8日に肺炎のため死去した俳優・仲代達矢さん(享年92)は70年以上にわたる役者人生を重ねながらも、揺るぎない「普通の感覚」を持ち続ける常識人として知られた。

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 「いまそんなものを渡すんじゃない!」。

仲代さんがスタッフを一喝する声が響いた。晩年の十数年間、毎年のようにインタビューする機会に恵まれた。強烈な思い出が3つあるが、この怒声を発した光景を真っ先に思い出す。

 2015年。文化勲章内定の取材を無名塾でした。スポーツ紙に連絡が行き渡らず、一般紙の取材は既に終わっていた。複数のスポーツ紙の演劇担当が「大きな勲章なので何とか再度、直接話を聞かせてもらえないか」と2度目の会見をお願いした。本人は渋ったそうだが、無理を聞いて対応した姿に誠実な人柄を見た思いがした。

 一喝の声は会見後だった。関係者が仲代さんの次回作のチラシを記者たちに配った時だった。「今日集まってくださったのは、そういう取材じゃないだろ」。この会見は公演をPRする宣伝の場でない、という意味だった。

仲代さんの本質である「究極の常識人」を見る思いがした。

 2つめは無名塾を途中で辞めた真木よう子(43)のことを聞いた時。2013年モスクワ国際映画祭で彼女の主演作「さよなら渓谷」が審査員特別賞を受賞。現地取材したので、帰国後に真木の様子を伝えた。辞めた教え子のことを触れるのはタブーという人もいるが、仲代さんは違った。「無名塾を去った人も、活躍を聞けばうれしい。真木さんに会ったら『おめでとう』と伝えてほしい」これを聞いたとき器の大きさを感じた。

 3つめは仲代さんから早朝、携帯に電話がかかってきたことだ。夜勤明けで、起きた時、見知らぬ番号から着信があり、誰かも分からず慌ててかけ直したら、「はい、仲代です」と本人が出て頭が混乱した。自分の拙い掲載記事を先方に送ることは恥ずかしく、ほとんどしない。しかし、今回はスケジュール的に無理をお願いして受けてもらったので、おわびに掲載紙を送付。そのお礼の電話だった。

 偉大な俳優を一言で表すなら、「究極の常識人」。この普通に徹する感覚が源となり、あまたの名演も生まれてきた。今年はいつごろ来年のジャイアンツカレンダーを届けようか、と思った矢先の訃報。“あの声”で語られた何時間ものインタビューの音声は消さずに残しておこうと思う。(内野 小百美)

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