シンガーソングライターとして、今年活動20年目になる有坂愛海さん(39歳・@arisakaemi)は、線維筋痛症という原因不明の病気と闘う女性でもある。持病以外にも多難を経験した彼女の、半生に耳を傾けた。

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突然、身体が痛みだし…日に日に症状が悪化

――線維筋痛症とは、どのような病気でしょうか。

有坂愛海(以下、有坂):炎症も外傷もないのに、ある日いきなり身体の広い範囲に痛みが襲ってくるんです。はじめは3年ほど前だったと思います。朝起きたら身体が痛くて、「寝違えたのかな?」と。年齢的にちょっとは早いけど四十肩もあり得るので、そんなふうに考えていました。そのうち安静にしているのに膝に水が溜まってきて、整形外科で抜いてもらったこともあります。身体の痛みは日に日に酷くなり、病院に行っても「リウマチでしょう」と。でも検査するとリウマチではないんですね。

――よく診断がつきましたね。

有坂:私の場合は、線維筋痛症を抱えている友人がいたことから「もしかしたら……」という思いがありました。また世間的には、ちょうど歌手のレディー・ガガさんが患っていることを報じられていたので、認知度は上がっていたんです。でも、同じ患者の中には、10年単位で診断がつかない人もいるようです。

普通の人生を望む両親を説得したのは…

――ところで有坂さんは、19歳からシンガーソングライターをやっておられる。

有坂:そうですね。
もともと音楽が好きで、小学生くらいのときSPEEDやモーニング娘。が流行った世代でしたから、いろんなオーディションに参加したいという気持ちがあったんです。けれども私の両親は「芸能人というのは、特別な才能やコネクションがある人がなるものであって、あなたには難しい」という姿勢でした。もっといえば、普通にいい大学へ行っていい企業に就職してほしいと思っていたと思います。

――子どもからみると無理解にみえるかもしれませんが、至極真っ当な親御さんですよね。

有坂:そう思います。ただ、当時の私は両親から応援してもらえないことを快くは思えませんでした。私は高校時代に軽音楽部に所属しますが、両親は「軽音楽部より吹奏楽部のほうが……」みたいな。強硬に反対するわけではないのですが、子どもながらにクラシックなほうが親の好みなんだろうなとわかっていました。

オーディションを受けに行きたいといっても両親が首を縦に振らず、説得してくれたのが兄でした。兄は「俺のスパイク代や合宿代は出してくれるんだから、行かせてやってくれ」と。ありがたかったですね。


標的になった理由は「成績優秀だから」

――中学時代は成績優秀だったそうですね。

有坂:成績はいわゆる“オール5”でしたね。模試の偏差値も72くらいだったと思います。

――なぜ不登校になったのでしょう。

有坂:成績が原因でもあります。当時の成績表は相対評価でつけられていて、“5”が取れる人は学年で限られた人数でした。中3のとき、「学校に来させなければ相対的に自分の評価が上がる」と考えた人がいたらしくて、いじめの対象になりました。

――いじめの内容はどのようなものですか。

有坂:朝、読書の時間があるのですが、バスケットボールをしつこく私に投げつけてきたことがあります。また、メールの送り主を偽装する手段を使って、私がぜんぜん関係ない男子に「死ね」と送ったように見せかけて、その男子から首根っこを掴まれたこともありました。プリントをぐちゃぐちゃにして渡されるとか、掲示板に私の名前があれば剥がして踏みつけるなんてのは、日常茶飯事でしたね。

――つらい経験だったと思います。高校受験もままならないですね。


有坂:それまで学年で一番成績がよかったのですが、出席日数が足りないので公立高校は絶望的になりました。したがって、自宅から通える私立高校に入学することになったんです。そこで軽音楽部へ所属しバンドを組んだことは、先ほどお話した通りです。

痛みに耐えかねて「母にLINEで遺書を送った」

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長年にわたり、想像を絶する痛みと向き合い続けている
――ずっと続けてきた音楽活動ですが、線維筋痛症になって活動を縮小しなければならなくなった。

有坂:そうですね。ピーク時は痛みのあまり死を考えるほどでしたから、当然、これまでのようには活動できません。海外では、安楽死を選択できる病気に指定されているほどなんです。

