていました。
――そうやって言葉のキャッチボールをしながら、会話の幅を広げていったわけですね。職業こそ違えど、共に理想を追い求めるタイプなだけに、ボクシングに対する価値観が合致したのかもしれません。
最後に、5月2日の世紀の大一番の勝負の行方はどうみる?
林 正直、冷静には見られません。これだけ中谷選手を取材していれば、やっぱり応援したいという気持ちもありますからね。
――そうでなければ、中谷選手にぶつけた熱意は嘘になる。
林 だから僕は完全に中谷側です。
――確かにこの日、井上がアラン・ピカソを相手に危なげなく統一4団体の世界王座を防衛。それとは対照的に、この日初めてスーパーバンタム級で闘った中谷は、世界10位のセバスチャン・エルナンデスを相手に右目を腫らすなど苦戦を強いられた上で勝利を収めました。
林 でも、モハメド・アリがソニー・リストンに勝った一戦(1964年2月25日)だって、戦前の勝敗予想は9-1で「リストンの勝ち」でしたからね。中谷選手の笑顔と練習を見ていると、やってくれるだろうと信じています。
■林壮一(はやし・そういち)
1969年生まれ、埼玉県出身。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者などを経て、ノンフィクションライターに。96年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『体験ルポ アメリカ問題児再生教室』『神様のリング』『ほめて伸ばすコーチング』など。ジェイビーシー株式会社広報部所属
■『超える 中谷潤人ドキュメント』
集英社 1870円(税込)
1998年、三重県東員町に生まれ、中1からボクシングを始めて「世界チャンピオンになる」ことを目標に中学卒業と同時に渡米した中谷潤人。
『超える 中谷潤人ドキュメント』集英社 1870円(税込)
取材・文/布施鋼治



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