サンフレッチェ広島レジーナが5月17日に雨空の敵地でアルビレックス新潟レディースと対戦した昨シーズンの最終戦。
特別な思いが入った試合だった。創設時からチームをけん引してきた元なでしこジャパンの近賀ゆかりさん(現アンバサダー)が4月にシーズン終了後の現役引退を発表。現役最後のホームゲームでは1万人を超える観客が駆けつけたが、引き分けで勝利を届けられず、その翌節もアウェイで敗れて、2試合白星がないままシーズン最終戦を迎えていた。何より結果を求めてきた大先輩の現役ラストマッチ。勝利で飾りたかった。
「シーズンの最終戦だったし、今までチームを引っ張ってくれていたキンさんの最後の試合だったので、チーム全員がいろんな思いを背負って臨んだ試合でした」(上野)
レジーナは60分にDF呉屋絵理子のゴールで先制に成功したものの、74分に同点に追いつかれた。だが、直後の76分にはDF藤生菜摘のアシストから近賀さんが値千金の勝ち越しゴールを決めた。
「すごく感動的で、自分の最後の試合で決められる選手はなかなかいないと思うので、本当に鳥肌が立ちましたし、素晴らしい選手だと思いました」と上野は頼もしい背番号2のラストファイトを振り返る。
ただ、後半アディショナルタイム、ホームの新潟に執念のゴールを押し込まれて再び同点。2度のリードを追いつかれる苦しい展開だった。それでも、失点後にいち早くボールを持ち出して逆転を目指した近賀さんが、その3分後に今度はPKを獲得。
「いや、もう、ありえないなって。自分も『キンさん蹴ってください』って言ったんですけど、(近賀さんは顔を横に振りながら)『いや、いや』ってずっと言っていたので。それでもう、キンさんに託されたからには自分が行くしかないという気持ちになりましたし、そこはしっかりメッセージを受け取って、絶対に決めたいと思いました」(上野)
このときのことを近賀さんは、5月の引退会見で明かしていた。「もし自分がPKを取っても上野に任せることは決めていました。チームが勝つことを私は1番に考えて、その確率を上げるために1番いいのが上野に託すことだと思っていました」とレジーナの背番号9への絶大な信頼を口にした。
試合終了間際で勝利が懸った緊張感のあるPK。このとき、チームやサポーターの思いを一身に背負うのはエースストライカーの宿命だ。「ここで蹴らないといけない」。上野は覚悟を決めてペナルティスポットの前に立ち、ゴール右下を狙って右足を振り抜いた。勝利への思いを乗せたシュートだったが、なでしこジャパンのGK平尾知佳(現グラナダ/スペイン1部)の好守に阻まれて、決勝点の大きなチャンスを逃した。
シュートを止められた瞬間、上野は頭を抱えた。
しかし、無情にも試合終了のホイッスルが晴れ空に鳴り響いた。勝利に導けるはずだった上野の頭の中は真っ白になった。「(試合後は)あまり覚えてなくて、でもほんとに申し訳ないなと思いました」。先輩からの優しさにも触れて、ますます悔し涙が込み上げてくる。ユニフォームで顔を覆い、泣き続けるしかなかった。
「もう見せる顔がないなと思って。キンさんの最後の試合で、負けてはいなかったですけど、そこで自分が決めきれてれば……っていう思いが溢れてきて。
上野が珍しく感情を表に出していた。新潟まで駆けつけた広島サポーターからの温かい声援も耳に届いていていたが、ちゃんと応えられないほどだった。
「公式戦でPKを止められたのも人生で初めてだったし、あんなに泣いたのも初めてだったので、わからない感情が多すぎました」(上野)
ただ、シーズン最終戦は引き分けで終わったものの、チームは最後まで戦う姿勢を貫いて勝利への執念を見せた。この現役ラストマッチで近賀さんは、4年間のチームの成長を実感していた。試合の3日後、自身の引退会見で期待を込めて話していた。
「シーズン最終戦で引き分けて終わってしまった中、全員が本当に悔しい顔をしていて、もちろん自分自身も悔しかったですが、みんなの顔を見ると、『これが成長だったんだな』と感じることができました。おそらく1年目は勝利への責任の重さ、サンフレッチェのエンブレムをつけて戦って勝利にこだわらないといけない中で、負けてしまっても、リーグ戦だったら次があるという意識が出てしまっていたと思います。その中でチームとして様々な経験をして、自分たちで勝ち取っていく中で少しずつ自信が芽生えたから最終戦で全員が悔しい顔をしたと思うので、来シーズンがとても楽しみです」(近賀さん)
上野はシーズン最終戦を「しっかり勝ってチームとしても4位で終わろうと試合の前にみんなで話し合っていたので、すごく悔しい試合でした」と振り返り、「勝ちにこだわるところは、今までもずっと継続してやってきた部分ではあるけど、チームとしてもっとやらないといけないと言われ続けてきた部分なので、最後に勝ち切れなかったはまだまだなと感じてます」と勝利への責任を口にした。
最終節で引き分けたことで4位の新潟を越えられず、チームは10勝7分5敗の5位で4年目のシーズンを終えた。リーグ戦全22試合に出場してチーム最多の7得点を挙げた上野は、「チームでトップ3を狙った中で5位という結果でしたけど、自分たちがやりたいことを試合で表現できた部分もありましたし、チームとして成長できた部分は多かったと思っています」とチームでの手応えは口にしてものの、「個人としてはもっと得点を取らないといけないし、もっと自分がチームを引っ張る気持ちでやらないといけないなと感じました」と厳しく受け止めた。
