空手家・佐竹雅昭(60)が今年、格闘家人生45年を迎えた。1990年代に人気が沸騰した立ち技系格闘技イベント「K―1」を生み出した佐竹。
1993年4月30日、代々木第一体育館で初開催された「K―1グランプリ」で佐竹は、米国のトッド・”ハリウット”・ヘイズと対戦した。アマチュアボクシングの経験があるアメフト選手の圧力は、強烈だった。
「ヘイズは無名でしたから周囲からは、楽に勝てると思われていましたが、そもそもヘビー級で楽に勝てる相手なんていないんです。いざ闘うとやはり、強烈なパワーがある難敵でした」
結果は2回45秒、右ローキックでKO勝ちしたが佐竹にとって困難な闘いだった。この周囲が持つ先入観と実際に闘う自身とのギャップを背負って闘うことになる。
1回戦は、ホーストがアーツを破り、シカティックがチャンプアを倒し、スミスが後川を判定で下した。準決勝は佐竹対シカティック。ホースト対スミスに決まった。ここで衝撃を覚えた。
「モーリスがこの時はまったく無名だったホーストにKOで負けたんですね。当時のモーリスはキック界でヘビー級世界最強と評価されていて、この大会で優勝候補筆頭だったんです。そのモーリスが誰だかわからないホーストに負けて、しかもハイキック一発のKOで敗れたことで世界は何と広いのか、自分が知らない強いヤツがまだまだいるな、と衝撃を覚えました」
当時、27歳の佐竹が4強で挑んだのはシカティックだった。この時、出場選手で38歳の最年長。大会前はマスコミもファンもノーマークだった。
「オランダで武者修業したときもブランコが在籍していたチャクリキジムで練習していたんですが、まったく存在は知らなかったですね。1回戦を突破して次はブランコだ、となった時は、何とか勝てるかな、と思ってリングに上がりました」
そんな思いは、ゴングが鳴ると打ち砕かれた。
「パンチの一発一発がめちゃくちゃ痛いんです。痛いとしか表現のしようがない強烈な痛さでした。例えれば金づちで頭を殴られるような感覚とでも言えるほどでした。そんなパンチ今までもらったことがなかったです」
強烈なパンチの痛みに衝撃を覚え、3回45秒、左フックを被弾しKOで敗れた。シカティックは決勝でホーストと対戦し1回KOというインパクトを刻み優勝した。
「第1回のK―1で今も覚えていることは、ブランコのパンチのすさまじい破壊力です。今もあの恐ろしいまでの痛さは忘れられません」
第1回の大成功で「K―1」は、イベントとして定着していく。翌94年に第2回大会が同じ代々木第一体育館で行われた。
(続く。敬称略。取材・書き手 福留 崇広)