アスレティック・ビルバオに所属する主将DFオスカル・デ・マルコスが、現役ラストマッチを終えた。
クラブ歴代2位の出場記録保持者が、“ラ・カテドラル”に轟いた万雷の拍手の下で、プロキャリアに終止符を打った。
そんなデ・マルコスの現役ラストマッチは、25日の本拠地『サン・マメス』でのラ・リーガ最終節バルセロナ戦となった。スタメン出場したカピタンは、果敢なオーバーラップやチャンスに直結するパスなどで躍動し、36歳という年齢を感じさせない…まだやれるのではないかというプレーを見せた。試合前には両チームの選手たちによる花道で迎えられ、89分に退いた際にもピッチ上の選手たち、さらには敵将のハンジ・フリック監督からも労いの言葉をかけられていた。
試合後、デ・マルコスは「16年前、僕は旧サン・マメスで最初の試合に出場した。そして今夜、新しいサン・マメスで最後の試合をプレーしたんだ。新しいチームメイト、新しい世代とともにね。この旅を一緒に歩んでくれたすべての人々に感謝の言葉を伝えたい。
なお、22日に行われた『レサマ(練習場)』での送別記者会見では、チームメイトと家族のほか、監督やコーチ、女子チームやユースチームの選手、クラブスタッフも参加。さらに、カルロス・グルペギ氏やホセバ・エチェベリア氏、アリツ・アドゥリス氏やマルケル・スサエタ氏らといったかつてのチームメイトも駆けつけるなど、同選手の人徳と、残した功績がどれほど偉大であるかを象徴するものとなった。
また、デ・マルコスは「僕がアスレティックに到着したとき、どのくらい続くのかなんて分からなかったけど、ここで自分の居場所を見つけることができた。さらに時間が経つと、家族のひとりになったように感じられたんだ」とし、「レサマは毎朝目的を持って始める場所であり、サン・マメスは僕の聖域だった。さようならを言うけど、完全にいなくなるわけじゃないよ。愛に満ち溢れた場所で暮らした者は、そこに根を残すからね。僕は自分らしく去り、ほんの一部は永遠に残り続けるんだ」とも口にしていた。
アスレティック・ビルバオとラ・リーガのレジェンドは、多くのサポーターに見送られながらスパイクを脱いだ。もう、新緑の芝生を駆けることはない。
【セレモニー】ピッチに別れを告げるデ・マルコス
クラブ歴代2位の出場記録保持者が、“ラ・カテドラル”に轟いた万雷の拍手の下で、プロキャリアに終止符を打った。
1989年4月14日生まれの現在36歳は、バスク州アラバ県出身で同県に本拠を構えるアラベスで2008年12月にトップチームデビューを果たすと、チームは3部降格の憂き目に遭ったものの、翌2009年夏にアスレティック・ビルバオに加入。以降16年間に渡って活躍し、ホアキン・カパロス、マルセロ・ビエルサ、エルネスト・バルベルデ、マルセリーノ・ガルシア・トラルといった名将からも信頼を置かれた。とりわけ、元々は攻撃的なポジションを主戦場としていたが、サイドバックに新境地を見出したことは息の長い選手となる要因に。確かな技術や正確無比なクロス、戦術眼や運動量は、ラ・リーガ屈指のユーティリティプレーヤー(GKとCB以外はプレー可能)への進化を後押しした。ホセ・アンヘル・イリバル氏に次ぐ記録となる公式戦通算573試合出場、39得点66アシスト、2度のスーペルコパ・デ・エスパーニャとコパ・デル・レイ優勝、イケル・ムニアイン(現:サン・ロレンソ)から腕章を継承…とオスカル・デ・マルコスの名はクラブの“バイブル”に刻まれている。
そんなデ・マルコスの現役ラストマッチは、25日の本拠地『サン・マメス』でのラ・リーガ最終節バルセロナ戦となった。スタメン出場したカピタンは、果敢なオーバーラップやチャンスに直結するパスなどで躍動し、36歳という年齢を感じさせない…まだやれるのではないかというプレーを見せた。試合前には両チームの選手たちによる花道で迎えられ、89分に退いた際にもピッチ上の選手たち、さらには敵将のハンジ・フリック監督からも労いの言葉をかけられていた。
試合後、デ・マルコスは「16年前、僕は旧サン・マメスで最初の試合に出場した。そして今夜、新しいサン・マメスで最後の試合をプレーしたんだ。新しいチームメイト、新しい世代とともにね。この旅を一緒に歩んでくれたすべての人々に感謝の言葉を伝えたい。
残念ながらもうこの世にいない人にも、今ここにいる人にも」と告白。そして「アスレティックは続いていく。来シーズンは、みんなとともにスタンドで応援するために、ここに戻ってくるよ」と締め括った。
なお、22日に行われた『レサマ(練習場)』での送別記者会見では、チームメイトと家族のほか、監督やコーチ、女子チームやユースチームの選手、クラブスタッフも参加。さらに、カルロス・グルペギ氏やホセバ・エチェベリア氏、アリツ・アドゥリス氏やマルケル・スサエタ氏らといったかつてのチームメイトも駆けつけるなど、同選手の人徳と、残した功績がどれほど偉大であるかを象徴するものとなった。
また、デ・マルコスは「僕がアスレティックに到着したとき、どのくらい続くのかなんて分からなかったけど、ここで自分の居場所を見つけることができた。さらに時間が経つと、家族のひとりになったように感じられたんだ」とし、「レサマは毎朝目的を持って始める場所であり、サン・マメスは僕の聖域だった。さようならを言うけど、完全にいなくなるわけじゃないよ。愛に満ち溢れた場所で暮らした者は、そこに根を残すからね。僕は自分らしく去り、ほんの一部は永遠に残り続けるんだ」とも口にしていた。
アスレティック・ビルバオとラ・リーガのレジェンドは、多くのサポーターに見送られながらスパイクを脱いだ。もう、新緑の芝生を駆けることはない。
それでも、『サン・マメス』のピッチを見るたびに、デ・マルコスが披露したプレーの一つひとつが蘇ってくるだろう。
【セレモニー】ピッチに別れを告げるデ・マルコス
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