先週開幕したパ・リーグと共に、日本一を目指して半年間にわたるペナントレースが本格的に始まった。
しかし、華やかな場でプレーできる選手がいる一方で、毎年かなりの数の選手が戦力外通告・引退によって去っていくのがプロの世界。
甲子園で活躍し鳴り物入りで入団したものの、結果を出せず球界を去っていった選手は数知れない。今回は『プロ野球「戦力外通告」』(美山和也、加藤慶、田口元義/著、洋泉社/刊)から、栄光と挫折を味わった男たちの現在を紹介する。
■川口知哉(平安高校(現・龍谷大学付属平安高校)→オリックス)
1997年夏の甲子園を最も沸かせた選手は、間違いなく川口だった。
実力もさることながら、試合後のインタビューで「次の試合は完全試合を狙います」と発言するなど、その大胆な物言いは良くも悪くも日本中の注目を集めた。
高校卒業後は当時のオリックス・ブルーウェーブに4球団による競合の末、ドラフト1位で入団したが、プロでは1勝もあげられず、2004年に自由契約。悪い意味で「ビッグマウス」の印象だけが強く残り、現在でもビッグマウスの新人が入ってくると「ああ、川口の再来か」と連想するプロ野球ファンもいるだろう。
この川口だが2009年に発足した女子プロ野球チーム「京都アストドリームズ」の投手コーチとして野球界に“復帰”した。「女子で140km/hを投げる投手を育てて、男子のプロをキリキリ舞いさせる」ことが今の夢だと語っており、真摯に野球に向き合う姿を見せている。
■寺本四郎(明徳義塾高校→千葉ロッテ)
この寺本も甲子園を沸かせたスターだ。3年夏には当時横浜高校のエースだった松坂大輔と準決勝で対戦。
高校卒業後は千葉ロッテマリーンズに投手として入団。地道に実績を積んでいたが三年目の秋に突然打者に転向した。これは首脳陣が半ば強制した形だったという。
しかし、プロの打者として三年間の遅れは大きい。結局打者としても活躍することができず2006年オフに任意引退の形で球界を去った。
寺本は引退後、地元徳島で飲食店を経営していたが昨年上京し、競馬関連会社『日本サラブレッドクラブ』を起業。わずか半年で都内二か所にオフィスを構えるほどになり、日々仕事に奔走している。
プロ野球というと、華やかな世界に思えるがその裏側ではあまりにも激しい生存競争が繰り広げられている。
川口と寺本はその世界の落伍者かもしれないが、川口は女子プロ野球の開拓者として、寺本は起業家としてそれぞれの道を歩いている。
本書『プロ野球「戦力外通告」』は彼らの他にもかつてのMVP左腕、野口茂樹(中日→巨人)、新人王も獲った正田樹(日本ハム→阪神→台湾・興農)ら4人の“プロ野球選手”の生き様が描かれている。
一度脚光を浴びながらもプロの世界に別れを告げ“一般人”となった男たちがどのように社会と溶け込んでいったのか、それを考えながらプロ野球を観れば、また違った面白さを発見できるに違いない。
(新刊JP編集部/山田洋介)
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