映画監督の原田眞人(はらだ・まさと)さんが8日午前0時39分、都内の病院で死去したと業務提携していた芸能事務所「つばさプロジェクト」が13日、発表した。76歳だった。

監督として社会派作品から娯楽作品まで幅広く手掛け、俳優、小説家、映画評論家などマルチに才能を発揮。葬儀は妻の原田瑞穂さんが喪主を務め、近親者のみで執り行い、後日、お別れの会を予定している。

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 原田さんの実家は東名高速の沼津インターチェンジ近くに店を構えるロッジ風の喫茶店「美家古」だった。5歳の時に沼津セントラル劇場で「山河遥かなり」を見て以来、映画のとりこになった。小学生時代は東映時代劇の大ファンで大川橋蔵さんがお気に入りだった。

 高校卒業後、3年浪人して大学進学を断念。米ロサンゼルスに渡り、実家でも経験した皿洗いのアルバイトをしながらフリーライターとして映画の世界に足を踏み入れた。ハリウッドの大物を数多く取材し、人脈を構築。同時に脚本を書き続けた。

 30代の時点で、4000本以上の映画を見たとされる。誰よりも映画を愛し、あらゆる構図や演出法を熟知。引き出しの豊富さが魅力で、それこそが幅広い作風を手掛ける源泉だった。

「クライマーズ・ハイ」は製作費4億円に対し、興収は3倍の12億円。地方紙の編集局を舞台にした骨太の人間ドラマで映画ファンの心を揺さぶった。

 「突入せよ!あさま山荘事件」「日本のいちばん長い日」「関ヶ原」など史実を題材にした作品にも定評があり、日本映画史に確かなを足跡を残した。

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