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柿谷哲也氏はイランで拘束されても取材し続けた

米イスラエル軍がイランを攻撃してはや1ヵ月。世界の経済も安全保障も不安定化する中、アメリカともイランとも関係の深い日本はどうすべきなのか? イランで拘束されても取材し続けた柿谷哲也氏に聞く、イランの実像。

*  *  *

【革命防衛隊に捕まったり、一緒にアイスを食べたり】

――これまでに何度、イランを訪れていますか?

柿谷 合計20回ほどです。最初のきっかけは映画『トップガン』で有名なF14トムキャット戦闘機が見たくて。すでに米海軍から退役していたので、残るイランのF14を見たいと思って決心したんです。

ただ、初めて入国しようとした2009年は入国拒否されて、そのまま国外退去させられました。パスポートに貼られた、各国のジャーナリストビザが「怪しい」と思われたんだと思います。結局、初入国は10年でした。

――F14を撮影しに?

柿谷 はい。イランでは軍事関係の撮影はかなり厳しいんですが、唯一、確実に撮れるのが国軍パレードなんです。

そのときも、ホメイニ師の廟(びょう)があるモスクの上を、戦闘機がフライバイすると聞いていました。ただ、大統領も来るので警備が厳しい。そのため、モスクから1~2㎞離れた麦畑に潜伏しました。

朝からずっと待っていたら、軍楽隊の演奏が聞こえてきて、「始まった」と思った瞬間、頭上をF14が飛んでいきました。

あれは感動でしたね。それがイランで最初に撮ったトムキャットです。

イラン革命防衛隊に拘束されても取材を続けるフォトジャーナリスト・柿谷哲也が語る「イランに生きる人々」と「彼らの本音」
イラン国軍のF-14トムキャットは帝政時代にアメリカから輸入された。2006年に米海軍から退役した後も、イランだけが使用していた

イラン国軍のF-14トムキャットは帝政時代にアメリカから輸入された。2006年に米海軍から退役した後も、イランだけが使用していた

――その後も取材を重ねますが、危険な目に遭ったりは?

柿谷 革命防衛隊に3度拘束されたことがあります。最初は2010年、テヘラン北部にある軍事博物館に行ったときです。

裏手に戦車が見えたのでカメラを持って近づいたら、迷彩服の隊員に囲まれて、小銃を向けられて。人間って不思議で、銃を向けられると自然に手が上がるんですよね。

「何してるんだ?」と聞かれ、「ツーリスト!」と必死に説明していたら、隊員のひとりが僕の腕時計を指さしてきて。外して渡したら、そのまま自分の腕にはめて......。

――取られたんですか?

柿谷 いえ、別の隊員が「返してやれ」ってジェスチャーをして、返してくれました。取り上げるような組織ではないんだな、と思いましたね。

後からわかったんですけど、その場所が大統領官邸の近くだったんです。

あの戦車も展示物ではなく、現役で警備している車両でした。

――2回目は?

柿谷 16年です。戦闘ヘリを撮っていたら、バイクに乗った革命防衛隊員に見つかって、無線で連絡している隙に2枚あったメモリーカードのうちの1枚を靴の中に隠しました。

そのまま拘束されて、「写真を見せろ」と言われましたが、カメラの中は観光の写真だけ。

イランでは観光客に見えることが鉄則です。だから、食べ物とか街の風景、看板、自撮りなど、そういう写真を事前に大量に撮っておくんです。それと『地球の歩き方』も重要です。付箋だらけのページを見せて、「ここに行った」とペルシャ語で説明したら、信用されて解放されました。

イラン革命防衛隊に拘束されても取材を続けるフォトジャーナリスト・柿谷哲也が語る「イランに生きる人々」と「彼らの本音」

――では、3回目は?

柿谷 20年2月です。その年の1月に革命防衛隊の英雄、ソレイマニ司令官がイラクで米軍に殺害されたので、反米デモを兼ねた追悼集会が開かれると思って行きました。

イスファハーンのイマーム広場に行ったら、出店が並んでいて、ソレイマニのポスターや缶バッジが無料で配られていたんです。それが面白くて、全部もらってトートバッグに詰め込みました。

その後、集会の写真を撮っていたら、後ろから肩をつかまれて。振り向いたら全身黒ずくめの男が4人。すぐに革命防衛隊だとわかりました。壁と白いバンの間に立たされて、顔写真を撮られて、カバンの中を見せろと言われました。ただ、出てくるのはソレイマニグッズばかりだったので、「なんだこいつ... ...」という顔をされました。

データは一部削除させられましたが、「軍人以外なら撮っていい」と言われ、それ以降は堂々と撮影しました。「お墨付きをもらった!」ということで。

イラン革命防衛隊に拘束されても取材を続けるフォトジャーナリスト・柿谷哲也が語る「イランに生きる人々」と「彼らの本音」
2020年2月のソレイマニ司令官の追悼集会では、ソレイマニグッズが配られ、ホメイニ師と並んで描かれたポスターはあっという間になくなった

2020年2月のソレイマニ司令官の追悼集会では、ソレイマニグッズが配られ、ホメイニ師と並んで描かれたポスターはあっという間になくなった

――怖いイメージがありますが、革命防衛隊はどんな人たちなのでしょうか?

