巨人のライバルだった名選手の連続インタビュー「巨人が恐れた男たち」。第10回は元大洋の遠藤一彦さん(70)だ。

低迷期の大洋を支えた大エースは、巨人戦通算21勝。同年代の巨人・江川卓をライバルと見定め、その投げ合いはファンを熱くさせた。巨人最強の助っ人・クロマティとの因縁から、アキレスけん断裂の大けがからのカムバックまで、「喜怒哀楽」の記憶をたどった。(取材・構成=太田 倫)

 現役生活で一点だけ悔いがある。

 1987年10月3日、後楽園での巨人戦で、右アキレスけんを完全断裂した。5回に二塁の篠塚利夫(のちの和典)のエラーで出塁。次の高木豊の左翼線二塁打で二塁を回った。ベースを左足で踏み、次に右足を着いたときにブチッといった。最初は「あ、捻挫しちゃった」っていう感じ。普通なら倒れるはずだが、なんか踏ん張れちゃって、ケンケンで三塁まで行った。

 頭から三塁に滑り込むというか倒れ込んで、そのまま立てない。トレーナーが飛んできて、アキレスけんのところに指をあてたら、ズボッて入っちゃう。

「切れてるなあ…」「切れてんの?」みたいなやりとりをした。どちらかといえば、倒れ込んだ際に打った膝の方が痛かった覚えがある。

 もともと右足首の状態は悪く、痛み止めを直接、患部に打つような治療をしていた。ただ、引退したずいぶん後に、主治医が「あれ失敗だったよなあ」って。そんな治療しないでよ、って話だけどね…。数日後に手術したが、6か月で復帰できると聞き、翌年の開幕に間に合わせる目標を立てた。

 83年から5年連続で務めていた開幕投手には、強いこだわりがあった。人に譲りたくなかった。開幕戦のマウンドの雰囲気は最高だ。今年も期待してるよ、楽しみにしてるよという、お客さんの空気。あれを味わってからは、次も、また次も、という気持ちになった。何とか治してもう1回やりたい、というのが励みだった。

 2か月間入院して、右のふくらはぎは2センチも細くなった。それでも翌春のキャンプには参加した。リハビリを兼ね、沖縄・宜野湾のキャンプ地から宿舎のある那覇まで2時間かけて歩いて帰ったりした。ただ、オープン戦で結果が出ず、開幕は任せてもらえなかった。

 軸足の蹴りが弱く、ボールに力が伝わらない。自分の投球ができなくなっていた。88年は5勝12敗、89年は2勝8敗。もう自由契約かと思ったら90年にクローザーとして働き場所を与えられ、6勝6敗21セーブでカムバック賞をもらった。でも、足の状態は全然戻っていなかった。もう少し丁寧に、ゆっくりリハビリをやっておけば…という後悔が、今もある。

 ◆遠藤 一彦(えんどう・かずひこ)1955年4月19日、福島・西白河郡生まれ。70歳。

学法石川から東海大を経て、77年ドラフト3位で大洋入団。82年から6年連続2ケタ勝利。83年は18勝、16完投、186奪三振(いずれもリーグ最多)で沢村賞。84年も最多勝。92年10月7日の巨人戦(横浜)を最後に引退。通算460試合134勝128敗58セーブ、防御率3.49。引退後は横浜で投手コーチを務めた。184センチ72キロ。右投右打。

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