奈良時代、東北地方で起きた“宝亀の乱”という戦争を知っているだろうか。首謀者は蝦夷(えみし)の首長であった伊治呰麻呂(これはるのあざまろ)という人物だが、当時の資料は数少なく、乱がどのように終結したのか、そして呰麻呂がどのように行動したのかも不明確とされている。

 そんな伊治呰麻呂(作中では鮮麻呂)を中心として“宝亀の乱”を蝦夷の視点から描いた大河小説『風の陣』が、17年の執筆期間を経て、5作目となる『風の陣 裂心篇』でついに終止符を打たれる。岩手県出身で『炎立つ』や直木賞受賞作である『緋い記憶』の作者でもある高橋克彦さんに、『風の陣』に込めた想い、そして歴史小説の醍醐味について語ってもらった。
 前半となる今回は『風の陣 裂心篇』について、そして奈良時代という時代について聞いた。


■“17年もかけたけれど、ゆっくりと書き進めて正解だった”

―17年にわたって執筆されました『風の陣』が本作『裂心篇』で完結されますが、高橋先生自身は執筆当初から5冊にわたる長編になるということを想定していたのでしょうか。

「さすがにここまで長くなることは考えてなかったよ(笑)。最初、俺の頭の中では1年半くらいで1冊ずつ書いて3冊で終わるはずだったからね。掲載している雑誌が休刊になったり俺の都合で2年くらい休ませてもらったりして、実際は4年くらい書いていない時期があったから執筆していた期間は13年くらいだけれど。
でも逆に言えば、これだけの時間をかけているから良いと途中から思ったね。というのも、小説っていうのはフィクションではあるけれど、歴史を書いている以上ウソは書けないんだ。ただ、主人公の鮮麻呂の資料は極端に少ないわけで、そういう人物を色づけしていくためには、他の史実、つまりこの小説ならば奈良時代の政治情勢や文化、そういったものをきちんと書き込んでいく必要がある。この小説は時代が主人公を作っていくという想いがあったから、ゆっくりと考えて書いてきたのは正しかったと思うね」

―戦い抜いた鮮麻呂がどのような最期を遂げたのか、その資料は全く残されていないそうですが、だからこそ、本作の最後のシーンがすごく印象的に思えたのかも知れません。その後、鮮麻呂がどうなったのか、読者の想像力を掻き立てるような…。


「本当はね、最初の構想では鮮麻呂が死ぬところを具体的に書くつもりだったんだよ。だけど、書いているうちに殺せなくなっちゃったんだよね(笑)。鮮麻呂が自分の中に入り込んでしまって。“小説”ということを考えるなら、鮮麻呂が死ぬシーンを書くともっと感動的になったのかも知れないけどね」

―本作では蝦夷という民族と朝廷との戦いが描かれていますが、蝦夷という民族が当時の日本のマイノリティであるとしたとき、本作で書かれていることは現代にも通じるところがあると思いました。

「それはその通りでね、最初は日本のある地域のものすごく狭い社会の特殊な世界を書いている気がしていて、どのくらい読んでくれる人がいるんだろうっていう不安とともに、自分が東北人である以上、きちんと書かないといけないという想いだけで書き始めていったわけだ。
でも、どんどん書き進めていくうちに、マイノリティは他国にもいることに気づいたんだ。もしかすると、俺は地域の狭い社会を通して、普遍的なものを書いているかも知れないと思ってね」

―日本史の教科書の中には蝦夷や琉球民族のことってあまり書かれないですよね。

「蝦夷の場合は、昔から朝廷と大きな戦を繰り返してきた。鮮麻呂から始まって、アテルイ、さらには安倍一族、奥州藤原氏も含めてね。でも全て負けている。負けるということはその歴史を抹殺されるということなんだよね。歴史は勝った側が捏造していくようなもので、自分たちの論理を正当化するために、敵側の美点を悪に直していくんだ。

特に蝦夷については、3回も大きな戦に負けてしまったために、古代の東北の歴史のほとんどは失われてしまった。でも、それは失われただけで、東北人も同じ歴史の中に生きていたわけで、必ず彼らは何かしらのことをしている。それをどのように復元するか、そして、復元する過程の中で何が見えるのか、それが俺にとっての1つのテーマだったのね」

―伊治鮮麻呂の乱も資料はほとんど残されていないわけですよね。そういう意味では、朝廷がその資料を残せなかった、例えばその戦には負けたけど、負けた事実を隠して後世に残さなかったということも考えられますね。

「だから、今、残されている資料そのものも本当か嘘かは分からない。けれど、ただ1つ真実が含まれていてね、それは、鮮麻呂は死んでいないということだよ。死んでいたら、絶対朝廷側が書き残しているはずだから。鮮麻呂は陸奥按察使(紀広純)を殺した人間だから、全国的な捜査網が敷かれたはずなのに、何一つとしてその後の記述が残されていない。朝廷側にも蝦夷の側にも分からない消え方をしたということだけが真実で、そのことをどう解釈するかというところで、俺自身の解釈をこの小説で書いたつもりだけどね」

―本作は奈良時代という時代が主人公を作っていくと先ほどおっしゃいましたが、奈良時代とはどのような時代だと思いますか?

「これは自分の勉強不足ということもあったんだけど、蝦夷の側の苦難や悩みを伝えるためには敵対する側、要するに朝廷側のほうをどれだけきちんと書けるかというのが勝負だと思ったわけね。だから最初、奈良の都のことをしっかり書こうと思ったんだけど、それが泥沼に入っていくきっかけだったね(笑)。
入っていったら、それがすごく面白くて動いていた。あまり歴史小説で奈良時代をテーマにする作家はいなくて、井上靖さんが『天平の甍(てんぴょうのいらか)』で書いたようにのどかで仏教文化が花開いたイメージ、もしくは朝廷内部の肉親同士の抗争に明け暮れているようなイメージがあったけど、それだけじゃない。
実に動いている時代なんだよね。だから奈良時代を書いているときは本当に面白かったなあ」

(新刊JP編集部/金井元貴)

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