これまでにない悔しさを抱えてシーズンを終えた上野は、直後の約1カ月のオフでリフレッシュに努めた。さらに、チームが始動してすぐに参加した日本代表の活動の中でも、悔しさをほぐせる出来事があった。
「代表で平尾と一緒になって(PKのときの)話をして、『あの時こっちに蹴ると思った』みたいなことを言われて、(シュートコースを)読まれていましたし、悔しかったですね。でも、笑い話ではないですけど、そのおかげでもう引きずってはいないです」(上野)
悔しさを胸にしまい、またサッカーと向き合う日々が始まった。7月の東アジアE-1サッカー選手権2025決勝大会に臨んだ日本代表では、新たなポジションや役割を経験した。本職のフォワードよりも低い位置の中盤で起用され、ニルス・ニールセン監督からは「よりボールを受ける回数を増やして、全体のバランスを見ながら攻撃の流れを作ること」を求められたという。上野は、「少し下がりすぎて重たくなってしまった部分もあった」と課題を捉えつつ、「初めてのポジションで色々考えながらチャレンジできて良かったと思っています」と刺激を受けた。
「自分のプレーの幅が広がるのでやって良かったと思います。試合の流れを見ながら相手を見て判断する部分では、やっぱり韓国代表の相手だとまたスピードも違いましたし、1つ判断が遅れるだけでプレッシャーもかかるので、より考えながらプレーできたのはよかったです」(上野)
レジーナでは今シーズンから新たに赤井秀一監督が就任。上野にとっては前所属の愛媛FCレディース時代に指導を受けた指揮官との再会となった。新体制でチームはより攻撃的に生まれ変わり、攻守で主導権を握る意識やゴールへの意欲を全員で高めてきた。
「守備の部分で自分たちが前からしっかりスイッチを入れれば、相手コートでプレーする回数も増えてくると思うし、より早くゴールに向かうところは自分たちの武器でもあると思うので、そこはチーム全体でしっかり表現していきたいです」(上野)
赤井監督とは約5年ぶりの共闘になる。新指揮官は教え子について、「一緒にやってたときよりもゴールに向かう姿勢は多少成長したかなと思うけど、そこはもっと出してほしい」とさらなる飛躍に期待を寄せる。上野本人も、「ゴールに直結するプレーや得点でチームを勝たせるところを求められているので、そこは自分自身もしっかり受け取りながら、チームのためにプレーしていきたいです」と気持ち新たに活躍を誓う。
新生レジーナも今季WEリーグの目標はまずトップ3入り。なんとしても、日テレ・東京ヴェルディベレーザ、INAC神戸レオネッサ、三菱重工浦和レッズレディースのWEリーグに君臨する3強の牙城を崩す。
9月に29歳になるストライカーは、「今までやってきた中で成長できた部分は、3強に対しても示せた部分はあったので、もっと自分たちの武器を増やしながら、今シーズンは今まで達成できなかったトップ3をチーム全体で目指していきたいです」と意気込んだ。
そうやって闘志を燃やすのは、今シーズンも多くのサポーターと勝利の喜びを分かち合いたいからだ。昨シーズンは後半戦初戦の「自由すぎる女王の大祭典」で当時WEリーグ史上最多観客数の2万156人を記録し、シーズンを通した1試合平均入場者数はリーグ最多の5482人を達成。リーグトップの観客数を誇る環境に勝利で応えていく。
「(約2万人を前に)最高の雰囲気でプレーできたことが本当にうれしかったし、それがやっぱり当たり前であってほしいので、自分たちも頑張らないといけない」と気を引き締める上野は、「1試合1試合しっかり勝ちを積み重ねて、ファン・サポーターのみなさんに恩返しをしたいです」と力を込めた。
昨シーズンは涙を流す姿で終えたが、サポーターに見せたいのは自分らしく輝く姿だ。
「ポジション関係なく相手を見て判断してプレーすること、フォワードだったら前線でしっかりタメを作ることは自分の武器だと思っていますし、得点のところは自信をもってプレーしたいです」
「やっぱり結果でみなさんと喜び合いたいので、内容もそうですけど、球際で負けないとか当たり前のことをチーム全体でハードワークして、より頑張っている姿をみなさんに見せたいです」
シーズン中には、悔しさを味わったPKの機会もまた来るはずだ。そのチャンスが巡ってきたら?
「もちろん蹴ります」。レジーナの9番は即答した。
「もうあんな思いはしたくないので、しっかり練習して、本番で緊張しないように頑張ります」と悔しさを糧に力強く言い切った。
3カ月前に新潟で見せた珍しく泣き尽くす姿は、勝利へのこだわりの証だ。あの日サポーターからもらった温かい声援に応えるためにも、それを新シーズンでは得点で示す。
「普通だったら『ふざけんな』って言いたかったと思うけど、それでも最後まで応援してくださるファン・サポーターのみなさんがいたのですごくありがたいです。あの時は顔を上げられなかったけど、もっとチームのために頑張ろうと思いました」
WEリーグ5年目のシーズンが始まった。新たなスタートを迎え、顔を上げた上野の表情は強い覚悟で晴れ渡っている。
インタビュー・文=湊昂大