ボカ・ジュニオルスは現地時間8日、ミゲル・アンヘル・ルッソ氏が亡くなったことを伝えた。

 現地メディア『TyCスポーツ』によると、ルッソ氏はミジョナリオスの監督を務めていた2017年に癌が見つかっていたという。
以降、様々な治療と2度の手術を受けながら、サッカー界での活躍を続けており、今年6月にはボカ・ジュニオルスで“第3次政権”を始動させていたが、9月初旬から容態が悪化。度重なる入院を経て、9月22日に行われたプリメーラ・ディビシオン(アルゼンチン1部)のクラブ・アトレティコ・セントラル・コルドバ戦を最後に、公式戦のベンチには入っておらず、23日を最後に公の場では姿が目撃されていなかった。

 ルッソ氏は8日の午後7時頃、ブエノスアイレスの自宅で、愛する家族や友人に見守られながら、69歳で亡くなった。遺体は現地時間9日の午前10時から午後10時まで、ボカ・ジュニオルスの本拠地『ラ・ボンボネーラ』のロビーに安置される。通夜は10日の午前10時から午後12時に行われる。

 また、ルッソ氏が最後に指揮したボカ・ジュニオルスは、クラブを通して声明を発表。「ミゲル・アンヘル・ルッソ氏の逝去を深い悲しみとともに発表します。ミゲルは我々のクラブに忘れられない足跡を残してくれました。常に喜び、温かさ、そして努力の模範となるでしょう。この悲しみの瞬間に、彼の家族や愛する人々に寄り添います」とメッセージを残した。

 ルッソ氏は現役時代、母国クラブのエストゥディアンテスで“ワン・クラブ・マン”として活躍。公式戦通算435試合出場11ゴールを記録した。
アルゼンチン代表としても17キャップを刻んでいる。

 現役引退後は指導者に転身し、ロサリオ・セントラル、ベレス・サルスフィエルド、サン・ロレンソといったアルゼンチン国内のクラブだけでなく、ミジョナリオスやアリサンサ・リマといった南米全体、さらにはUDサラマンカ(当時)やアル・ナスル等、大陸外でも指揮を執った。ボカ・ジュニオルスでは2007シーズンの1年間、2020シーズンからの約1年半、そして今年6月からと3度にわたって監督を歴任。ボカ・ジュニオルスが最後にコパ・リベルタドーレスを制した2007シーズンに、“南米王者”へ導いた人物として知られている。
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