フィギュアスケート 全日本選手権 兼ミラノ・コルティナ五輪最終選考会 第2日(20日、東京・代々木第一体育館)

 男子フリーが行われ、ショートプログラム(SP)1位から出た鍵山優真(22)=オリエンタルバイオ・中京大=が183・68点、合計・287・95点で優勝。父の正和コーチ(54)と史上初の父子連覇を達成し、父に並ぶ2大会連続の五輪代表に内定した。

SP5位から出た佐藤駿(21)=エームサービス・明大=が188・76点、合計276・75点で2位。逆転の表彰台で五輪切符当確となった。ペアSPは三浦璃来(24)、木原龍一(33)組=木下グループ=が“世界歴代最高”の84・91点で首位発進。最終日の21日は女子、ペア、アイスダンスのフリーを実施し、全4種目の代表が発表される。

 父との偉業も鍵山は悔しさに泣いた。ジャンプでミスが出たフリーは佐藤に次ぐ2位。SPのリードで、93年に3連覇した正和コーチと史上初めて父子で連覇を達成したが「まだまだ、弱いなと。全部、出し切れなかったのが悔しかった」。日本男子のエースとして、2大会連続五輪は一発で決めた。そして、課題も次に持ち越した。

 冒頭から続けて4回転ジャンプを決めたがアクセルが1回転に。後半の4回転トウループは転倒し「そこが悔しくて。

感情に出てしまった」と唇をかんだ。「優勝にふさわしい演技ができなかった」と反省の弁。それでも、正和氏は「全日本は特別」と優勝の価値を説いた。1歩近づいた息子が「うれしい」と言えば、父も「うれしい限り」と、素直な胸中だった。

 昨季の全日本で初優勝。演技後、正和氏は涙した。「賞状があるのは日本だけなので」と額縁に入れ「毎日、眺めていますよ。当たり前です。リビングの、ちゃんと見えるところに」。自身の現役時より当然、優真が勝った時の方がうれしいという。「親としての喜びと、教える側としての喜び、2つありますから」。孝行息子は一度だけでなく、連覇と2度目の五輪代表という喜びも父に届けた。

 ミラノでは5大会連続のメダル獲得がかかる日本男子。鍵山は、五輪2連覇の羽生結弦さん、2大会連続メダルの宇野昌磨さんの背中を見てきた。「自分がその立場になった。プレッシャーや、周りの期待に応えないといけないと思っている」。偉大な先輩の存在感は大きいが、次は自分が初出場2人と共に日の丸を背負う番だ。「ただ、高みを目指して頑張るだけ。チャレンジャーとして、挑みたい」。追い求めるエース像は、ミラノでの滑りで証明する。(大谷 翔太)

 ◆フィギュアスケート全日本選手権の父子V 2010年に、小塚崇彦が史上初めて父・嗣彦さんに続く全日本V。24年大会で、鍵山が14年ぶりに2組目となる正和さんとの父子優勝を達成した。25年には大会初の父子連覇達成で、父子2大会連続五輪代表内定となった。

 ◆鍵山に聞く

―キス・アンド・クライでの涙の理由。

 「本当に悔しすぎて。優勝できたことよりも、弱いなというのが、感情であふれ出てきちゃって。表では泣きたくなかったけど、パーって出てきちゃった。今の実力だと思うし、もっと頑張らなきゃいけない」

―父との偉業について。

 「正直、全然意識していなくて…うれしいんですけども。結果は、結果で素直に受け止めたい」

―佐藤、三浦と3人で表彰台に上がったこと。

 「シニアに上がってからは3人で『五輪に行こうね』と会う度に話してきた。ミラノシーズンに3人で表彰台に乗れたことは大きな意味がある」

―ミラノ五輪へ。

 「ショート、フリーでノーミスの演技をすることが一番の目標。まずは結果よりも、自分がやりたいパフォーマンスを全力でできるように頑張りたい」

 ◆鍵山 優真(かぎやま・ゆうま)2003年5月5日、神奈川県出身。22歳。5歳から競技を始める。

19年12月の全日本選手権でジュニアながら3位。20年ユース五輪で金メダル。同年の四大陸選手権でジュニアで銅メダル。シニア転向後初出場の21年世界選手権で銀メダル、22年北京五輪で銀メダル。24年全日本選手権制覇。父は92年アルベールビル、94年リレハンメル両五輪に出場し、93年に全日本3連覇の正和さん(54)。

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