J2甲府のMF柏好文(38)が今季限りで引退すると、28日に所属クラブが発表した。2010年、国士舘大から甲府入り。

広島で活躍した後、今季古巣に戻った。自己免疫疾患と闘い、11月23日のJ2第37節・富山戦で復帰したばかりだった。プロ選手生活16年、J1通算350試合(32得点)など公式戦502試合に出場した。

 柏はクラブを通じ、「この度、契約満了により、今シーズンをもってプロサッカー選手を引退することになりました。ヴァンフォーレ甲府では、地元である山梨の地でプロとしてキャリアをスタートさせていただき、現役生活の最後にこのクラブで引退できたことを嬉(うれ)しく思います。そして、今年1年は病と闘い、それを乗り越えピッチに戻ったときのスタジアムの歓声や声援は忘れることはありません。改めて故郷でプレー出来た喜び、そしてみなさんの愛情を強く感じました。サンフレッチェ広島ではJリーグ制覇、ルヴァンカップ優勝と2度のタイトルを経験させていただきました。優勝したときの感動、チャンピオンシップでのゴール、広島最後の試合での横断幕、この先も忘れることはありません。かけがいのない11年間をありがとうございました。この2つのクラブのユニフォームを着てプレーできたことを誇りに思います。たくさんの人に恵まれ幸せなキャリアを送ることができました!16年間本当にありがとうございました」(原文ママ)とコメントした。

 柏は1987年7月28日、山梨県で生まれた。予定日より早く、未満なら低出生体重児と分類される体重2500グラムだった。呼吸がうまくできなかったため、1か月間保育器で育てられた。「生まれた時は小さかったけど、こうしてプロの選手になれた。丈夫な体に生んでくれた両親に感謝しています」。かつてこう話していた。豊富な運動量が持ち味。もちろん努力もした。韮崎高校、国士舘大学で走りまくり、体力をつけて、プロで戦える体を作った。城福浩監督、森保一監督らに重宝され、今季で退団する広島のスキッベ監督からは「10年早く出会いたかった」と言われた。

 2024年限りで広島との契約が満了になり、甲府に復帰した。その直後の今年1月9日、「Vogt(フォークト)-小柳-原田病」と診断された。

免疫が過剰反応し、自身の体まで攻撃する疾患。頭痛、発熱のほかに、目がかすんだり、風景が歪んで見えたりした。まったく見えなくなることも3度ほどあった。

 1か月の入院中はステロイドを点滴投与し、退院後はステロイドなど1日20錠を服用した。効果が出ず眼球に注射したこともある。副作用は頭痛、抜け毛だけでなく、体重が8キロ増えた。食欲が出て、水を飲むだけで太った。6月に全体合流。投薬量を減らすことが体重を落とす方法だった。10か月以上闘病しながらベスト体重の61キロに戻し、11月23日の富山戦で今季初出場した。

 甲府から契約満了は25日に告げられた。来季こそ結果で甲府の力になりたいと思っていたので、「治療、必死でやってきたのに…」と悔しかったが、すぐに「こればかりは仕方ない」と切り替えた。

広島を退団した時、国内ならば甲府以外には移籍しないと決めていた。海外の選択肢もあったが、地元に戻った。「甲府満了の時は引退する時」。翌26日、チームメートに引退を報告した。

 キャリアの終盤1年は闘病生活だったが、「めちゃくちゃあっという間だった。したくない経験をできた」とも言う。富山戦で復帰でき、充実感を味わった。「小さな体で生まれたこともそうですが、病気になったけど、努力すれば道は開けるということを再確認できました」。試合後、同じ病気の人から励みになりましたとSNSに連絡があり、「頑張って治療してよかった」とうなずく。サイドを駆け上がっては、守備に戻る。その繰り返しがプレースタイル。29日のアウェー・熊本戦(えがおS)で、走り続けたピッチに別れを告げる。

(羽田 智之)

 ◆柏 好文(かしわ・よしふみ) 1987年7月28日、山梨県南巨摩郡増穂町(現富士川町)生まれ。韮崎高から国士舘大を経て、2010年に甲府に入団した。14年、広島移籍。11シーズン過ごした後、今年地元のクラブに復帰。J1通算350試合32得点、J2通算58試合5得点。ルヴァン杯(リーグ杯)44試合3得点。天皇杯30試合5得点。アジアチャンピオンズリーグは20試合に出場した。168センチ、62キロ。血液型B。

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