江戸時代の「赤穂浪士討ち入り」があった14日、舞台となった東京・両国にある吉良上野介邸跡地の本所松坂町公園で赤穂浪士四十七士と吉良家臣二十士を供養する「義士祭」が開かれた。両国連合町会(渡邉兼利会長)主催で、今年72回目。

地元の墨田区・山本享区長らが出席し、牛嶋神社の宮司による祝詞奏上などが行わた。

 忠臣蔵のモデルとなった赤穂浪士討ち入りがあった元禄15年(1703年)から数えて322年。この日はあいにくの雨が降るなか、山本区長は「今回で72回を数え、これは地域の力。継続していくことが大事。320年以上も前の出来事になるが、地域の皆さんと検証しながら、日本人としてこの出来事を振り返ることが大切」とあいさつし、玉串拝礼の儀式に臨んだ。

 参列した区議会の佐藤篤議長も「赤穂浪士四十七士と吉良家臣二十士の両者を弔うことは大変有意義。当時の事件の背景を見ると原因はいまだ不明で両者の見方ができる」と説明。その上で「今の世情を見ていると、世界で紛争は絶えないが、それぞれの正義があって物事には両面があるということを(この赤穂浪士討ち入りは)教えてくださっているんじゃないかと思う」と話した。このほか、松島みどり首相補佐官や墨田区観光協会・森山育子理事長らが出席した。

 吉良上野介の屋敷はかつて約8400平方メートルもの広大な敷地を誇ったが、現在の公園は約98平方メートルで当時の86分の1。1934年に地元町会の有志が遺跡を後世に伝えようと、旧邸跡地の一画を購入して東京都に寄贈。50年に墨田区に移管され、義士祭が始まった。

園内には吉良の座像も安置。赤穂浪士と戦った家臣たち二十士を悼む石碑もある。

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