とはいえ、ガンバも簡単な相手ではなかった。2日のAFCチャンピオンズリーグ2・ラーチャブリー戦から中2日の超過密日程。ダニエル・ポヤトス監督は宇佐美貴史ら主力級を大幅に変えざるを得なかった。そこで5バックに近い『3-4−2−1』布陣を採用。鈴木優磨とレオ・セアラの鹿島強力2トップを封じつつ、両サイド攻撃を積極的に見せて先手を取ろうという作戦を講じてきたのだ。
守備重視のガンバに鹿島は前半から苦戦を強いられる。ボールを保持しても後ろで回すだけになってしまい、逆に相手の鋭いカウンターを受けることになる。前半の飲水後は支配率でも下回り、チャンスらしいチャンスと言えるのは、前半終了間際のチャヴリッチと鈴木優磨のシュートシーンくらい。乏しい内容になったのは確かだ。苦境を打開すべく、鬼木監督は後半に入ると持ち駒を次々と投入。
ご存じの通り、徳田は17歳だった2024年にJ1デビューを飾り、昨年9月のサンフレッチェ広島戦でJ1初ゴール。鬼木体制突入後の今季は重要戦力の一人と位置付けられ、序盤はジョーカーとしてコンスタントに出場していた。しかしながら、5月のU-20日本代表のスペイン遠征で右足関節内果骨折の重傷を負い、長期離脱を強いられてしまった。今季に勝負を賭けていた本人にとっては辛い現実だったに違いないが、懸命のリハビリを経て、名古屋戦で華々しい復帰を果たした。鬼木監督も“終盤戦の鹿島の切り札”としてチームを活性化してくれると確信していたに違いない。
その風格は確かに感じられた。後半36分に荒木遼太郎が入って縦関係を形成してからは「何かが起きる」という雰囲気が色濃く感じられた。荒木のスルーパスに徳田が反応した後半43分のシーンなどは、あと一歩で得点が入っていてもおかしくなかった。迎えた後半アディショナルタイム、鹿島は右CKの流れからPKをゲットした。
「自信が足りなかったというか、背負いきれなかったかなというところですかね。もうキックどうこうというよりも、メンタルな的なところで勝てなかったかなと。監督に託してもらって『決めなきゃな』という思いが強かったですけど、うまく力に変えられなかった。自分の弱さが出たかなと思います」
試合後、大勢の報道陣に囲まれた徳田は伏し目がちにこう語った。「明らかに勝ち点2を自分のせいで失った」とも発言していたが、PK失敗は誰にでも起きること。徳田の恩師・小笠原満男も大舞台で外しているし、過去のワールドカップでも駒野友一、南野拓実、三笘薫、吉田麻也といった偉大な面々も失敗している。
「18歳があの場面で蹴れるというのは、俺にはできないこと。大事なのはここからどう振る舞うか。外した次の試合で決めれば何の問題もない」と三竿健斗が言えば、知念慶も「FWなら誰しもが通る道。いい授業料になったんじゃないですか」と前向きに語る。特に知念は鬼木体制の川崎フロンターレ時代に思いを馳せ「(小林)悠さんも大事な試合で外して、次もまた蹴ったんですよ(2018年の湘南ベルマーレ戦と鹿島戦)。悠さんは1度目に失敗した後、(大久保)嘉人さんに連絡して『嘉人さんならどうしますか』と聞いたら、『絶対蹴れ』と言われて、志願したと聞きました。誉もたぶん次か、その次くらいに点取ると思いますけどね」という貴重なエピソードも披露した。知念が徳田にその話をするか分からないが、鬼木監督は小林悠のような強気のリアクションを待っているのではないか。そうすることで徳田は本当の次世代エースになれるはずだ。
実際、鹿島が9年ぶりのJ1タイトルを獲得するためには、鈴木優磨やレオ・セアラら実績ある面々のみならず、若手の力が必要不可欠。ガンバ戦の終盤は徳田、濃野公人、荒木、松村という若い攻撃ユニットで挑み、相手を凌駕したのは朗報だ。
取材・文=元川悦子
【ハイライト動画】鹿島vsG大阪