巨人のライバルだった名選手の連続インタビュー「巨人が恐れた男たち」。第4回は強打の捕手として阪神、西武で通算474本塁打を放った希代のホームラン・アーティスト、田淵幸一さん(78)の登場だ。
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生まれも育ちも東京で、テレビで見るのも巨人戦。「巨人、大鵬、卵焼き」の時代に、他のチームでプロ野球選手になるなんて考えたこともなかった。
法大では22本塁打を打ち、当時の六大学記録を塗り替えて迎えた1968年のドラフトだった。もう時効だけど、ドラフトの前に巨人の川上哲治監督と会った。赤坂のふぐ料理店だったかな。「田淵君、待っているよ」と。「背番号2を用意している」とまで言ってくれてね。そりゃ、巨人に行けると思うじゃないですか。
ところが11月12日のドラフトで交渉権を得たのは、指名順が3番目の阪神だった【注2】。
阪神入団を正式に決めたのは11月30日。それまでに巨人が三角トレードを申し入れたとかいろんな報道があった。入団の決め手になったのは、こんな出来事だった。ドラフトからしばらくたって、明大から巨人に入った六大学の先輩・高田繁さんから電話があった。「巨人の人が会いたいって言っている」というので、11月27日にホテルニューオータニに行った。ところがそこには大勢のマスコミやカメラマン。同じ場所で大洋の桑田武さんと、巨人の大橋勲さんのトレードの話し合いが行われていたんだよ。
案の定、巨人のスカウトと会っていたのが公になって「巨人が横やりを入れようとしている」と騒がれた。
引退後に、ゴルフコンペで一緒になった川上さんに聞いたことがあるよ。「あの時、もしトレードだったらどの選手だったんですか?」って。「忘れた」って言ってたけどね(笑)。
【注2】68年11月12日に行われたドラフトは、一斉入札ではなく、変則のウェーバー制で実施。12球団が予備抽選を行った上で、奇数の1、3、5位などは予備抽選の1番→12番の順で、偶数の2、4、6位などは12番→1番にさかのぼる形で指名する。阪神は予備で3番、巨人は8番だった。
◆田淵 幸一(たぶち・こういち)1946年9月24日、東京都生まれ。78歳。