柿谷 実は一度、革命防衛隊の人にアイスをおごってもらったことがあるんです。

そのときも戦闘機の撮影をしようと、ホメイニ廟の近くの公園に潜んでいました。ただ、そこが革命防衛隊の墓地の隣だったので、警備していた隊員に見つかってしまったんです。「何してるんだ」と聞かれて、「観光で来ていて休んでいた」と言い訳したら、相手が少し英語が話せる人で、そこから会話になったんです。

僕が日本人だとわかると、「なあ、おまえら一回やられてるのに、なんでアメリカと仲いいんだ?」って聞いてきました。

実はこれ、イラン人にしょっちゅう聞かれる質問なんです。その後は決まって「アメリカは好きか? イスラエルは好きか?」と続きます。僕は「日本人はもう誰とも戦いたくないんだ。だから好きも嫌いもない」と答える。そうすると「じゃあイランは好きか?」ってなるんです。

そのときもそう聞かれたので、「大好きだ」って言って、自分がイランで観光した場所とかを伝えたら、「ちょっと待ってろ」と。しばらくしたら、両手にアイスを持って戻ってきたんです。

それが、すでに溶けてベトベトなんですよ。それをひとつ手渡してくれて、向こうは手についたのをベローッと舐めて食べて、僕もそれをまねして食べて。今思えば、自分のぶんのアイスは歩きながら食べれば溶けなかったのに、律義だなと思いました。

イラン革命防衛隊に拘束されても取材を続けるフォトジャーナリスト・柿谷哲也が語る「イランに生きる人々」と「彼らの本音」

【イラン人の本音】

――イランは親日だといわれていますよね。

柿谷 日本が好きな人は多いですが、残念ながら世代間のギャップは大きい印象です。

1980年代に日本とイランは〝ビザなし交流〟があって、そのビザでは就労できないのに出稼ぎに来たイラン人が多かった。日本で稼いで帰国して、事業を始めたり、大きな家を建てたりして、〝ジャパンドリーム〟を実現した世代は現在60代前後。

そういう人の家にお呼ばれして行くと、必ずコクヨのアルバムを見せられるんですよ。開くと日本での写真がびっしり貼ってある。中には、「これは家族に見せられない」と言って、別の封筒に入った写真を見せてくれる人もいる。そこには社員旅行でお酒を飲んでいる写真があったりするんです。

その子供の世代、つまり30~40代は親の影響で日本にいいイメージを抱いていることが多い。彼ら自身は中国製の車に乗っていてしょっちゅう故障するのに、親が40年以上乗っているトヨタとかマツダの車が故障しないことをうらやましがっていたりもする。

また、NHK連続テレビ小説の『おしん』がイランで視聴率90%を超えたというのは有名な話ですが、それも昔の話。若い世代になると、日本のことはあまり知らないんです。日本政府が当時の関係を維持していれば、今でも良いつながりが築けていたんじゃないかと残念です。

イラン革命防衛隊に拘束されても取材を続けるフォトジャーナリスト・柿谷哲也が語る「イランに生きる人々」と「彼らの本音」
数年前に反米博物館として開館した旧アメリカ大使館。併設するアメリカ風のカフェに、西洋文化と反米教育は別物という意識が見えた

数年前に反米博物館として開館した旧アメリカ大使館。
併設するアメリカ風のカフェに、西洋文化と反米教育は別物という意識が見えた

――そんなイランの人々の本音はどこにあるのでしょうか。

柿谷 間違いなくアメリカと仲良くしたいと思っているはずです。これはどの都市に行っても感じます。

もう皆、経済制裁で生活が苦しいんですよ。実際、アメリカとの核合意がうまく進みかけていた昨年4月は、街の空気も変わっていました。反米デモも行なわれなくなっていたし、自由の女神がドクロになっているような反米ポスターも見なくなった。

カフェのメニューも、通常は5、6桁で表示される価格が、ドルのように2桁で表記されていたし、店員も英語を普通にしゃべる。ヒジャブをしていない若い女性も増えていて、「変わってきているな」と感じました。実際に話したら、「政府はアメリカと協議しているので、良い方向に向かうと思う」と未来に明るい期待をしている人が多かったです。

――ただ、今回の米国とイスラエルの攻撃で、その状況が変わってしまった。

柿谷 はい。これは過去の日本と似ています。日本はアメリカにやられた後に復興した。イランもこの戦争が終われば、同じように復興したいと思っているはずです。宗教を抜きにすれば、日本人とかなり近い〝周波数〟を持っていると感じるんです。だからこそ、その復興に日本が関われる余地はあると思います。

●柿谷哲也 Tetsuya KAKITANI
フォトジャーナリスト。1966年生まれ、神奈川県横浜市出身。航空機使用事業を経て97年からフリーランスの写真記者。取材した軍隊は公式・非公式を合わせて74ヵ国

取材・構成/小峯隆生 写真/柿谷哲也

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