映画監督の原田眞人(はらだ・まさと)さんが8日午前0時39分、都内の病院で死去したと業務提携していた芸能事務所「つばさプロジェクト」が13日、発表した。76歳だった。

監督として社会派作品から娯楽作品まで幅広く手掛け、俳優、小説家、映画評論家などマルチに才能を発揮。葬儀は妻の原田瑞穂さんが喪主を務め、近親者のみで執り行い、後日、お別れの会を予定している。

 40年以上にわたり映画界の第一線で活躍した原田さんが家族に見守られ、息を引き取った。長男で俳優の原田遊人(48)はこの日、スポーツ報知の取材に「突然のことで、まだ気持ちの整理ができません」と悲痛な思いを語った。入院中も病室で執筆活動を行い、次回作の構想を練るなど、映画への情熱を燃やし続けていたという。

 静岡県沼津市で生まれた原田さんは高校卒業後、英ロンドンに語学留学。73年から米ロサンゼルスを拠点に映画評論活動を始め、76年にジャーナリストの瑞穂さんと結婚し、1男1女をもうけた。79年に「さらば映画の友よ インディアンサマー」で監督デビュー。95年の「KAMIKAZE TAXI」は海外でも高い評価を受けた。

 97年の“コギャル”の一日を描いた「バウンス ko GALS」で第22回報知映画賞監督賞に輝いた。表彰式はくしくも師匠と仰ぐハワード・ホークス監督の命日で「賞には縁がないものとあきらめていたからね。やっと、という感じ。

それも師匠の命日に感無量です」と声を弾ませ、主演の佐藤仁美(46)ら出演者と喜びを分かち合った。

 日航ジャンボ機墜落事件を追う新聞記者の奮闘を描いた「クライマーズ・ハイ」は2008年の日本アカデミー賞で10部門の優秀賞を受賞。「わが母の記」(12年公開)は日本アカデミー賞の12部門で優秀賞。15年公開の「日本のいちばん長い日」でブルーリボン賞作品賞に輝いた。

 幅広い作風が魅力だった。「金融腐蝕列島・呪縛」「突入せよ! あさま山荘事件」など重厚な社会派作品から「伝染歌」「魍魎(もうりょう)の匣(はこ)」などエンターテインメント性の高い作品も手掛けた。トム・クルーズ主演の「ラスト サムライ」(エドワード・ズウィック監督)では、俳優としてハリウッドデビューした。

 近年も「関ヶ原」(17年)、「検察側の罪人」(18年)、「燃えよ剣」(21年)、「ヘルドッグス」(22年)、「バッド・ランズ」(23年)など意欲的に話題作を発表していた。

 ◆原田 眞人(はらだ・まさと)1949年7月3日、静岡県沼津市生まれ。高校卒業後の72年に英ロンドンに留学。73年から米ロサンゼルスを拠点に映画評論活動を始める。帰国後の79年に「さらば映画の友よ インディアンサマー」で監督デビュー。

プライベートでは76年にジャーナリストの福田みずほ(当時)さんと結婚。1男1女をもうける。長男は俳優の原田遊人。

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