絶版となった書籍「最後の早慶戦」の復刊を目指すプロジェクトが、同書の著者の一人である松尾俊治さんの子孫が中心となって、10月10日に発足した。活動の一環として、クラウドファンディングでの協力を呼びかけている(12月21日まで)。

「戦後80年・昭和100年・東京六大学連盟創設100周年」という節目の年。松尾さんの孫で同プロジェクト代表の慶大OB・中野雄三郎さんに、復刊に懸ける思いを聞いた。(編集委員・加藤 弘士)

 「1943年10月16日」は野球ファンであれば、心に刻んでおきたい日付である。太平洋戦争が激化する中、東京・戸塚球場では開催への様々な困難を乗り越え、早慶両校による学徒出陣壮行試合が行われた。

 あの日、グラウンドに立っていた慶大野球部OBで元毎日新聞運動部記者の松尾さんと、当時の早大野球部主将だった笠原和夫さんが、戦争によって青春を突然断ち切られた両校野球部員の物語を著したのが、書籍「最後の早慶戦」だ。

 中野さんは言う。

 「この物語は早慶両校の関係者であれば、レガシーとして知っておいた方が良い話ですし、野球界全体、スポーツ界全体、日本の社会全体においても語り継ぐ話だと思ったんです。そこで一念発起して、『最後の早慶戦』を広めていく普及活動という位置づけにして、いろんな賛同者の方に入っていただいて、慶応義塾や早稲田さんのいろんな方々の協力をいただき、未来永劫、保存するというプロジェクトをやらせていただいています」

 同書は1980年に「学徒出陣 最後の早慶戦」として出版。2008年には「ラストゲーム 最後の早慶戦」の題名で映画化もされ、復刊された。だが現在、書籍は絶版になり、電子書籍化もされていない。次世代への継承が途絶えているのが現状だ。

 「復刊から17年も空いてしまっているので、神宮球場でプレーしている学生たちは当然ですが、若いOBも30代前半だと『最後の早慶戦』の話を知らないこともあるんですね。

しかし、スポーツを通して命の尊さ、平和の大切さを知る上で、この一冊はとてもいい本だと思ったんです。野球や早慶戦という、今でも身近なものとシンクロすることで、戦争の悲惨さを心から理解できる本だと考えます」

 世代を超えて、賛同の輪は広がっている。中野さんは慶大のある現役女子学生から、こんな話をされたという。

 「『最後の早慶戦』の話を知ってから、この秋の早慶戦を見たら、やっぱり違って見えましたと。同世代の人たちが82年前、戦地に赴かなくてはいけなかったと知ると、神宮で仲間と一緒に応援歌を歌い、選手に声援を送ることがいかに幸せかを実感します、と。それはうれしく思いましたね」

 過去、戦争によって球音が奪われた時代が、確かにあった。歴史を学び、未来につなげることの重要性に思いを致し、中野さんはこう結んだ。

 「こういう史実のもとに、今の日常や平和が成り立っていることを、ぜひ様々な方々に知っていただきたい。まずは過去の事実を知るというのが、全ての第一歩だと思います。その入門編として、スポーツを通じて戦争と平和を考えるという中で、この物語を後世に語り継いでいくための活動を、微力ながらやっていきたいと思っています」

 【取材後記】

 映画「ラストゲーム 最後の早慶戦」が封切られた2008年、私はアマ野球担当キャップだった。早慶のみならず、当時の東京六大学の野球部員たちが試写会に足を運び、上映が終わった後には一様に涙を流していたことを、今でも記憶している。

 時代は変わり、現在は「アマゾンプライム」などで同作を鑑賞することが可能だ。

17年ぶりに見たが、当時とはまた違った感動があった。軍部ににらまれ、立場を悪くしても、学生たちに野球をやらせてあげたいと、必死に汗を流す男たちがいた。学生野球を愛する人々には、絶対に心に留めてほしい物語だ。

 様々な節目が重なった今年、復刊プロジェクトが精力的な活動を行うことに、心からの敬意を表したい。そして全国のあらゆる学校の図書館に「最後の早慶戦」が並び、若い人々が平和の尊さに思いを致すきっかけになることを、願わずにはいられない。(編集委員・加藤弘士)

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