かつてセレッソ大阪でもプレーした、元ウルグアイ代表のディエゴ・フォルラン氏が、2007年夏からの4年間在籍したアトレティコ・マドリードでの日々を振り返った。

 ロヒブランコスの歴史において、ディエゴ・フォルラン氏は烈日の輝きを放っている。
アトレティコ・マドリードにヨーロッパリーグとUEFAスーパーカップのタイトルをもたらす同氏は、母国ウルグアイでプロキャリアを始めると、マンチェスター・ユナイテッドとビジャレアルを渡り歩いた後、2007年夏にスペインの首都にやってきた。1年目からセルヒオ・アグエロ氏との2トップでゴールを量産すると、2008-09シーズンはリーグ戦33試合・32得点という驚異的な数字を叩き出した。これにより、アトレティコ・マドリードの選手として初めてかつ、ここまで唯一のゴールデンシュー受賞者に(同氏自身は2度目の受賞)。また、当時のラ・リーガで1シーズン30得点以上を挙げたのは、1996-97シーズン以来の快挙だった。結局、2011年夏に退団するまでの4年間で、クラブ公式戦通算198試合に出場し96得点を記録したのだ。

 そんなフォルラン氏は、アトレティコ・マドリードにおける2025-26シーズンのソシオ会員カードの主役に選ばれたことに際してインタビューに応じると、“素晴らしい思い出”、という4年間について「それはラ・リーガ、コパ、欧州大会といった多くの試合に出たこと…タイトルや個人賞に限った話じゃない。アトレティコという偉大なクラブの一員として過ごしたなかで、人々の愛情に恵まれたことなんだ。(街の)どこへ行っても、みんなが私のこと知っている。その思い出が、心に残っている」と思いを巡らせた。

 また、『96』のゴールを回想したフォルラン氏は、「たくさんのゴールを決めるチャンスに恵まれ、なかには本当に美しいものもあったね。フォワードにとって、最初の1点はとても印象に残るもの。インタートトカップ(現在廃止)の予選で、キックオフの数分後だった。
とても大きな意味があったと思う」と告白。続けて「それからヨーロッパリーグの決勝でのゴールもあって…何よりもアトレティコでゴールデンシューを獲得できた。たくさんの重要なゴールのおかげだ」と振り返った。

 今でこそ毎年優勝争いに絡み、チャンピオンズリーグ常連となったものの、当時は中位が定位置だったアトレティコ・マドリード。自身の傑出したパフォーマンスで2年連続の4位に導くことになった、2008-09シーズンにも触れたフォルラン氏は、「クラブ史において、多くのトップクラスのフォワードがいた。そのなかで、唯一のゴールデンシュー受賞者になれたことは本当に光栄なこと。あのシーズンは素晴らしかった。チームが良いプレーをした。33試合で32得点。確かに、あの頃のアトレティコは今とは違くて、中位が定位置でトップ4入りを目指していたくらいだからね。そうした点も踏まえて、クラブ史上唯一のゴールデンシュー受賞者になれたことは、大きな誇りだよ」と自身が成し遂げた功績を誇らしい、と語っている。

 フォルラン氏が退団した半年後、アトレティコ・マドリードはディエゴ・シメオネ監督の就任を機に、スペインの“第3極”へと成長を遂げることになる。
それでも、“夜明け前”に放ったフォルラン氏の輝きが、忘れ去られることはないだろう。
編集部おすすめ