2025年は多くの著名人が鬼籍に入った。スポーツ報知では、その足跡を振り返る追悼企画を3回掲載する。

第1回は6月3日に肺炎のため旅立った巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄さん(享年89)。監督付広報を93~01年に務めた小俣進氏(74)が思い出を語った。

 長嶋さんがこの世を去ってから、半年以上が経過した。小俣氏は「監督がどこかに行っちゃったな、みたいな感覚は今でもないのですが、いつも見られているような気がして、自分を律して過ごしています。何かあったら『長嶋監督付広報だった小俣が…』となるわけだから。監督の名を傷つけることは絶対にできないです」と、まるで目の前に長嶋さんがいるかのように、背筋をピンと伸ばした。

 現役時代は投手、長嶋さんが監督に復帰した93年からは専属広報として濃厚な時間を過ごした。同年の宮崎キャンプは長嶋フィーバーで連日、200人を超える報道陣が取材に訪れ、全国からファンも殺到した。「監督には『取材は受けろ、俺もしっかりやるから』と言われて。監督も練習を見なくてはいけないのだけれど、マスコミ各社の細かい要望を全部くみ取ってくれた。監督はテレビや雑誌などの対談では、相手のことを調べてよく知っている。監督に仕事を教わったようなもので、広報部長みたいな存在でもありました」と感謝した。

 長嶋さんのすごみを間近で感じたのは、94年の中日との「10・8」決戦だ。「監督が『国民的行事』なんて言うし、選手もファンもマスコミも緊張する中、ポケットに手を突っ込んでニコって笑って、監督だけはあの試合を楽しんでいた。いつもの名古屋遠征のように、当日の朝も名古屋城の近くを散歩してね。本当に様子が全く変わらなかった」と勝負師の肝の据わり方に驚かされた。

 現役時代は四球を出すと「何で四球なんだ。勝負の世界に生きている人間が打者と勝負しないでどうするんだ!」と怒られたが、監督付広報としては叱られた記憶はない。気をつけていたのは時間。「監督との約束に、遅刻をしてはならないのは当然。何かあったとき、すぐに家を出られるようにとスーツを着て横になっていたこともあったかもしれない。決められた時間の30分前の、さらに30分前には行かないと監督よりも先には着けなかった。それでも監督がもういて『君たち早いね』みたいなこともありました」と懐かしそうに振り返った。

 当時の業務では「常に誰かが周囲にいた」と振り返る中、思いがけず2人きりで旅行に出かけた思い出は宝物となっている。

ある年の優勝旅行で米ハワイに出かけた際、「小俣、あしたからロサンゼルスに行くぞ!」と伝えられた。チームとともにハワイに滞在した3日間で優勝旅行中の監督出席の行事や取材などは全て終えており支障はなかったが、日本出発前は予想もしていなかった展開だったため驚いた。

 ハワイから2人きりで向かったロサンゼルスでは、ビバリーヒルズの老舗ホテルに数泊した。「監督が行きつけの洋服屋さんに一緒に出かけて『お前も何か好きなのを買えばいいじゃないか』と言われてね。値札を見たら、思っていたのと値段が1ケタ違って『僕はいいです』と断っちゃった。監督と食べたフレンチトースト、スクランブルエッグとか、ホテルの朝飯が今でも忘れられないほどおいしかった。監督がメンバーになっているゴルフ場に連れて行ってもらって『お前もやれよ』と誘われたけれど、あまりにもきれいすぎて。『こんなところでダフってはいけない』とこれまた遠慮して、カートの運転に専念したよ」。プライスレスなロス旅行は、昨日のことのように鮮明に記憶に刻まれている。

 監督付広報時代、休日は年に数日しかなかったが「子供の頃、長嶋さんに憧れて野球を始めた。その方のそばにいられる幸せをずっと感じていたから、仕事とは全く思っていなかったです」と心地よい緊張感の日々で風邪すら引かなかった。ミスター伝説の目撃者は「監督はよく『球界の先輩たちがいたから、今のプロ野球がある』と話してくれました。

今の選手たちも、後輩が憧れ、誇れるような人物になってほしいです」と長嶋イズムの継承を願った。(阿見 俊輔)

 ◆長嶋 茂雄(ながしま・しげお)1936年2月20日、千葉県生まれ。佐倉一高(現佐倉高)から立大を経て、58年に巨人入団。74年現役引退。75年監督に就任し80年退任。93年に復帰し、2001年を最後に勇退。88年、野球殿堂入り。13年に松井秀喜氏とともに国民栄誉賞を授与された。21年、野球界で初めて文化勲章を受章。

 ◆小俣 進(おまた・すすむ)1951年8月18日、神奈川県生まれ。74歳。藤沢商(現藤沢翔陵)から日本コロムビア、大昭和製紙富士を経て72年ドラフト5位で広島入団。

75年オフ、交換トレードで巨人に移籍し第1次長嶋政権で主に中継ぎで活躍。その後、ロッテ、日本ハムを経て85年に現役引退。通算成績は174試合で16勝18敗2セーブ、防御率4.73。第2次長嶋政権発足と同時に監督付広報に就任。11年に巨人を定年退職し、現在は中本牧リトルシニアのアドバイザーを務める。

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