巨人のライバルだった名選手の記憶を掘り起こしてきた「巨人が恐れた男たち」。最終回は星野仙一さんの足跡をたどる。
* * * *
【幻の監督編〈2〉】 ほどなくして、報知新聞の広島番記者である駒沢悟に、一本の電話が入った。ライバル球団の担当でありながら中日の若手時代から星野とは昵懇(じっこん)の間柄だった。電話の主は旧知の巨人関係者だった。
「星野君と連絡を取ってもらいたい」
「何用ですか?」
「監督要請の話だ」
仰天した。すぐに本人に連絡した。
「ええっ!? 何でや…」。星野は絶句した。「ホンマかいな? 誰の考えや?」
「渡辺さんの意向や」
渡辺が動いた。
「タバコを吸ってもいいかね?」
トレードマークの葉巻の煙をくゆらせながら、渡辺は本題に踏み込んだ。
「監督をお願いしたい。巨人のためじゃなく、球界のために」
駒沢は2人の話が終わるのをロビーで待っていた。星野から「コマちゃんも一緒に会ってもらえんか」と頼まれたからだ。「そんなんおれるわけないやろ!」と即座に断ったが、当日、ホテルにいるのは承諾した。
30分もたっただろうか。「ションベンちびるかと思ったで」。ロビーに下りてきた星野は、冗談めかしながら言った。「すごいオーラだった。
ちなみに渡辺と氏家の2人は、時に星野の名前からとって「スター」と一種の親しみを込めて呼んだ。救世主としての期待感がうかがえる響きである。
駒沢によると、会談直後の星野は「思ったよりクールだったが、複雑そうにも見えた」という。ただ、どの関係者の見方も「巨人から声をかけられてうれしかったはず」で一致する。あのドラフトから、打倒・巨人が星野の全てだった。その宿敵が、自分に頭を下げているという事実。男みょうりに尽きる瞬間ではなかったか。震えるほどの恍惚(こうこつ)を、クールな仮面の下に押し隠していたのではないか。
「星野君と会った。後の交渉を頼む。誠心誠意、要請してくれ」。渡辺から交渉役を任されたのが、滝鼻だった。
星野は巨人のオファーを手塚昌利オーナーら阪神の球団上層部に報告し、「とどまってほしい」と求められていた。「監督要請は光栄に思う」と星野は言った。「読売が直接、阪神の首脳を説得してOKを取れたなら、私は動ける。しかし、難しいのでは…」。報酬の話を持ちかけようとすると、「阪神のOKが出てからにしてほしい」と遮った。
滝鼻は1週間後に手塚とも会い、熱を込めて訴えかけた。
「星野さんに要請したのは、球界のためです。このままではプロ野球は沈没してしまう。巨人・阪神戦がもっと盛り上がらなければ、プロ野球の再生はない。巨人・阪神は共同盟主です。プロ野球を救済するような気持ちを持ってほしい」
手塚が首を縦に振ることはなかった。
補強は必ず予算より少なく抑える。球団職員との小さな約束も必ず守る。勝たせるだけの男ではなかった。
◆星野 仙一(ほしの・せんいち)1947年1月22日、岡山県生まれ。倉敷商から明大に進み、68年のドラフト1位で中日入り。6年目の74年に先発、リリーフ兼任で15勝9敗10セーブで巨人の10連覇を阻み、沢村賞受賞。82年に現役引退し、86年オフに中日の監督就任。その後、阪神、楽天で監督を務め、史上3人目の3チームでリーグ優勝。正力松太郎賞受賞2度。
※文中敬称略、肩書は当時のもの










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