阪神は24日、NPB歴代3位の通算320勝を挙げた小山正明さんが18日午前11時20分に、心不全のため死去したと発表した。90歳だった。
私がルーキーだった1962年当時、小山さんはバリバリのエースだった。三宅秀史さんのけがで私が三塁を守ることになった時、エラーをしてしまった。ボールを持って行って「すいません」と謝ると、「心配すんな。後は俺がちゃんと抑えてやるから」と。それで本当にピシャッと抑えてしまう。エラーにも文句ひとつ言わない。見た目は怖そうな先輩だったけど、すごく優しい人だった。
練習の最後をキャッチボールで締めることがあった。
パームボールは阪神から東京へ移籍してからの武器。一度だけオープン戦で対戦したことがあった。直球かと思ったら途中から本当にボールが来ない。スーッと来て、途中でブレーキがくくくっとかかって、少し落ちたり、スライドしたり。本当に止まってしまうような感覚。泳いでしまうので、当たっても三塁ゴロだった。
監督時代には投手コーチとして支えてもらった。負けが続いた時など、新聞記者やファンからよく守ってもらった。「つまらんこと言うなよ」って。吉田義男さんに続いて小山さんまで…。寂しくなりますね。(スポーツ報知評論家)