大相撲の元横綱・白鵬の宮城野親方(40)が日本相撲協会を退職する意向であることが30日、分かった。複数の関係者によると、既に協会に退職届を提出。

協会側は受理せずに預かりとし、6月2日の臨時理事会で当面閉鎖となっている宮城野部屋の処遇について協議する方針だが、本人の意思は固いという。宮城野親方はこの日、モンゴルでの式典参加のため、成田空港から出国した。

 宮城野親方が協会を離れる決意を固めた。この日、6月3日にモンゴルで行われる、18年に他界した父の銅像のお披露目の式典に出席するため、成田空港から出国。その直前に退職届について問われると「私から話すことはないです。勘弁してください」と口をつぐんだが、どこかすっきりした表情も浮かべていた。

 元幕内・北青鵬の暴力問題で宮城野部屋が当面閉鎖との処分を受け、昨年4月から弟子とともに伊勢ケ浜部屋に転籍。部屋付き親方として指導にあたっていたが、約1年後の今年3月の理事会でも部屋の処遇に進展がなかったことが契機となった。4月に一部週刊誌で退職の意向を報じられた際は否定したが、夏場所中に決意して後援者らに伝え、場所後に退職を届け出た。

 伊勢ケ浜部屋は7月に師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱・旭富士)が定年を迎える。同部屋を継承する見込みの照ノ富士親方(元横綱・照ノ富士)とは現役時代から確執があるとされ、周囲に「その下ではやりたくない」と漏らしていたという。部屋の再興にも光が見えず、夏場所後を事実上のタイムリミットと捉えていた。

親方衆、後援者や実業界の有力者まで、多くの関係者が懸命に慰留したが、耳を傾けることはなかった。

 一方で、協会側は退職届を保留としている。6月2日に臨時理事会を開いて宮城野部屋の処遇を協議する予定。大の里の横綱昇進の祝賀ムードに水を差したくないとの思いもあり、他の部屋への転籍案も検討されているという。ただ、処分が緩和されたとしても、本人の決断は変わりそうにない。

 今年3月11日に誕生日を迎えた際は、「40歳はモンゴルでは新しいことにチャレンジする年でもある」とも語っていた。退職した場合の今後は未定だが、関係者によると、モンゴルを拠点にビジネスを展開することも視野に入れている模様。現役時代から世界少年相撲大会「白鵬杯」に取り組んできた実績もあり、相撲の世界大会の開催にも意欲を示しているという。退職が決まれば、9日にも宮城野親方が都内で記者会見を開く方向。幕内優勝45度など、数々の最多記録を打ち立てた大横綱が、このまま角界に別れを告げる可能性が高まってきた。

 〇…日本相撲協会の八角理事長(元横綱・北勝海)は明治神宮で行われた大の里の横綱推挙式と奉納土俵入りに参列。宮城野親方の退職届を巡る質問には無言を貫いた。

佐渡ケ嶽広報部長(元関脇・琴ノ若)も「今日はそういう席ではないですよね」と言及を避けた。協会では6月2日に臨時理事会を開く。

 ◆宮城野部屋の処遇を巡る主な経過

 ▽24年2月21日 日本相撲協会のコンプライアンス委員会が会合を開き、元幕内・北青鵬が日常的に後輩力士に暴力行為をはたらいたことを受け、引退勧告の処分案をまとめたことが判明。師匠の宮城野親方は2階級降格などの処分案。

 ▽同23日 臨時理事会で北青鵬の引退届を受理。宮城野親方は委員から年寄への2階級降格などの処分に。また、同親方が師匠としての素養と自覚が欠如しているとして、3月の春場所は所属する伊勢ケ浜一門が師匠代行を任命すると決定。

 ▽同3月28日 理事会で4月以降は親方や力士が伊勢ケ浜部屋に一括で預かりとなることが報告される。

 ▽同4月7日 旧宮城野部屋から力士ら約20人が引っ越し。8日に伊勢ケ浜部屋で稽古を開始。

 ▽25年4月9日 「文春オンライン」が日本相撲協会を退職する意向であると報じる。宮城野親方は否定。

 ▽25年5月25日 伊勢ケ浜部屋の千秋楽パーティーに出席後、退職はしないかと問われ「はい、ないです」と答える。

 ◆宮城野 翔(みやぎの・しょう)本名・白鵬翔。第69代横綱・白鵬。1985年3月11日、モンゴル・ウランバートル市生まれ。40歳。2001年春、宮城野部屋から初土俵。04年初、新十両。同年夏、新入幕。07年夏場所後に横綱昇進。10年に史上2位の63連勝。史上最多タイの7連覇を記録するなど優勝45回は最多。19年9月に日本国籍を取得。

21年秋場所後に引退。22年7月に宮城野部屋を継承した。得意は右四つ、寄り、上手投げ。現役時代は192センチ、155キロ。

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