空手家・佐竹雅昭(60)が今年、格闘家人生45年を迎えた。その実力と人気で1990年代に人気が沸騰した立ち技系格闘技イベント「K―1」を生み出したレジェンド。
総合格闘技イベント「PRIDE」に2000年1月30日、東京ドームでのマーク・コールマン戦でデビューした佐竹は、3戦目となる同年8月27日の西武ドームでの「PRIDE.10」で村上和成をマウントパンチでTKOに追い込み初勝利を挙げた。ただ、当時を振り返ると、今、思い出に残るのは、試合よりもリング外のことだった。
「PRIDEへ行って一番面白かったのは、試合はともかく人間関係が良かったことですね。ドロドロしたものが一切、ありませんでした。K―1のようなリングから離れた所での足の引っ張り合いもなかったですね。だから、試合には勝てませんでしたが、すごく楽しかったですね」
村上から初勝利を挙げた次戦は、同年年10月31日、大阪城ホールで小川直也と対戦したが、スリーパーホールドで敗れた。小川戦は、試合前の入場でサザンオールスターズの桑田佳祐がこの一戦のために作詞・作曲した「PRIDEの唄~茅ヶ崎はありがとう~」をサプライズで歌唱する演出も加わり話題となったが佐竹の記憶では、判定で敗れたが翌01年7月29日に対戦したイゴール・ボブチャンチン戦が印象に残っている。
「PRIDE時代で一番面白かった試合は、ボブチャンチンでしたね。あのロシアンフックと真っ向から打ち合いになって血がたぎりました。
結果は出なかったが「佐竹雅昭」というビッグネームは「PRIDE」が興行を打つ上で欠かせない選手となった。しかし、アクシデントが起きる。02年4月28日のクイントン“ランペイジ”ジャクソン戦でバックドロップを浴びた時に背骨と頭蓋骨を骨折し長期欠場に入った。そして、最後の試合が訪れる。この年の12月31日、さいたまスーパーアリーナ。アントニオ猪木が主宰したイベント「INOKI BOM―BA―YE 2002」で柔道家の吉田秀彦と対戦。1992年バルセロナ五輪柔道男子78キロ級金メダルの吉田は、2002年8月28日に国立競技場で行われたイベント「Dynamite!」でのホイス・グレイシー戦で格闘技デビュー。ホイスを破り、続くドン・フライ戦も勝利し、佐竹との試合がプロ3戦目だった。「空手 対 柔道」と注目された一戦だったが佐竹は1回50秒、フロントネックロックで敗れた。
「吉田戦は、これからの格闘技を彼に託す、頼むよ、というバトンタッチみたいな感覚で戦いました。PRIDEでは、空手からK―1の道が終わって、総合格闘技という別の道をチャレンジしましたが、甘くはなかったですね。テニスプレイヤーがバトミントンで勝てないのと同じでした。
格闘技を引退した佐竹だったが、まだ、最後の夢が残っていた。
(続く。敬称略。取材・書き手 福留 崇広)