空手家・佐竹雅昭(60)が今年、格闘家人生45年を迎えた。その実力と人気で1990年代に人気が沸騰した立ち技系格闘技イベント「K―1」を生み出したレジェンド。

スポーツ報知は現在の格闘技人気につながる礎を築いた佐竹を取材。空手家人生を代表する「十番勝負」を連載する。六番勝負は、「K―1」ジェロム・レ・バンナ戦。

 1994年4月30日、Kー1グランプリで準優勝を果たした佐竹は、9月18日の「Kー1 REVENGE」でデニス・ハリケーンと対戦しTKO勝利。わずか2週間後の10月2日に「KARATE ワールドカップ」でギャリー・サンドランと闘いTKOで制した。過酷な連戦の影で体に異変が起きていた。自覚したのは、この年の12月10日、名古屋レインボーホールでの「K‐1 LEGEND~乱~」でオーストラリアの空手家サム・グレコと闘った時だった。

 「Kー1グランプリで準優勝した後から日常生活で記憶が飛ぶことが多くなっていました。今、思えば体が悲鳴を上げ始めていたんですね」

 グレコ戦は、1回に2度ダウンを喫し、2回に右フックを浴びKOで敗れた。

 「この試合は、1ラウンドにパンチをもらってから記憶が飛んでました。だから負けたことも覚えていないんです。だから、僕の中では今もいつのまにか試合が終わったなっていう感じしかないんです。

後から聞いた話だとダメージが大きかったんで、会場からタクシーで病院に向かっていたらしいんです。僕が覚えているのは、気がついた時には病院の集中治療室にいたことです」

 24歳だった1990年6月30日にドン中矢ニールセン戦と初めてキックボクシングに挑戦し以来、4年間、信じられないスケジュールで試合を行ってきた。しかも闘いはヘビー級。過酷な連戦は、佐竹の脳はダメージを負っていた。

 「生活の中でも記憶がなくなるだけでなく、めまいに襲われることが多くなっていました」

 それでもリングに立った。年が明けた95年は3月3日に「第3回Kー1グランプリ」1回戦で米国の総合格闘家、キモと対戦し勝利。2カ月後の5月4日、代々木第一体育館での決勝トーナメント1回戦でフランスのキックボクサー、ジェロム・レ・バンナと対戦した。

 バンナは当時22歳。今大会がKー1初参戦だった。結果は3回、左フックを被弾しKOで敗れた。勝ったバンナは決勝戦までコマを進め、前年派者のピーター・アーツと対戦。結果はアーツがKOで2連覇を飾った。

 バンナに敗れた後、都内の大学病院を受診した。

 「脳のCT検査を受けたんですが、結果、医師から『このまま闘い続けると脳が委縮する可能性があります。しばらく休養が必要です』と診断されました」

 医師からの宣告で休むことを決断した。しかし、当時は、真実を明かせなかった。

 「脳のダメージでの欠場でしたがスタッフから、そんなことを発表するとKー1のイメージが悪くなるという理解不能の理由で『黙っとけ』と言われたからです。僕は自分の命を守るために休みました。だけど、当時は、そんなことを言うと『何を言うとんのや』と怒られました。当時は、マスコミ、ファンの方々でいろんな憶測を呼んだと思いますが、これが真実です」

 欠場は1年あまりに及んだ。医師からも試合出場に支障がない診断をされ復帰を決断する。

(続く。敬称略。取材・書き手 福留 崇広)

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