東映は15日、同社元宣伝部で映画の名コピーの数々を生み出した惹句(じゃっく)師で映画ライターの関根忠郎(せきね・ただお)さんが11月11日午後0時30分に間質性肺炎のため都内の病院で死去したと発表した。87歳だった。

葬儀は家族葬で執り行った。

 東京で生まれた関根さんは1956(昭和31)年に東映に入社。東京撮影所などを経て62年に宣伝部に異動。97年に映画宣伝部長付チーフ宣伝プロデューサーとして東映を定年退職するまで、多くのコピー(惹句)を制作した。そのジャンルは、やくざ映画、実録映画、時代劇、アクション映画、ヒューマンドラマやポルノ映画まで幅広く、退職後はフリーランスの映画ライターとして活躍した。

 東映の多田憲之会長は「映画の内容を一言で語ってくれる惹句、成績を左右させる惹句、そんな伝説の惹句師の関根さん。もっともっと仕事をして欲しかった」と追悼。「ポスターに躍る関根さんの惹句は東映在籍時も他社から依頼があった程、皆に愛された。移転前の7月、銀座の本社にふらりと訪ねてくれたのが最後だった。心よりお悔やみ申し上げます」と別れを惜しんだ。

 ◆関根忠郎さんが担当した主な作品

 「昭和残俠伝破れ傘」(72年) 「旅人(たびにん)です花田秀次郎 仁義渡世は男の闇か 闇と知ってもなおドスぐらし!」

 「仁義なき戦い」(73年) 「暗殺、裏切り、報復・・・・・残虐な死闘の日々の中で怒り、苦悩する男たち! 殺しが殺しを呼ぶ非情なやくざ社会の内幕を暴いた「美能組」元組長 美能幸三の手記『広島やくざ・流血20年の記録』をこゝに映画化!」

 「トラック野郎 御意見無用」(75年) 「腕っぷし、気っぷがドンと気に入った!スピード・バクチ・酒・喧嘩 車体飾り(デコレーション)もNo.1 だから通称一番星〈菅原文太〉 女にモテたいばっかりに相棒ジョナサン七人子持ちがなぜやもめ〈愛川欽也〉 にっぽん列島 男の意地と汗・ほこり ハードに行くぜ痛快豪放トラック野郎」

 「柳生一族の陰謀」(78年) 「我(わし)につくも 敵にまわるも 心して決めい! 親も子も仏もない凄絶な権力争い! 超豪華スターと巨大スケールで蘇る本格的時代劇ロマンの面白さ!」

 「極道の妻たち」(86年) 「愛した男が、極道だった。日本を一分する暴力闘争――男たちの銃後(かげ)で、妻たちはどう生きているか!?」

 「あなたへ」(12年) 「大切な想い 大切な人に 届いていますか――」

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