チームメートから慕われ、報道陣にも分け隔てなく接した名選手・長野。昨年、今年と2年間取材した内田拓希記者が「見た」。
7月9日、G球場の2軍残留練習。気温30度超の暑さに負けじと、短パン姿の長野が快音を連発していた。5月の登録抹消からファーム調整が続く中、いよいよ夏男の季節が来た、と思った。ワクワクしながら状態が上がってきたのでは、と練習終わりに問いかけると「もういいよ、俺のことは。これからは若い選手を取材して。ありがとう」。2年間、冗談交じりのネガティブワードはあっても、下を向く言葉は聞いたことがなかった。もしかしたら…と思った。
違った。ファームの遠征時は首脳陣の配慮で主にG球場で調整を続けていたが、8月中旬のことだ。「新潟へ行かせてもらってもいいですか」と、同月19~21日のオイシックス戦への同行を2軍首脳陣に直訴した。戦力としてだけでなく、精神的支柱としての存在に感謝していたコーチ陣が快諾しようとすると、「でも、若い選手の出番を邪魔してしまうかもしれないんです」―。
ファームで取材すると、「長野さんに教わって…」と自ら切り出す選手は優に2ケタを数えた。育成捕手の大津もその一人だ。23年の春季キャンプ中に「スパイクの足首が少しきつくて…」とコーチに相談しているのを聞いた長野は「大丈夫? サイズ何センチ?」。同じ26.5センチであることを知ると、3月のイースタン開幕戦の日にG球場まで足を運び、自らと同じ型の2足を手渡しに来てくれたという。「いつも『調子どう?』って声をかけてくれる。長野さんは神なんですよ」と大津。仲間に向けるまなざしはいつだって、優しかった。
あるとき、知人の記念日を祝おうと思い、長野に飲食店を教えてもらった。訪問した翌日、お礼を言いに行くと「あれ? 昨日だったの? 何もできなくてゴメンね!」。