◆報知プレミアムボクシング▽後楽園ホールのヒーローたち 第26回前編 伊藤雅雪 

 元WBO世界スーパーフェザー級チャンピオンの伊藤雅雪(34)がプロモーターに転身してから3年がたった。引退直後の2022年7月にたちあげた「TREASURE BOXING PROMOTION(トレジャー ボクシング プロモーション)」はこれまで韓国、フィリピンなど海外を含め計10回の興行を行い、軌道に乗り始めた。

ボクシングをファンに提供する立場になった伊藤が強くこだわるものは、「本物のボクシング」。現役時代から一貫して変わらない姿勢を探ってみた。(取材、構成=近藤英一、敬称略)

 元世界チャンピオンという肩書だけでは通用しない世界に飛び込み、伊藤はもがきながらの3年間を過ごした。「失敗だらけです」と振り返るが、苦労した分、少しずつ自信も積み上げた。

 「引退して、いつかはボクシングに関わる仕事をしたいと思っていましたが、まさかプロモーターをやるとは…。(プロモーターを)やろうとも思ってなかったし、流れの中で興行を任されて、なんだかんだで今になりました。それが今では、やるしかないという気持ちになっています」

 伊藤が主催する興行は、ジムを持たない立場という事情もあるが、大手ジムが所属選手を出場させてカードを組むというスタイルとは異なり、多くのジムから選手を出場させてカードを組む、いわゆる海外型のスタイル。ネームバリューのある日本人ボクサーが強気のマッチメイクの結果、頻繁に負けるケースがあるのも「TREASURE BOXING」の醍醐(だいご)味だ。

 「お客さんにはリアルを見てほしい。本物が一番、見る人の心を揺さぶるんです。それを実現するには実力伯仲のカードを組む。リングに上がる選手にとってのベストのカードを組んでいます」

 元IBF世界スーパーバンタム級王者の岩佐亮佑、元世界2階級制覇王者の京口紘人、他にも三代大訓、竹迫司登、赤穂亮らの世界ランカーも「TREASURE―」の舞台で敗戦を経験している。

「これまで10回の興行を主催して、リアルなボクシングを提供できているという手応えはあります。その反面、このTREASUREの興行で選手を育てていかなければいけないし、育てる難しさも感じています。常に『厳しいファイト』ばかりをやっていても選手が育たない面はある。そこのさじ加減は難しい」と頭を悩ます。節目の10回目の興行(10月1日、後楽園ホール)のメインイベンターは元IBF世界スーパーバンタム級王者の小国以載だった。再起戦でもあった小国が対戦したのは世界ランカーのタイ人ボクサー。試合前、伊藤が小国に強豪をぶつけた理由を説明した。

 「小国選手は再起戦ということで、もっと楽な相手とやって復活と騒がれるのもいいが、元世界王者でもあり、37歳という年齢を考えても後がない。安易なカードを組んで勝っても、元世界王者のプライドもあるだろうし小国選手には失礼。はっきり言って、こういう選手と試合をして勝てないなら辞めた方がいいと思って組んだカードです」

 若手プロモーターの思いが通じたのか、小国はダブルノックダウンというまれなケースを乗り越え、判定勝ちした。実力伯仲のリアルファイトで生き残りという大きな結果を残した。

 ボクサーからの華麗なる転身にも映るが、きっかけは突然訪れた。

2022年4月の吉野修一郎との試合が現役ラストファイト。数か月後、知人に韓国旅行へと誘われたことで、プロモーターとしての時間の針が動き出すことになる。行き先は仁川のカジノリゾート「パラダイスシティ」。知人がカジノの常連だったこともあり、現地のイベント責任者を紹介された。すると、思わぬ申し出があった。「カジノにお客さんを呼ぶために、何か格闘技のイベントをやりたいと思っている」と打ち明けられ、知人も重ねて「ボクシングをやらせてもらえば」と勧めてきたのだ。

 伊藤はただただ、ぼうぜんとした。これまでマッチメイクはもちろん、ボクシングの興行など考えたこともなかった。しかしだ。なぜか断らなかった。現役引退を決め、これからは違う舞台で何かにチャレンジしていかなければならない。チャンスかもしれないと、帰国すると所属先の横浜光ジム会長の石井一太郎に相談した。

2人が考え出したのは、井上尚弥への挑戦を意識したこともあり、元世界3階級制覇王者ジョンリール・カシメロ(フィリピン)をメインイベンターにした興行だった。カジノ側に企画書を提出すると、イベント料として数千万円が用意された。

 準備をしていく中で、ふと思った。「イベント名がない。何にしたらいいのか…」。一緒に仕事をする友人らと「パラダイスシティ」の広場に座り、そんな話をしていた時だった。伊藤の目に飛び込んできたのは「TREASURE~と書いてあった看板だったんです。あっ、これでいいじゃん」と即断した。韓国旅行から1か月後に「TRESURE BOXING PROMOTION」を設立した。いわば、場当たり的な社名ではあったが、幸いなことに今ではすっかりボクシングファンに認知されている。

 周囲の協力もあり22年12月の初興行は成功裏に終わった。それでも、プロモーターを続けようとは思っていなかったのだが、なぜか周りからは2回目の興行を期待された。

「1回目をやったら、2回目もやらざるを得ない状況になっていた」と、4か月後には再び「パラダイスシティ」で第2回を開催した。成功ばかりではなく、大赤字も経験している。23年10月の有明アリーナ。初の日本開催となりカシメロ―小国以載のカードを用意した。「ボクシングのチケットって、こんな売れないんだと初めて思いました。本当に厳しい興行でした」と数千万の赤字を余儀なくされた。酸いも甘いも経験することで、今ではプロモーターとして独り立ちした。「引退してからもボクシング界には色々な経験をさせてもらっています。今はプロモーターという立場になりましたが、考え方、進むべき道は昔も今もぶれずに変わっていません」という。伊藤の中心にあるのは「本物のボクシング」の追求なのだ。

(続く)

 ◆伊藤 雅雪(いとう・まさゆき)1991年1月19日、東京都江東区生まれ。高校3年からボクシングを始め、駒沢大1年の時にプロデビュー。

2012年12月に全日本フェザー級新人王を獲得。15年2月に日本スーパーフェザー級王者・内藤律樹に挑戦したが、プロ初黒星となる判定負けで王座獲得に失敗。その半年後の東洋太平洋同級王座決定戦に勝ち王座を獲得。18年7月に米フロリダ州キシミーでクリストファー・ディアス(プエルトリコ)とWBO世界同級王座決定戦を行い、判定勝ちで初の世界王座を獲得。1度の防衛に成功。プロ戦績は32戦27勝(15KO)4敗1分け。身長174センチ。ファイトスタイルは右ボクサーファイター。

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