◆報知プレミアムボクシング ▽後楽園ホールのヒーローたち 第27回後編 下田昭文

 元WBA世界スーパーバンタム級チャンピオンの下田昭文は、少年時代の自分をこう表現した。

 「あのまま大きくなってボクシングをやっていなかったら、今何をしているか分からなかった。

今があるのは本当にボクシングのおかげです」

 男3人兄弟の末っ子として育った下田は、自由気ままな少年時代を過ごした。

 「落ち着きがなくて毎日怒られていた。小学校低学年の頃は授業中に机の下で寝たり、給食の時はパンを投げたりする子でした。けんかもよくしていた」

 ホームルームの時間は“お約束のように”「下田くんの時間」が始まる。担任の先生が「下田くんについて考えましょう」と言うと、クラスメートは一斉に不満を漏らし、注意された。「子供ながらにすごいショックだった。きつい時間でした」と振り返るが、周りに迷惑をかけているという自覚はゼロだった。

 生まれ育った家庭環境を「普通と言えば普通で、普通じゃないと言えば普通じゃない」という。父は東京高裁部総括判事も務めた裁判官。約10年前に定年退官し、現在は故郷の広島で第2の人生を満喫しているそうだ。「おぼろげに覚えていますが、父の担当する大事な判例の前になると家で騒いだりできないので、母と兄たちとホテルに泊まりに行っていた。テレビのニュースで裁判の冒頭が流れた時には、父の姿がよく映っていました」

 中学生になっても学校生活にはなじめなかった。

高校受験は5校から不合格通知を受け取り、「ストレスを発散するために」入ったのが、自宅近くの帝拳ジム。最終的には入門から1週間後に合格通知をもらい、東京・新宿区の保善高校に進学するのだが、何事にも後ろ向きだった。

 「今は勉強をしなくてもいいかなと、思ったんです。学校でやっていることが何か合わなくて…。周りには『ボクシングやるから学校を辞める』みたいなことを言ったんですが、それは建前で、朝早く起きるのが嫌だったのが本当の理由」

 ようやく合格した高校もわずか3か月で中退した。これまで父に怒られた記憶はあまりないが、この時ばかりは烈火のごとく怒られた。「部屋で寝ていたんですが、入ってくるなりどなられて、布団をはぎとられそうになった。仕事柄、言葉にはすごく重みがありますから」。初めて見る父の激しい怒りに圧倒された。「当時は物事を深く考えていなかった。今思えば、自分のとった行動は考えられないし、自分が親でも同じようなことを言ったと思います」と一児の父になった下田は、15歳の自分を嘆いた。ちなみに9歳上の長男、7歳の上の次男の2人の兄はともに高校を優秀な成績で卒業すると有名私立大に進学。

現在は社会人となり、それぞれの分野で活躍している。

 高校は朝早く起きるのが嫌であっさりギブアップしたが、ボクシングだけは愚痴ひとつ言わずに続いた。一番やる気にさせたのは、「やっと居場所ができた」ことだった。センスがあったということも確かだが、教えられたことができれば褒められる。家庭以外の場所では自ら拒否反応を示し、誰とも交わろうとしなかった少年には、味わったことのない喜びだった。そしてライバル・粟生隆寛の存在。「強くなりたい」と願う下田にとってジムは、厳しく、苦しいが、初めて足を踏み入れた楽園のような場だったに違いない。

 両親は何をやっても長続きしなかった末っ子が、毎日ジムに通うことが信じられなかった。「ボクシングを始めて毎日ジムに通うようになってからは、(親は)何もいわなかった」と下田が振り返るとおり、やりたいことが見つかった息子を静かに応援した。だた、朝は相変わらず苦手だった。当時のトレーナーで3度世界に挑戦した葛西裕一は「ロードワークを毎日やらせるために、平日の朝は毎日定時にお母さんに『起こしてください』と電話を入れていました」と当時を懐かしんだ。

 日本、東洋太平洋、世界とすべての王座を手にした下田も、2016年12月31日の林翔太戦での判定負けを最後に引退した。

「試合中に『もう辞めた方がいいんだな』と思った。判定負けを聞いて、すっきりした気持ちでリングを降りた」と心残りは何ひとつなかった。

 しかしだ。家に戻ってソファに寝転ぶと、虚無感が襲ってきた。何もやることがなくなり、目の前が真っ暗になったという。

 「そのまま1日半ぐらい何も考えずに部屋にいたんです。そしたら突然、思い浮かんだんです。高校ぐらいは卒業しないと…」

 15歳の時は「今やらなくてもいいかな」と3か月で投げ出した高校生活。32歳になり将来へは不安しかなかった。「今(勉強を)やらなければ社会にも出られない。やるしかない」と前を向き、東京都新宿区にある通信制高校に電話を入れ、入学した。通信制ではあるが、週1回は校舎に足を運び、10歳以上年の離れた生徒と授業を受け、レクリエーションでは山登りも体験した。

「家では寝てしまうのでファミレスに行ってひとりで夜中まで勉強していました。卒業式は新宿高の代表として卒業証書を受け取ったんですから」と誇らしげに胸を張った。

 北浦和にオープンしたジムは今月20日で6年が経過した。会員も増え今年7月には近隣の南越谷に2号店を開いた。両店舗を行き来しつつ、会員の指導に励んでいる。「パソコンって苦手だったんですけど、使えないと仕事にならない。四苦八苦しながら覚えました」とうれしそうに笑う。高校を5校落ちていなければ、ボクシングを始めていたかは分からない。始めたからこそ、人と接することの大切さを知り、人に感謝することも知ったという。

 老若男女が集まるジム。元世界チャンプはミットを持ち、様々な思いが込められたパンチを全力で受け止める。前向きになることを教えてくれたボクシングに感謝しながら。

 (近藤 英一=敬称略、おわり)

 ◆下田 昭文(しもだ・あきふみ) 1984年9月11日、北海道生まれ、東京育ち。中学3年の終わりに帝拳ジムに入門。2003年1月にプロデビュー。日本スーパーバンタム級、東洋太平洋同級王座を獲得後の11年1月に李冽理(横浜光)を下しWBA世界同級王座を奪取。米国での初防衛戦に敗れ王座陥落。16年12月がラストファイト。プロ戦績は31勝(14KO)6敗2分け。身長171センチ、ボクシングスタイルは左ボクサーファイター。家族は妻・英美さん(40)と長女・文香ちゃん(二つ)。

 ◆「SUGAR FIT BOXING GYM」 2019年11月に埼玉・北浦和にオープン。JR北浦和駅東口から徒歩3分、定休日・火曜日(年末年始、夏期休暇、臨時休業あり)。TEL048―749―1955。

今年7月には2号店として南越谷店がスタート。南越谷駅、新越谷駅から徒歩3分。定休日は火曜日(年末年始、夏期休暇、臨時休業あり)。TEL048―911―7898(対応時間10時~21時)。

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