――死を考えるほど追い込まれていることを、誰かに伝えたことは。

有坂:ありますよ。友人の舞台に誘われて、本当は楽しく見たいのに痛みで頭がいっぱいになってしまったとき、帰りに電車に飛び込もうと思いました。母にLINEで遺書を送りました。母は、「死ぬな」とは言わなかったですね。「健康に産んであげられなくてごめん。
代わってあげられなくて辛い」みたいな返信だったと思います。また、苦しんでいる様子をみて夫が「今殺してあげたら楽になるのかなと思って」と呟いたこともあります。そのくらい、症状が出たときはシリアスです。

――行動をしたこともある。

有坂:高層マンションの住人のあとをつけてマンションのなかに入って、最上階から身を投げようと思ったことはあります。この痛みがずっと続くよりは、一瞬で終わらせたいと思ってしまったんですよね。でも、遺書も忘れてしまったし、死ぬのにふさわしい格好ではないのでやめました。

――人格や思考をも変えるほどの痛みなんですね。

有坂:痛みの正体は医学的にもよくわかっていないようです。ただ、私が現在ピーク時よりは痛みが少ないのは、精神的な落ち着きを得たことも無関係ではないかもしれません。

私はまったく覚えていないのですが、痛みが最高潮のとき、実家で過ごした期間がありました。そのときはフォーカルジストニア(※)を併発しました。
ある日、「ねぇ、あのときどうしてぬいぐるみを捨てちゃったの?」と両親に私が聞いたそうで……。それから、「どうしていつも『できない』『無理だ』って言うの? 『できる』って言ってよ!」と怒鳴って泣き続けたらしいです。母は私を宥めながら、一緒に寝てくれたということでした。私はしばらく泣いていたけど、やがて眠りに落ちたのだそうです。

※フォーカルジストニア:特定の動作時において、意図しない筋肉の硬直があったり、勝手に動いてしまう運動制御障害のこと

――それ以来、ピークのときほどは痛まない。

有坂:もちろん、座薬を入れながらライブに臨むこともあるので痛みはあります。しかし、「死にたくなるほどの痛み」の回数は少なくなりました。もしかすると、ずっと親に言いたかったことを言えたのが関係しているのかもしれません。

道行く人の無関心や高額な治療費に思うこと

――つらい痛みを打ち明ける友人はいましたか。

有坂:歌手の黒崎真音さんとは親友で、毎日「つらい」とLINEをして聞いてもらっていました。けれども、黒崎さんは2023年2月に亡くなってしまいました。心の支えを失ってしまい、本当に気持ちがふさぎ込んでしまいました。


――アーティストとしては、身体の不調をあまり言いづらいですか。

有坂:たとえばコロナ禍以降、以前はライブ会場に来てくれたお客さんが家でできる趣味を見つけて、客足が戻らないことを経験しました。そういう状況があるなかで、自分の病気について大々的に公開することで、「そうなんだね、お大事に」という社交辞令とともに去っていく人もいました。ファンの立場になれば、確かにこうしたご時世であるからこそ、明るいもの、元気が出るものを見たいでしょうからね。そのあたりは表現者として葛藤のあるところではありました。

――線維筋痛症のように、あまり知られていない病気に対する世間の意識について、思うことがあれば。

有坂:少し前、新宿駅の構内で痛みが酷すぎて吐いて倒れてしまったことがありました。新宿では、誰も救急車を呼んでくれず、誰も助けてくれませんでした。病院では、限られた施設において、一般に線維筋痛症に有効とされているノイトロピン注射を受けることができます。けれども、私は効かない体質なんです。ノイトロピン注射は保険適用ですが、自由診療の治療しか効かない場合、「高いなぁ」と思いながら治療を続けていくしかないジレンマがあります。そうした病気はほかにもあると思いますので、患者数の多くない病気であっても安価で治療が受けられるようになるといいなと思っています。

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両親や友人などの近しい誰かに応援してもらうでもなく、有坂さんは自分の“音楽道”を歩んだ。奇病に冒され、身体が焼かれるかごとき痛みのなかで、無意識に向き合った自らの願い。それは、ただありのままを母親から肯定されることだった。

ひとりのアーティストとして、優等生然とした振る舞いではなく魂の叫びにも似た歌声を、きっとこれから響かせ続ける。

「朝起きたら体に痛みが…」原因不明の難病と闘う39歳女性が感じた、人生のままならなさ「新宿駅で倒れた時に誰も助けてくれなかった」
有坂愛海
<取材・文/黒島暁生>

【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki
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