予備校は「なぜ高校より面白かったのか?」を解き明かす一冊(『...の画像はこちら >>

「予備校には学校という制度からこぼれ落ちた、治外法権的な『知の解放区』としての魅力がありました」と語る小林哲夫氏

大学受験を経験した人なら一度は関わったことがあるはずの「予備校」。だが、その歴史を体系的に知る機会は意外に少ない。

そんな空白を埋める一冊が、教育ジャーナリスト・小林哲夫氏の新著だ。

明治の草創期から三大予備校の覇権争い、少子化時代の変容まで――。日本独特の受験産業の全貌を描いた同書の舞台裏について直撃した。

* * *

――これまで高校紛争や旧制一中などをテーマに執筆されてきましたが、今回、予備校の歴史に光を当てた意図とは?

小林 基本的に「自分が知りたいテーマ」で本を書いています。これまで書いてきた本もそうでした。書店で知りたいことが見つからないなら自分で調べようと。予備校も歴史を体系化した本がほとんどない。

別に予備校オタクではないのですが、どういう起源があって、どういう人たちが関わり、どう競争して今の予備校になったのか。それを知りたかった。

――ただ、予備校は大学などと違い「正史」が残りにくい世界です。資料の収集や取捨選択に相当な苦労があったのでは?

小林 大変でした(笑)。業界誌での連載がベースですが、再構成には時間がかかりました。

大学の「百年史」のような正史が乏しく、関係者の話も裏が取れないことが多い。当時のパンフレットや広告も誇大表現や水増しが疑われるケースがあり、追加取材を重ねても、すべての事実の確定は至難の業でした。

――本書では戦後から高度経済成長期にかけての熱量が鮮やかに描かれています。中でも特に惹かれた時代は?

小林 戦後の1950~70年代、予備校が爆発的に増えた時代ですね。設置基準の厳しい「学校」と違い規制が緩く、マンション一室でも始められた。

大学院レベルの講義もあれば裏口入学をあっせんする怪しいところまであり、まさに玉石混交。いわば『三国志』のような混沌とした世界です。教育機関でありながらむき出しのビジネスでもある。その多様性が面白かった。

――昔ならではの衝撃的なエピソードも多そうですね。

小林 はい。例えば予備校の替え玉受験ですね。

ある著名な俳優さんが、同級生に駿台予備学校の入学試験を代行させ、その学生証で1年間通っていたという話です。

後に自ら雑誌で告白し、駿台がチェックを厳しくする契機になったといわれていますが、今なら大騒ぎでしょう(笑)。

――本書で語られる「予備校文化」という言葉が非常に印象的です。単なる受験対策を超えて、当時の予備校が社会に果たしていた役割とは?

小林 大きく3つの側面があると考えています。ひとつ目は、学問への「水先案内人」としての役割。私自身、高校までは教育に恵まれた実感が乏しかったのですが、代々木ゼミナールで堀木博礼(ひろのり)先生の講義に触れ、論理的な思考や文章の読み方を徹底的に叩き込まれた。

そこで初めて「学問は面白い」と開眼したんです。いわば、大学での研究や知の世界へいざなう案内人のような役割を予備校が担っていました。

ふたつ目は、社会への視点を養う場であったこと。かつて予備校の講師陣は学生運動のドロップアウト組など、ひと筋縄ではいかない異才であふれていました。

彼らが授業で放つ政治や社会への鋭いメッセージは、良くも悪くも生徒たちの目を世の中に開かせるきっかけになった。学校という制度からこぼれ落ちた、治外法権的な「知の解放区」としての魅力がありました。

3つ目は、「テクニックの体系化」です。単なる暗記ではなく、最短時間で正解にたどり着くための論理や技術を、情報の集積によって学問にまで高めた。かつては「雑談」の中にこそ深い教養がにじんでいましたが、現在は効率重視でそれが失われつつあります。

しかし、形を変えながらも、学校では教えられない「生きた知性」を伝える文化は、今もどこかで継承されていると信じたいですね。

――予備校文化のほかに、予備校が日本社会に与えた構造的な影響をどう総括されますか。

小林 ひと言で言えば「受験情報産業」としての機能です。模試や偏差値によって、学校が提示できなかった生徒ひとりひとりの合格可能性を可視化した。

さらに入試制度がセンター試験や共通テストへと変わるたび、最新情報をフォローし、受験生に提供し続けてきた。この「情報の独占と共有」こそが予備校を巨大化させた正体です。

――一方で、昨今の少子化や現役志向の高まりは、かつての浪人生中心のビジネスモデルを根底から揺るがしています。

小林 かなり厳しい状況です。少子化に加え、学校推薦型選抜や総合型選抜(AO入試など)が増えています。

昔は「浪人してでも慶應や早稲田」という学生が多かった。

でも今は浪人すると生涯賃金が減ってしまうデメリットなども考えて、現役で入れる大学に進学することが増えました。現役志向の高まりにより浪人生中心の予備校は厳しい状況です。

――本書では、SAPIXや鉄緑会などの勢力についても触れています。これらは小・中学校から難関校を狙うエリート塾ですが、今や従来の予備校をしのぐ影響力を持っていますね。

小林 象徴的なのが「チームみらい」党首の安野貴博さんと妻の黒岩里奈さんのような事例です。共に開成・桜蔭というトップ校出身ですが、SAPIXを経て東大へ進み結婚された。極端に言えば「SAPIX婚」です。

今や「どの塾で好成績だったか」という「塾歴」がエリート層の証しになっている気もしています。ただ、これらはまだ一例に過ぎないため、書籍では慎重に背景を分析するにとどめました。

――今後、予備校はどんな形で生き残っていくでしょうか。

小林 今後は大学受験だけに依存するのは難しいでしょう。

高校への講師派遣や進学校化のコンサルティングなど、教育全体に関わるビジネスへ広げていく必要があります。

ただ、学校とは違う形で学問の入り口を示す役割は、完全にはなくならない。林修さんのように、根底に深い教養がある講師はまだいます。テクニックだけで支持され続けるほど甘い世界ではない。そういう意味で予備校文化は今も継承されている。

個人的には、既存の枠組みにとらわれない、学校では出会えないような個性豊かな講師が活躍できる場であってほしいと願っています。

●小林哲夫(こばやし・てつお)
1960年生まれ、神奈川県出身。教育ジャーナリスト。94年の創刊から『大学ランキング』編集担当。著書に『「旧制第一中学」の面目』『関関同立』『改訂版 東大合格高校盛衰史』『京大合格高校盛衰史』『中学・高校・大学 最新学校マップ』『高校紛争 1969-1970』など

■『予備校盛衰史』
NHK出版新書 1188円(税込)
「大学受験に失敗したら予備校に行けばいい」。かつてはそれが常識で、浪人生は"青春の象徴"ですらあった。しかし、現在は推薦・AO入試が増加し、現役志向の高まりによって予備校の存在意義が揺らぐ事態となった。

同書は1970~90年代を「予備校文化」の黄金期として描き、学問への入り口としての役割を果たしてきた事実を掘り起こし、予備校の未来を読み解いていく
予備校は「なぜ高校より面白かったのか?」を解き明かす一冊(『予備校盛衰史』著:小林哲夫)

取材・文/中野 龍 撮影/渡邊りお

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